狂乱伯爵
「くそ! くそっ!」
自室で罵っている男を紹介せねばならない。
二十代半ばで金髪碧眼。
顔立ちは整っており、身長も高いためご婦人からの評判がいいはずの男だ。
しかし事情を知っている者からすれば愚か者の代名詞に近く、直接の面識がない人間すら、名を知れば鼻で笑うことだろう。
名をアリウス伯爵。
れっきとした高位貴族の一人なのだが、よせばいいのに調子に乗った馬鹿だ。
「どいつもこいつも! 私の言うとおりにしないから!」
アリウス最大の欠点は客観視が出来ないことだろう。
父と後継者だった兄が相次いで病死したため、爵位が転がり込んできたところまではよかった。
だが自分が考え付いた素晴らしい案を、どれだけ譜代の家臣たちから反対されようが強行し、案の定失敗して下り坂を転がっている最中だった。
そして救いようがないことに、政策の失敗を自分の責任ではなく、反対した家臣たちが協力しなかったからだと思う、重度の他責思考まで併せ持っているときたものだ。
これでは近隣の諸侯から、馬鹿の代名詞として扱われているのも無理はなく、実権だって政策の失敗を契機に、家臣たちに事実上取り上げられていた。
「なにが予算に限りがあるだ!」
特に痛かったのは、アリウスの意見で予算が通らないことだろう。
お陰で孤児院に素晴らしい【商品】があると聞いても、家臣から遠回しに、誰かさんのせいで金がありませんと嫌味を言われるだけだ。
それで問題だったのは、アリウスの面倒臭い性格と失策が、ある程度は有名だったことである。
腐っても伯爵家の権威を利用したい者にとって、これほど便利な男はいない。
「なんとお労しい……」
「だ、誰だ貴様⁉」
突然、アリウスの私室に布切れを全身に纏った男が現れ、心底労わるような声を発したが、流石のアリウスも同情の言葉だけでは、危機感を上回ることはない。
筈だった。
「逆心の者達から貴方様をお助けするために参上いたしました」
不審者は正確にアリウスの状況を把握している。
実権を取り上げられて事実上幽閉状態に近い伯爵は、元々の愚かさに加えて猜疑心が育まれている。
更にそれを発散する場や機会もないため、一種の狂気的な心理状態であり、方向性を持たせるとそのまま突き進んでくれる状態だ。
「きちんと調査しましたが、貴方様の政策にはなんの落ち度もありませんでした。ただ一点……信じるべきでない者に任せざるを得なかったがために、貴方様の素晴らしい政策が潰されたのです」
「な、なに?」
「重ねて申し上げましょう。貴方様は被害者なのです。愚かで道理を弁えぬ者達さえいなければ、間違いなく名君として歴史に刻まれるでしょう。そしてそれは、今からでも遅くありません」
「そ、それは……そうだが」
甘言とは言葉通り甘いらしい。
どう見ても不審者を相手にアリウスは、言われた通りだと肯定してしまうではないか。
(単に愚かという言葉では足りんな……)
これには不審者の方が拍子抜けして、利用する存在の扱いやすさになんとも言えない感情を抱く。
「よろしければ我々が貴方様の偉業をお手伝いさせてください。そして、永久に偉大なる者としての名を刻みつけてください」
(偉大なる愚か者としてな)
とは言え不審者も仕事を終わらせる必要があるため、力強い言葉でアリウスに語り掛ける。
「う、うむ。ならば城の家臣を皆殺しにせよ」
「は、はい?」
そして呆気にとられた。
「私の邪魔をしたと言うのならば明確な反逆だ。反逆者は処刑されねばならない」
(ちょっと馬鹿さ加減を見誤ってたかもしれん!)
雨の日には雨が降るから外に出ない。
そんな気軽さで紡がれたアリウスの言葉に、不審者が僅かに気圧される。
(こちらにも準備というものがある!)
