第三十一話
堕天使ルシファー。それがフィーリアの召喚獣であった。
堕天したとはいえ元天使。ルシファーの登場に観客席の皆の視線が釘付けになった。
「ルシファーだって……?」
「嘘だろ、堕天使って召喚できるのかよ」
「夢でも、見てるの? あれは、本物?」
ざわざわ。ざわざわ。
観客席にいる人は誰も彼も、ルシファーの存在にああだ、こうだと興奮した様子で様々な感想を飛ばし会場にいる二人の異常に気づかない。
「————」
(…………)
召喚獣ルシファーの登場を目の前で見る羽目になったアンリーナ。彼女の視線は観客席にいる彼らと同じようルシファーに釘付けになっていた。だが興奮している彼らとは違い――アンリーナの顔色は真っ青を通り越して土色になっていた。
「……あ、あぁ……」
体をがくがくと震わせアンリーナはゆっくりと後ずさった。口からは言葉にならない母音が出ては消えていく。そんな彼女にルシファーは穏やかな笑みを浮かべ、アンリーナに向かって手を伸ばし——
「ロス、戻っておいで」
誰にも話していないアンリーナの前世の名を口にした。途端にアンリーナ体から力が抜け、弱々しくその場にぺたりと崩れ落ちてしまった。
目の前にいる召喚獣がただの堕天使ではないと理解してしまったアンリーナはパニックを起こし目から涙を流し始める。
「あ、あ、あ、う、そ、うそ、うそだ、そんな、こんな、こと、そんな、なんで、どうして」
ただ前世の名前を呼ばれただけ、それだけでアンリーナはルシファーに恐怖してしまった。パニックになっている中、心が「早く逃げろ。逃げるんだ」と警告を鳴らす。心に従い今いる場所、会場から逃げ出そうとアンリーナは体を動かし——体に力が全く入らないことに気づく。
(なんで、こんな、ときに、こんなとき、だから? にげ、にげないと、にげ、にげて、にげて)
「ロス、私の命令が聞けないのか?」
「ぁ、ぁぁ……」
逃走の一言だけが思考を埋め尽しているアンリーナ。明らかに異常な様子を見せているのに観客席にいる彼らは未だルシファーに釘付けになっており、アンリーナの異常に気づかない。気づいているのは会場にいる者のみ。しかしフィーリアはアンリーナを助けないし、ルシファーに至っては恐怖の原因。誰も助けてくれないのだとアンリーナは悟った。だがアンリーナは一つ忘れていた。会場にはアンリーナの味方になる存在が一人(?)いることを。
「ご主人様!!!」
自身の召喚獣であるシロコの声が聞こえた途端、アンリーナの体はひょいっと誰かに抱き上げられた。——シロコであった。
(そう、だ、いる、ここに、たすけが)
「撤退します。いいですね」
「ぅ、ん」
いつもは弾むような声色で軽々しい態度を見せていたシロコ。だが今はその逆、落ち着いた声色に軽々しさなんて感じない態度をとっていた。いつもとは違う自身の召喚獣にアンリーナは戸惑いを覚えたが、今はむしろそれが心の支えになっており、アンリーナはぎゅっとシロコを抱きしめた。
「……誰だ? その子を返してくれ」
突然目の前に現れ、アンリーナを抱き上げたシロコにルシファーは首を傾げた。彼の要求を耳にしたシロコはハッと嘲笑い、抱きしめる力を強めルシファーに怯むことなく言い返す。
「返す? この方はもう貴方のものではないですよ。招かねざる死者はどうぞ、地獄へお帰り下さい」
地獄へお帰り下さい――その発言を最後まで口にした瞬間、シロコは踵を返し会場から去ろうとする。
「ロス」
「耳を貸すな。人形に戻りたくはないでしょ」
(っ……ぅ、ぅぅ……)
アンリーナを引き留めとするルシファーの声と、淡々と感情のない声で警告するシロコに、アンリーナは一瞬びくりと体を痙攣させたあと、唇を血が出てしまうほど強く噛みシロコの発言に対してこくりと頷き、精神を安定させる為に一度瞼を閉じ何度も深呼吸を繰り返す。
(……アレは、アレは、ルシファーじゃない)
フィーリアの召喚獣の顔を見た瞬間からずっと抱いていた思考。パニックを起こす羽目になってしまったルシファーの顔。彼の顔はあまりにも義父によく似ていた。————否、似ているのではない、ルシファーの中身は義父本人だ。
(どうして、父さんがここにいるんだ。俺がしんだあと、何が、あったんだ)
疑問に満足に答えることが出来るのは、当事者である義父だけであろう。




