八 王都リーヴィン
レーエフから十六時間ほど、午前十時、王都リーヴィンの馬車ターミナルに到着。
降りた瞬間、空気が違った。
馬車駅は石造りで、天井が高い。柱の装飾が細かい。久し振りの大都市、南の他東西を結ぶ交通の要所らしく、人の出入りが多い。
ただ、北へ向かう便はほとんどなかった。掲示板を見ても、北方面は数が少ない。
「岬へは三月」とアノリスが言った。「今は九月。まだ半年ある」
半年。
いずれにしろ、しばらくはこの街に滞在することになる。
馬車駅を出ると、街が広がっていた。
石畳の通りに、水路が走っている。水路の脇には花が植えられていて、整然と並んでいる。
建物は石造りで、ここも装飾が細かい。柱の彫刻、窓枠の意匠――どれも手が込んでいる。
歩いている人々の服装も、旅の途中で見てきたどの街とも違った。仕立てが良い。姿勢が良い。子供連れの家族も、商人らしき男も、皆どこか上品な所作をしている。
「すごい」とアノリスが言った。声が小さくなっていた。
遠くに、大きな建物が見えた。塔のような形をしていて、敷地が広い。出入りする人々が若い。学生だろうか。
「学校かな」とアノリスが言った。
「教育機関が充実していると聞いたわ」とシェリルが言った。
旅の途中、いくつもの大きな街を見てきた。規模だけならここと並ぶか、それ以上の街もあった。ただ――この街並みの気品は、今まで見てきたどの街にもなかった。美しさと風格が、街全体に染み込んでいる。
まずは宿を確保した。
中級の宿を選んだ。三人別部屋。荷物を置いて、それぞれの部屋を確認してから、シェリルの部屋に集まった。
「今後のことを話そう」とラフィスが言った。
手持ちの資金を確認した。数ヶ月の滞在には足りない。早めに仕事を見つける必要がある。
シェリルは出版の準備を進める。エーテラリスとしての名はすでに知られている。王宮付属機関への接触も考えられる。
アノリスは接客の仕事を探す。この街には大きな店も多いはずだ。
ラフィスは護衛か討伐の依頼を探す。この街なら需要は多いはずだ。
話はまとまり、程なく三人は街に出た。
夕方になっていた。水路の水面に、街灯の明かりが映り込んでいる。
酒場を見つけて、入った。
中は賑やかだったが、品があった。声の大きさも、笑い方も、ロズウェルの酒場とは違う。三人は隅の席に座って、料理を注文した。
酒場には求人ファイルが何冊も置いてあった。壁際の棚に並んでいる。テーブルの上にも数冊。詳しく見るのは明日でいい、と思いながらも、三人はそれぞれ手に取った。
「すみません」とシェリルが店員に声をかけた。「出版社をご存知ですか」
「出版社……?」店員が少し驚いた顔をした。「唐突ですね」
「学術系の本を出したいんです」
「学術関連なら、グラフェル堂が安定していますよ。あそこは王宮付属で、信用もある」
「ありがとう」
シェリルはその名前を頭に入れた。
アノリスは接客業のファイルをめくっていた。レストラン、宿、商店――様々な求人が並んでいる。その中の一枚に目が止まった。
「魔法アクセサリーショップ……」
魔力を込めたアクセサリーを扱う店らしい。装飾品としてだけでなく、簡易な防御や補助の効果を持つものもあるという。
「お客として行ってみたいな、これ」
「求人じゃなく?」とシェリルが言った。
「いや、求人も見るけど。単純に欲しい」
その一方、ラフィスは求人ファイルを見ていなかった。
壁に貼られた一枚の紙に目が行っていた。
騎士団入団者募集。
リーヴィン王都騎士団。条件、待遇、試験内容――簡素な紙だが、しっかりと書かれている。
ラフィスはしばらくそれを見ていた。
軽装の鎧を外した今の姿は、一見すると旅の剣士にしか見えない。ただ、よく見れば違う。
鎧の下に着ているシャツの仕立てが良い。剣を提げる帯にも、装飾は控えめだが質の良い革が使われている。
本人は気にしていない様子だったが、所々に高級感が滲んでいた。
