第6話 京都からの監査
第6話 京都からの監査
パパン!
お立ち会い! 内なる不満を見事に鎮め、鎌倉府の土台を盤石なものとした我らが管領・上杉憲実! しかし、関東の地でいかに威を張ろうとも、その頭上には常に、天のごとく君臨する絶対的な権力者が存在するのでございます。
室町幕府、京都本社! 武力と財力を独占するこの巨大組織から、ついに鎌倉府の「財務の健全性」を問う、冷酷無比なる監査の使者が遣わされました!
関東の自治を守るため、若き管領は知略の限りを尽くして幕府の追及に立ち向かう! まあ、当時の評定の間には、幕府の使者が纏う高価な香の匂いと、帳簿の数字を誤魔化そうと冷や汗を流す役人たちの、油と大豆の入り混じったような酸っぱい臭いが充満し、そりゃあ胃が縮み上がるような光景であったに違いありませんなァ!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)
これぞ、天下を分かつ知と知の激突!
さあさあ、不折の管領、波乱の第六席でございます!
*
異様に濃厚で、どこか冷たい沈香の匂いが、鎌倉府の広間に満ちていた。
上杉憲実は、冷え切った板の間に正座し、上座に座る黒衣の僧侶を静かに見据えていた。
満済。
醍醐寺座主にして、室町幕府の最高顧問。「黒衣の宰相」とも呼ばれるこの男は、現代で言うならば、巨大親会社から支社の不正を暴きにやってきた、最も冷酷で有能なオーディター(監査役)である。
「管領殿。先日の『一万の大行軍』、京都でも噂になっておりますぞ」
満済は、最高級の琥珀の数珠を指先で弾きながら、薄い笑みを浮かべた。
チャキ、チャキ。
まるで算盤の珠を弾くかのように、完璧なリズムで硬い琥珀が鳴る。
「公方様は『源氏の誇り』とやらを示すために、ずいぶんと派手な軍費を使われたようですね。しかし、幕府に届く鎌倉府の年貢の額は、年々目減りしている。これはいかなる理屈にございましょうか?」
満済の声は低く穏やかだが、その裏には「数字の辻褄が合わなければ、鎌倉府の経営陣を即座に粛清する」という絶対的な資本の暴力が透けて見えた。
憲実は、膝の上で握りしめた拳の関節が白くなるのを隠し、極限まで声のトーンを落として答えた。
「……先の大行軍につきましては、領内の治安維持を目的とした小規模な演習に過ぎませぬ。また、年貢の目減りは、昨今の天候不順による不作が原因にございます」
「ほう。天候不順、ですか」
満済は懐から、一枚の薄い和紙を取り出した。紙が擦れる、冷たく乾いた音が響く。
「ならば、この数字はどう説明されますか。下野国における兵糧の強制徴発、ならびに箱根関の関税引き上げの通達。これらは全て、公方様が軍事費を捻出するための『無理な搾取』ではないのですか? もしそうであれば、鎌倉府は幕府の定めた財政規律を大きく逸脱していることになりますが」
満済が提示した数字は、鎌倉府の内部でしか知り得ない極秘のデータだった。
憲実は、左の目尻を指の腹で強く揉み込みたい衝動に駆られた。
(……三浦時高か、あるいは岩松か。社内の誰かが、京都に内部情報を売り払っている)
完全に退路を断たれた状況。ここで下手に嘘をつけば、満済の完璧なロジックによって一瞬で論破され、鎌倉府は「謀反の疑いあり」として幕府軍の討伐を受ける。
憲実は、ゆっくりと頭を下げた。
「……満済様のお示しになった数字は、事実でございます」
「憲実!」
憲実の背後で控えていた一色直兼が、耐えきれずに怒声を上げた。
「京都の使者にへりくだる必要などない! 我が鎌倉府の財をどう使おうと、公方様の御勝手であろう!」
バサッ! と一色が軍扇を鳴らす。
その瞬間、満済の弾いていた数珠の音がピタリと止まった。
「……公方様の御勝手。なるほど、それが鎌倉府の総意ですか」
満済の目が、氷のように冷え切る。その場の空気が凍りつき、一色すらも言葉を失った。
このままでは、文字通り会社が潰れる。
憲実は、額が板の間に触れるほど深く平伏し、腹の底から声を絞り出した。
「一色の発言は、現場の無知ゆえの戯言にございます! 関税の引き上げは、東国の物流を整備し、結果的に幕府への納税額を増やすための先行投資。必ずや、来季の数字をもって証明してご覧に入れます!」
「……来季の数字、ですか」
満済は再び数珠を弾き始めた。チャキ、チャキ、という音が、少しだけリズムを緩める。
「よろしい。有能な管領殿の言葉、信じましょう。ただし、来年の秋、約束の数字が揃わねば……その時は、公方様ご自身に京都へご説明に来ていただきます。これは、公儀の決定です」
それは、事実上の「最後通牒」だった。
満済が立ち去った後、憲実は自室の机の前に座り込み、深くため息をついた。
机の上には、すでに山内上杉家家宰・長尾景仲によって、新たな書類の山が積まれている。
「憲実様」
景仲が、感情のない声で告げた。
「来年の秋までに幕府へ納める税を二割増しにするための、各部署への予算削減案です。明日の朝までに、全てにハンコを。……拒否権はありません」
ドン、と。青銅の印章が机に置かれる。
憲実は、懐の「出家願」をカサリと鳴らしながら、死んだような目で景仲を見上げた。
「……無い袖は振れん。これ以上現場を削れば、一色や他の連中が必ず暴走するぞ」
「ええ。その社内調整と火消しも、管領であるあなたの仕事です。あなたが坊主になろうが、その頭に管領の帽子を被せて、調整の会議に座らせるだけです。さあ、墨をお擦りください」
憲実は小さく息を吐き、左の目尻を指の腹で強く揉むと、冷え切った硯に墨を擦り始めた。
ガリ、ガリ、ガリ。
かすれた重い音が、京都からの圧力と社内の不満に挟まれた、終わりのない残業の始まりを告げていた。
*
パパン!
「おお、なんたる知将! 幕府の最高顧問という巨大な圧力を前にしても一歩も引かず、鎌倉府の窮地を論理と覚悟で救い出した管領・憲実! その見事な弁舌に、さしもの黒衣の宰相も舌を巻いて引き下がったのでございます!
これぞ、東国武士の誇りと知恵の結晶! しかし、約束された来季の税収という、新たな重い十字架を背負うこととなった鎌倉府!
果たして、若き管領はこの難題をいかにして乗り越えるのか! 見事なる忠臣の知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」




