Issue#01 I I I Don't Want to Set the World on Fire CHAPTER 05 04
日本海の、色調が澱みながらも穏やかな海面を進む護衛艦「ひさめ」の艦橋には、潮と金属とオゾンの混合した香りがほのかに漂っていた。
レーダー端末が低く脈動する電子音を刻み、強化ガラス窓には海水と霧の飛沫がうっすらと曇りを残している。
薄青いARディスプレイの光が隊員たちの頬を照射し、彼らはホログラフィック・コンソールに視線を落としたまま、ほとんど呼吸の気配すら感じさせることなく静寂の中でデータの流れを追跡していた。
その艦橋のひと隅で、スコープを覗き込んでいた若い航海士の声が緊張を孕んでいきなり弾けた。
「艦長、北の艦影です!方位030、距離35キロ――確認できました!」
そこには、訓練の過程では本来混じるはずのない、生々しい不安の色があった。
通信席の士官が、暗号チャンネルの切り替えに手を動かしながら小さくつぶやく。
「北のフネは羅津港に集結してるんじゃなかったのか?」
指先は慣れた動作でタッチパネルを走り、衛星リンクから新たなデータが呼び出される。
艦内のスピーカーからは甲板上の整備員の足音や、ドローン哨戒機の離着艦を告げる低い振動音が、
艦橋へかすかに伝わってくる。艦内の空気は、誰も気づかぬうち空間が1mずつ圧縮されてしまったかのように、すっかり張り詰めてしまっていた。
「艦長、この状況で本当に演習を続行するんですか?」
下士官の声には、抑えきれぬ苛立ちが混じる。彼の視線は、艦橋の中央に立つ艦長、コウロキ大佐に向けられている。
彼は、電子双眼鏡を目元から下ろし、疲労の浮かんだ顔でぶっきらぼうに答えた。
「……ああ、これではまるで参観日だな。だが、統合参謀本部からの命令だ。現場の判断で覆せる段階はとっくに過ぎている」
隊員たちは息を呑み、艦橋の照明が霧の反射で揺れる中、一瞬の無音が支配した。
……艦隊の先頭にあって、灰色の波頭を砕いて進むのが旗艦「しらぬい」だ。
そこの艦橋――司令官席の脇には電子戦指揮卓があり、壁際には士官たちが規律正しく並び、各部署のオペレーターが黙々として端末を操作している。厚い装甲に覆われた艦体が、低いエンジン音と共にわずかに振動し、すずしい海風が甲板上を吹き抜けていく。
「各艦の準備完了信号、すべて揃いました」
と副官が報告した。指揮卓のレーダースクリーン上には自艦を中心にして、それに随伴する「たかなみ」「はやぶさ」「いかづち」など、各艦の位置が淡く点灯している。
実際の光景としても僚艦は隊形を崩さず円滑に並走し、遠方には補給艦や哨戒ヘリの影もわずかに確認できる。
司令官はひとつ息をつき、帽章に手を添えた。
「よろしい。全艦、通信回線オープン」
副官がうなずき、艦内に通信開始のチャイムが鳴る。
マイクを握った司令官は、
「各艦に通達する。本時刻をもって、日本海域における当軍の対艦ミサイル射撃演習を正式に開始する。
全艦、定められた作戦手順に従い、速やかに演習行動に移れ」
艦内スピーカーを通じて、その言葉を、一定の厳粛さとともに全船団に伝えていく。
通信員が「了解、全艦一斉受信」と合図し、艦橋の外――鉛色の波間に整然と並ぶ護衛艦群が、
わずかに舵を切り、各々の持ち場へと進路を変える。
甲板上にはミサイル発射管がゆっくりと持ち上がり、乗員たちは次の指示をじっと待ち受けている。
司令官は副官と短く目を合わせ、
「始まったな」
「はっ、閣下」
外の霧の向こう、遠ざかる僚艦を2人して見送った。




