issue#06 I I I Little Talks CHAPTER 02 27
「……あの、ほんとうに、間に合ってますので。し、失礼します」
「待て待て、なにも逃げることはなかろうが」
退路を塞ぐその声には、責める色がまるでなかった。あるのは善意だけだ。ただし、今はそれがいちばん怖い。
「お主のそのカバン、いつ見ても大層重たそうで、前から心配しておったんじゃ。
学生の本分は勉学なれど、その量の教科書をひとりで背負わせるのは酷というものよ。
……じゃがな、自転車のカゴに乗せてしまえば、そのカバンも羽根のように軽う感じるはずじゃぞ。
どうじゃ、1台?ここからお主の家まで、1kmはあるじゃろう。歩けば15分。
じゃが自転車なら、ひとっ飛びじゃ。……な?どうじゃ?」
語りながら、尊は焦点の合わぬ瞳をゆらり、ゆらりと泳がせ、1歩、また1歩と間合いを詰めてくる。
親切の押し売りは、決まった振り幅で折り返す振り子のように、
きっかり30秒で頭出しへ戻った。勉強を労い、寒さを案じ、カバンを心配し――どの入口から始まっても、出口は必ず「どうじゃ、1台?」へ繋がっている。
少年はじり、じりと後ずさり、やがて背中が固いものに当たった。
石垣だ。ごつごつした石の冷たさが、シャツ越しに背骨まで染みてくる。
もう、下がれる場所がない。喉の奥から小さな悲鳴がせり上がりかけた――
まさに、その時だった。
坂の上から、レジ袋のかさりと乾いた擦過音が降ってきた。悪い夢のような夕暮れの中で、それだけが、確かな生活の側の音だった。
「――母さん!なにしてるの!?」
買い物袋を両手に2つ提げたおせちの声が、夕闇に1本の切れ目を入れた。
鋭い。だがその鋭さの芯にあるのは怒りではなく、何度目かを数えるのもやめた現場へ駆けつけた者の、深い深い諦めだった。
「……ごめんね、ヒグチくん。急いでたとこだよね。――母さん、もう帰るよ。家で、さなたちが待ってるんだから」
少年へ詫びの目配せを送るのと、
……サッ!
と母の細い腕を搦め取るのは、ほとんど同時だった。
おせちは問答無用の握力でその体をくるりと半回転させる。小柄な和装の抵抗など、
最初から勘定に入れていない手際だった。
「なにを言うか、おせち。わしはな、ヒグチくんの帰り道が楽になるようにと、自転車をじゃな……」
「はいはい、わかったから」
おせちは母の弁明を、提げ直した袋ごと腕で受け流した。
「……その話、あと1回でもしたら、夕飯の唐揚げ減らすからね。――ヒグチくん、ホントにごめんね。1人で帰れる?暗いから、気をつけて」
「あ、はい……だ、大丈夫です」
深々と頭を下げるおせち。その隣で尊は、もう誰も立っていない虚空へ向かって「自転車……カゴ……」と、途切れた提案の残骸を呟き続けている。
おせちはその小さな背中を、抵抗ごと押さえ込むようにして、門の奥へと連行していった。




