issue#06 I I I Little Talks CHAPTER 01 04
客用トイレのそれと見紛う扉の奥には、古民家風の穏やかな内装とは決定的に断絶した、異質な空間が広がっている。 床を這い回る極太の動力ケーブル、積み上げられた無骨なバッテリーサーバー、
そして明滅するコンソール。木の温もりに満ちた部屋に、SF映画のセットを無理やりねじ込んだような強烈なミスマッチがそこにはあった。
その中心に、姿見のようなフレームを持つ巨大な装置が鎮座している。
「……出力安定。座標固定完了でちゅ」
さきほどまで客席を走り回っていたはずのマクロブランクが、いつの間にかこちらの部屋へ移動し、
触手を忙しなく動かしてコンソールの数値をいじくり回していた。物理的な結線と、
情報的な座標計算を同時にこなすその手際は、まさに天才のそれだ。
フレームの内側には、薄い紫色の膜が張られている。だが、その鏡面が映し出しているのは、
店内の風景でも、窓の外に広がるニュー・ジャマメの昼空でもない。
そこに浮かんでいたのは、障子戸と、見慣れた掛け軸――ここから1万km以上離れた場所にあるはずの、日本家屋の座敷だった。
「うむ。ご苦労じゃ」
尊は短く労うと、躊躇なくその鏡面へと足を踏み入れる。 波紋が広がり、
豪奢な着物の裾が紫の光に飲み込まれていく。次の瞬間。 彼女の足裏は、
アフリカ大陸の床材ではなく、極東の島国にある吉濱家の畳を、さも当然のように踏みしめていた。
……そう。この味わい深いカフェ「レイジ・アゲインスト・ザ・ナノマシン」の正体は、
単なる喫茶店ではない。
今後、世界政府の中枢機能を持つニュー・ジャマメと、日本の実家とを頻繁に行き来する必要性を予見した吉濱家が、秘密裏に現地の土地建物を買い上げ、大規模な改装を施した「カルテット・マジコ専用・空間転移ゲート設置拠点」だったのである。
「……ふぅ」
ゲートの揺らぎを抜け、そのままの足で、吉濱尊は自宅の玄関をくぐり抜けた。
アフリカの乾燥した熱気とは異なる、日本の、それも夕暮れ時の湿り気を帯びた穏やかな空気が肌を包む。
尊は、江戸小紋の裾を捌き、履き慣れた下駄の音をカラン、コロンと響かせながら、
白走市の住宅街をのんびりと歩き出した。カラスが鳴き、どこかの家から培養肉の焼き魚の匂いが漂う。世界政府がどうだ、ナノマシンがどうだという喧騒が嘘のように、「世はおしなべて事もなし」を体現する無欠の光景がそこには取り戻されていた。
(……子らも、もうわしの手助けなど要らぬほどに強くなった)
惑星そのものと殴り合い、銀河の脅威を退けて帰ってきた娘たち。
その成長を頼もしく思うと同時に、胸の奥で、張り詰めていた糸がプツリと切れる音がした。
(ならば……わしもそろそろ、よいのではないか?守護者としての役目を終え、
余生を気ままに貪る……『隠居』というやつを決め込んでも……)
その甘美な響きが、脳髄に染み渡る。 尊は口元を緩ませ、西の空に沈む夕日に向かって、
誰に言うでもなく呟いた。
「……うむ。隠居じゃ。今日からわしは、ただの『ご隠居』になるぞ」




