issue#06 I I I Little Talks CHAPTER 02 26
だがその返事は、彼女のどこにも着地しなかった。
言葉が届く前に蒸発したのか。それとも彼女の世界には、
最初からこの銀色の相棒が存在していないのか。尊はひとつ頷くと、
まったく澄んだ顔のまま、次の話題へ橋を架けた。
「そうかそうか。……ところで、近頃はめっきり日の落ちるのも早うなって、
寒さも増したのう。風邪なぞひいておらんか?1枚多めに着込んでおくんじゃぞ」
3度目の問いだった。勉強。自転車。風邪。会話のキャッチボール自体は続いているのに、
少年の投げ返した球だけが、毎回、途中でどこかへ消えていく。
「は、はい……元気です。おばさんこそ、気をつけてください。……じゃあ、僕、これで……」
戸惑いながらもそう答え、少年はハンドルをそっと進行方向へ戻した。肌の表面を刺すだけの夕暮れの冷気とは、まるで質の違う何か――服の内側へ直接入り込み、背骨の際をゆっくりと撫で上げてくる冷たさが、この時すでに、彼の背中を登りはじめていた。
「うむ。何よりじゃ、健康が1番じゃ」
尊は深く、あまりにも深く頷いた。夕焼けの赤が、その瞳の表面で燃えている。
――表面で、だけ。
硝子玉に映り込んだ炎のように、光はどこまでも上滑りして、奥へは1mmも届いていない。
彼女は腕を組み直した。そして、たった今この場に天啓が降りてきたと言わんばかりの、
曇りひとつない顔つきになって、膝でも打ちそうな調子で言い放った。
「寒さ対策にはのう、自転車を漕ぐのが1番効くんじゃ。
……ほれ、わが家に1台あるのは知っておろう?あれは、いらんか。
あれさえあれば、体なんぞすぐ温まるぞ」
少年の喉の奥で、ひゅっと息が詰まった。
恐ろしいのは、これが「繰り返し」ですらないことだった。彼女の内側でこの提案は、
紛れもなく、たった今生まれたての新しい話題として会話へ接続されている。
つまり、ほんの数10秒前のやり取りは――水書きの紙に書いた文字が、
乾いた端からすうっと消えていくように、彼女の中から跡形もなく揮発しているのだ。
理解は、恐怖より1歩遅れて追いついてきた。
目の前にいるのは、近所のよく知ったおばさんではない。おばさんの輪郭だけをそっくり保ったまま、
こちらの言葉が一切内側へ届かなくなった、別のなにかだ。




