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エーテラリスの薫風 第一部 測れない魔法使い  作者: 裸単騎大佐
第三章 エーテラリス、国を駆ける
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三 月華亭

 通された部屋は、応接室のようだった。

 調度品の一つ一つが落ち着いた色合いで、それでいて質が良いことが見て取れる。アノリスは勧められた椅子に腰を下ろした。

「改めて」とセレナは向かいに座った。「アノリスさん、でいいかしら」

「はい」

「マリアさんから手紙をいただいたの。あなたが紅淑館で働いていたこと。受付の仕事ぶりも、お客さんの扱いも。それと――ミシュエルさんを助けたこと」

 アノリスは少し驚いた。マリアがそこまで詳しく書いているとは思っていなかった。

「あれは、たまたまというか――」

「たまたまで誘拐の現場に単身で踏み込んで連れ帰ってくる人はいないわ」セレナは微笑んだ。「マリアさんは、めったに人を褒めない人よ。あの人があれだけ書いてくれたっていうのは、相当なことなの」

 アノリスは少し気恥ずかしくなった。

 そんな恥ずかしそうにしているアノリスをセレナは見た。今度はもう少し時間をかけて、頭から足先まで。

 足先まで向いた視線が胸元に戻ってくる。


「あなた、スタイルがいいわね」

「え?」

「立ち姿も綺麗。所作にも変な癖がない」セレナの目が細められた。

「ねえ、アノリスさん。受付の話の前に――一つ聞いてもいい?」

「はい」

「あなた、こちら側で働く気はない? お客様のお相手をする方」

 アノリスは、一瞬、言葉に詰まった。

 考えなかったわけではない。この建物を見たときから、薄っすらと頭の隅にあった。自分のような容姿の人間がこの店に来たら、当然そういう話も出るだろう、ということは。

 正直に言えば――興味がないわけではなかった。紅淑館でも、客との距離感には自信があった。この店の格を考えれば、収入も相当なものになるだろう。少しだけ、心が動いた。

 ただ、その動きは一瞬だった。

 アノリスは、すぐに頭を振った。

「ありがとうございます。でも、それは違います」

「違う?」

「私、夜の男の人を相手にするプロじゃないので」アノリスはきっぱりと言った。「受付なら、できます。受付として、ここで働きたいです」


 セレナは、しばらくアノリスを見ていた。それから、満足そうに頷いた。

「いい返事ね。今のその答え方が、もう受付として優秀だっていう証拠だわ」

「そうですか?」

「線引きがはっきりしている人は、お客様の前でも揺れない。ここで一番大事なことよ」

 セレナは、紹介状とマリアの手紙を、テーブルの上に並べて置いた。

「この店ね、見ての通り、格は高いの。でも――格が高いということは、トラブルも質が違う、ということでもある」

「トラブル、ですか」

「お客様は、皆さん地位のある方たち。だから、揉め事が起きたときに、簡単には収められない。以前は、王宮の方に協力をお願いして、軍の方に来ていただいて解決したこともあったわ」

 アノリスは少し驚いた。軍を借りるほどのトラブルというのが、どういうものなのか、想像が追いつかなかった。

「だからね」セレナは続けた。「あなたみたいに、実力のある人が受付に立ってくれるのは――正直、すごく心強いの」

 セレナの声には、営業的な軽さはなかった。本当に、そう思っている声だった。

「ぜひ、うちに来てほしい」

 アノリスは、セレナの目を見た。

 マリアの紹介。月華亭という店の格。建物を見たときの圧倒される気持ち。そして今、目の前で、この人が本気で言っている。

 必要とされている喜びがアノリスに湧き出てきた。

「やります」

 言葉が、思ったより先に出た。

「本当に?」

「はい。よろしくお願いします」アノリスは深く頭を下げた。「――燃えてきました」


 セレナが笑った。アノリスが今日初めて見せる、年相応の明るい笑顔だった。

「採用よ。お給料は日給で銀貨60枚。月華亭は紅淑館の倍以上の規模だから、その分、相応に出すわ」

 アノリスは思わず声を出しそうになった。紅淑館での日給は銀貨25枚だった。それが倍以上になる。

「あの、それは――本当に受付だけで、その金額ですか?」

「受付だけ、というのは少し違うかもしれない」セレナは少し言葉を選ぶように言った。「ここに来るお客様は、皆さん地位がある方たち。だからこそ――お酒が入って、声が大きくなる人もいるし、態度が大きくなる人もいる」

「ガラの悪い富豪、とか、ですか」

「そう。それに、お酒に弱いのに飲む官僚もいるわ」セレナは苦笑した。「そういう方たちを、上手く宥めて、機嫌よく帰っていただく――あるいは、奥に案内する前に、ちょうどいいところで間に入っていただく。そういう役割を、受付には期待しているの」


 アノリスは少し考えた。

 紅淑館でも、似たようなことはやっていた。からんでくる客を、話術でうまく流して、最終的にはこちらの言う通りに動いてもらう。あれと同じことを、相手の質が変わった場で求められている、ということらしい。

「あなたなら、できると思う」セレナは続けた。「マリアさんから聞いた話だけじゃなくて――今、話していて、わかったわ。受け答えの間合いとか、表情の作り方とか。普通の人にはできないことを、自然にやっている」

「そう言われると、なんか嬉しいです」

「それに、もう一つ」セレナの声が、少し低くなった。「もしも本当に困った事態になったとき――あなたなら、ただの受付以上のことができる」


 アノリスは、セレナの目を見た。

 誘拐犯のアジトに単身で踏み込んだ話を、セレナは知っている。それを踏まえての言葉だ、とわかった。

「期待してます、ってことですか」

「ええ。そういう場面が、ないことが一番だけど」セレナは微笑んだ。「ないに越したことはない。でも、もし何かあったときに、対応できる人がいるというだけで、こちらとしては、随分と安心できるの」

 実際に勤務外で男に口説かれ場合によっては襲われることもある。それはロズウェルでもあったことだ。

「わかりました」とアノリスは言った。「精一杯やります」

「勤務時間は、夕方から深夜まで。休憩を入れて、だいたい紅淑館と同じくらいの感覚だと思う。出勤日数は、相談しながら決めましょう」

「はい」

「それと――」セレナは、改めてアノリスを見た。「今のあなたの返事の仕方、断り方、全部含めて、私はとても気に入ったわ。これからよろしくね、アノリスさん」

「よろしくお願いします」

 アノリスは、深く頭を下げた。

 頭を上げたとき、ふと、首元のペンダントに目が向いた。紅い石が、応接室の光を受けて小さく揺れていた。


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