立ち姿も、剣を持つ手も、剣士のもの、それは間違いない。
ただ姿勢の良さ、視線の運び方、何かを見るときに一瞬置く間――そういうものに、育ちの良さが見え隠れしている。
目つきは鋭い。ただその奥に、もう一つの色がある。慈愛、と言っていいかもしれない。
先日、街の通りでひったくりを追い詰めたときも、相手を必要以上に傷つけなかった
剣にあしらわれた紋章を見なくても、どこかの名門の生まれだろうと感じる者は、いるかもしれない。
ラフィス自身は、それに気づいていない。
まだ、自分がカリティスディアの王女だということはバレていない。証明書もない。
ただ、剣の紋章を見られたら――今度は確実にバレる。関所では知らない兵士だったから済んだ。王都の騎士団なら、紋章を知っている者がいるかもしれない。
それでも。
女ながら、王宮の騎士というのは憧れだった。子供の頃、誰かに言ったことがある気がする。覚えていないが、そういう気持ちがあったことは覚えている。
いや、とラフィスは思い直した。
ドルヴェナ岬に行くのが先だ。半年後には、また旅に出る。騎士団に入っても、すぐ抜けることになる。
わかっている。
それでも、紙から目が離せなかった。
三人とも、それぞれの思惑を抱えていた。
シェリルは出版。アノリスは接客と、アクセサリーショップ。ラフィスは――騎士団の紙を見ながら、何かを考えていた。
この街でやりたいことが、それぞれにある。
ここまでの長期滞在は、五年の旅の中でもなかった。半年という時間が、初めて「腰を据える」という言葉に近い意味を持っていた。
「ワインある?」とシェリルが店員に聞いた。
マスターが奥から出てきた。
「お嬢さん、申し訳ない。この店はワインを扱ってないんだ」
「そうですか」
シェリルは少し残念そうな顔をした。
「エールならありますよ」
「それで」
マスターがエールを三つ持ってきた。
三人はグラスを合わせた。何に対してか、はっきりしないまま。
王都での最初の夜が始まっていた。
――
夜が更けても、酒場は賑わっていた。
三人が宿に戻ったあと、隅の卓に残っていた男たちが、声を低くして話していた。
「聞いたか、樹海の話」
「カデアか?」
「ああ。なんでもあそこを突っ切った旅人がいるらしい。狼の死体が、数えられないくらい転がってたって」
「嘘だろ。あそこ、王国軍でも避ける場所だぞ」
「俺もそう思ったけどな。守備隊の知り合いが言ってたんだ。まとめて処理されたみたいだったって」
別の男が口を挟んだ。
「そういえば、リドリウスの件も妙だよな」
「召喚事故か」
「ああ。誰かが解決したらしいが、誰がやったのか師団の連中もわかってないって話だ」
「謎だらけだな、最近」
しばらく、誰も何も言わなかった。
「……そういえば」と一人が言った。「昼間、この店に変な女がいたよな」
「変な、というか」別の男が言った。「やけに風格があった。あの雰囲気」
「女剣士は、この街じゃ珍しいよな。皆無ってわけじゃないが」
「この国の者じゃない感じが、プンプンしてたな」
「騎士団の募集の紙、じっと見てたよな」と一人が言った。
「見てたな。応募する気だったのか?」
「わからん。ただ、あの目つきは――本気で見てる目だった」
また少し黙った。
「お前ら」と一人が言った。「法剣って知ってるか」
「は?」
「いや、噂で聞いたことあるだけなんだけどな。風と斬撃を同時に乗せられる剣があるらしいって」
「初耳だ」
「俺も噂でしか聞いたことない」
誰も、それ以上深くは追わなかった。話題はまた別のものに移っていった。
ただ、酒場の隅で囁かれたいくつかの言葉が、それぞれの方向に小さく散っていった。
樹海。召喚事故。風格のある女。法剣。
まだ、それぞれは繋がっていない。
ただ――王都に入って最初の夜、実体まではとにかく、三人のことはすでに少しずつ、知られ始めていた。




