issue#06 I I I Little Talks CHAPTER 02 05
だがその誓いは、朝露のごとく儚く消え去った。
翌朝。
「じゃ、行ってくるからな!」
「行ってきまーす!」
娘たちが登校し、玄関のドアが閉まった瞬間。 布団の中で死んだように眠っていたはずの尊の目が、
カッ!
と見開かれた。
「……行ったか」
彼女は跳ね起きると、素早い動作でタンスの奥を探る。そこには、
へそくりとして隠していた1万円札が、数枚だけ残されていた。
「ふふふ……。甘いのう、おせちよ。母の財源を完全に把握したつもりでおるとは。……さて、今日はいよいよお楽しみの新装開店日じゃ!」
尊は鼻歌交じりに着替えを済ませると、足取りも軽く、裏口からこっそりと抜け出した。
その背中は、この世界を救い続けた英雄のそれではなかった。ただの、射幸心に憑りつかれた駄目な大人の姿だった。
*
黄昏時。西向きの窓という窓が燃え残りの陽を照り返し、
白走の住宅街は、古い写真のようなセピア色へゆっくりと沈みつつあった。
電柱の影は道路を渡りきるほど長く伸び、どこかの家の換気扇から、
夕餉の支度の匂いが路地へ薄く流れてくる。
その坂道をさなは急いでいた。夕飯の食材で膨らんだレジ袋を提げ、つま先を地面から浅く離した、
いつもの浮遊移動で。歩くより速く、走るより静かな、彼女専用の帰り道を演出している。
体がゆらりと上下するたび、袋の中で食材がかさりと鳴り、持ち手が振り子のように揺れた。
「あらぁ、さなちゃん。こんばんは!」
横合いからの声に、さなは浮力を解く。
着地した足が慣性を殺しきれず、2、3歩ぶん小さく滑ってから止まる。
振り向けば、近所に住む世話焼きの主婦、タナカさんだった。
「……あっ、タナカさん。こんばんは!」
さなは肩をすぼめ、愛想よくぺこりと頭を下げる。
「お夕飯のお買い物?えらいわねぇ」
「はい、ちょっとそこのスーパーまで」
婦人はレジ袋の膨らみへ目を細め、それから、世間話の続きといった気軽さで言葉を継いだ。
「そういえば……お母さん、最近なんだか、お元気そうねぇ」
「……えっ?」
思いがけない方向からの話題に、さなの相槌がひとつ遅れる。
「ほら、最近は戦いもないでしょう?だから……なのかしらねぇ?」
婦人は頬に手を当て、のんびりと首をかしげてみせる。
「あ、いえ……それは、どうなんでしょう……」
さなも、つられて小首をかしげた。おかしい。家では小遣いを凍結され、財布を取り上げられ、
布団とソファを往復するだけの母だ。その姿と「お元気そう」という目撃談は、
別々の箱から出てきたパズルのピースのように、どこを合わせても噛み合わない。
「今日のお昼過ぎだったかしら。駅前の『ニューベガス』で、お見かけしたのよ」