不審者の手にかかれば、確かに城の家臣を皆殺しにするのは容易い。
しかし彼の方にも予定や計画というものが存在しており、いきなり行政を破綻させるつもりはなかった。
「アリウス様、懲罰とは積み重ねた絶望が必要になります。単に殺しただけでは貴方様の気持ちも晴れないことでしょう。是非、その準備を私にご命令ください」
「ふむ……よかろう。なら代わりに女だ。孤児院にいる女が私のためだけに存在する程に美しいらしい」
(こいつ殺したい……)
やんわりとアリウスを押しとどめた不審者は、早くも堪忍袋の緒が切れそうだった。
果たしてこれは自分と同じ人という種なのか。ひょっとして理性無き敵性種族が偶々伯爵家に紛れ込み、何とか人間らしい姿をしているのでは。
そんな妄想が一瞬だけ頭を通り過ぎてしまう。
「分かりました」
「うむ。急げよ」
(やっぱ殺してえ……)
面倒なことにまだ多少の時間と協力関係が必要なため、不審者は時間稼ぎとして女の発注を了承する。
ただ、不審者は被害者や気苦労人なんて言える者ではなかった。
用件を済ませた男は闇に紛れて伯爵城を抜け出し、そのまま下水道に繋がる道を進む。
腐臭が酷いため人を寄せ付けず、管理も大雑把な場所は、彼らのような者には得難い場所だ。
その奥で奇妙な人影がいた。
例えるなら人と魚を無理矢理合体させた悪夢の産物か。
目は横に突き、首もとにはエラらしき器官。指は水かきが広がり、足は尾鰭がくっ付いている醜悪な姿だ。
そんな怪物が男を見つけたが、気にせず横を通り過ぎる。
男もまた気にすることなく進み続けると、秘密裏に拡張した大きな空間に出た。
悍ましいの一言だ。
天井からは解体された人体の一部や頭部が吊り下げられ、隅では先程の半魚人擬きが人体の一部を喰らっている。
更に中央には複数の人骨が積み重なり、血で描かれた魔法陣のようなものまである。
一目で邪教の祭壇だと分かる場所で男は主に報告するため膝をついた。
「ご報告いたします」
「うむ」
金や銀で装飾された仰々しい服を纏っているが、顔だけは丁度影に隠れている主が頷く。
「仰る通りアリウス伯爵は愚か者で、私の言葉を信じ切っております」
「うむ」
「ただ……」
「どうした?」
「即座に家臣を殺せと言われ、復讐には我慢が重要だと諭しましたが……想定以上に愚かかと……」
「はあ……」
主は前半部分を満足そうに聞き、問題点には深い、そして不快溜息を吐いた。
「扱いやすいのはいいことだが、想定外のことをされると困る。監視は怠るなよ」
「はい。それとですが、どうも孤児院の職員が熱心に売り込んでいた女に興味があるらしく、家臣の代わりに要求されました」
「……」
「どうされました?」
報告を続ける男は、主が困ったように首を傾げたことに疑問を覚えた。
「その女には心当たりがある。利用価値がある故、別の美しい女……は簡単には見つからないか。仕方ない。家臣の誰かを一人だけ殺させてやれ」
「はっ。ではそのように」
(はて、利用価値とは?)
別の命令を下された男は、主の呟きで新たな疑問が湧き出たが、わざわざぼかされた言葉を聞けば叱責を受けるだろう。
そのため男は家臣を殺させないために女を準備しようとして、結局は振り出しに戻るのだった。
(それでは死んでも行政に影響はなく、いなくなっても必要以上の騒ぎにならない。さりとて馬鹿伯爵が満足する家臣を狙え……ということか。また難しいことを仰る)
ただし多少の苦情が心に浮かぶ程度は絶対服従という訳ではなく、面倒なことを言われた不満が僅かに存在した。
「あえ?」
その時、回らない呂律が彼らの耳に入って来た。
魔法陣の中心に寝かされていた三十代半ばの男が意識を取り戻し、状況を正しく判断しようとしたが……。
「あ? あ、あ、ぎゃあああああああああああああ!」
魔法陣が赤く発行すると、男の体から水分が抜き取られたかのように、肌が萎んで目玉が落ち、瞬く間に乾燥したミイラが出来上がった。
「やはり人種は脆弱すぎる。エルフのような魔力はなく、ドワーフのような頑強さもない。恩寵を授かり、このような器から脱却する必要がある」
「はい」
「そして領主が邪法に関わっているなら、それだけで概念の防御が弱まる。領民を生贄に捧げる好機なのだ」
人をナニカへの贄に捧げた悍ましい集団は、弱々しい体を捨て去ることを望んでいた。
尤も男の話はこれで終わらない。
彼は多少地位があって、アリウスに恨まれていて、その上で急にいなくなっても多少の時間が稼げる男を何とか見つけ出し、彼の下まで連れて行く仕事がある。
「偉大なるアリウス伯爵様、申し訳ありません。女の方が少々手古摺っておりますので、貴方様の邪魔をした者を代わりに連れてまいりました」
「おお……」
「むぐうっ! むごおおおお!」
その難題を何とか解決した男は、アリウスがいる地下室に特殊な呪いをかけ、人が寄り付かない場所を作り出して頭を下げる。
その傍らには猿轡もされている男が横たわり、恐怖で脂汗を流していた。
「貴様め! 貴様め!」
正直なところその家臣は下っ端に近く、アリウスも殆ど面識がないのだが、もう正気とは言い難い狂気の伯爵は、言われるがままに家臣を踏みつけた。
ゴッゴッと頭は何度も硬い地面に打ち付けられ、その度に家臣の意識が遠くに誘われる。
「足を引っ張りおって! この裏切り者め! 下郎! 反逆者!」
正気ではない伯爵が薄暗い場所で狂乱していた。




