issue#06 I I I Little Talks CHAPTER 04 16
「……母さん」
おせちが、声を絞り出した。
尊がおせちを見上げる。きょとんとした顔だった。その瞳の奥で、ほんの束の間、何かが揺れる。
無理なく重なり合っていたふたつの認識が、ふたたび別々の岸へと離れていく――そんな音が、
彼女の中で鳴っているようだった。
「母さん?はて、わしのことか?」
くすくすと笑って、首を傾げた。
「いやそれがな。まだ母さんになるかどうか、ちゃんと決めたわけではないのよ。
捨て子じゃからの、まずは親を探してやらねばならん。この子らの名前も、もちろんこれからじゃ」
おせちの背筋を、氷柱が貫いた。
……名前すら。
決まっていない、と。
おせちも、アシュリーも、さなも、はちるも。その名前が、
まだこの世のどこにも存在していない時間に――尊は、いた。
数え切れぬほど呼び、呼ばれてきた15年が始まるよりも、さらに手前に。
ふいに、尊が立ち上がった。
室内をきょろきょろと見回し、迷いのない足取りでスチール棚へ向かう。
扉を開け、ファイルバインダーの山をごそごそと掻き分けた。
事務用品の谷間に目当てのものがないと分かると、今度は長机の湯呑みを取り上げ、
鼻先に寄せて匂いを嗅ぐ。首を傾げ、そっと戻した。茶では駄目らしい。
「ミルクはどこかのう。こんな小さい子らに、茶を飲ませるわけにはいかん」
誰にともなく呟きながら、奥の棚の引き戸にも手をかける。
その指のかけ方は、スチールの取っ手を掴むそれではなく、
使い込んだ襖の縁を探る手つきだった。
その背中には、明確な意志があった。認知症の徘徊者が見せる、目的を失った逡巡ではない。
腹を空かせた赤子にミルクを飲ませようとしている、母親の動きだった。
惑星の脅威さえ退けた4人の誰ひとりとして、その小さな背中の止め方だけは、知らなかった。




