第5話 下請けの怒号
第5話 下請けの怒号
パパン!
お立ち会い! 上に立つ者が大言壮語を吐くとき、そのしわ寄せを真っ先に食らうのは、いつの時代も泥に塗れて働く現場の者たちでございます。
上杉持房の策により、突如として三倍に跳ね上がった箱根関の通行税! 天下に鎌倉府の威信を示すためのこの一手が、東国の国人衆……すなわち鎌倉府を支える下働きたちの猛烈なる怒りを買いました。
怒髪天を衝く猛将たちが、武器を手に鎌倉へと押し寄せる! 一触即発、内乱の危機! しかし、我らが管領・上杉憲実は、この荒れ狂う刃の前に丸腰で進み出て、誠心誠意の対話をもって東国武士の「絆」を深め合ったのでございます。
まあ、当時の管領邸には、激怒する男たちの汗と泥の臭いが充満し、対応に追われる憲実殿の胃袋は、千切れるような痛みを放っていたに違いありませんなァ!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)
これぞ、命を懸けた誠の交渉!
さあさあ、不折の管領、波乱の第五席でございます!
*
ドガンッ!
分厚い木製の割符が、憲実の目の前で天板に乱暴に叩きつけられた。
乾いた木と木が激突する重い打撃音が、関東管領邸の執務室にビリビリと響き渡り、ささくれた木の破片が憲実の頬を掠めた。
「管領殿! これは一体どういうおつもりか!」
下野国の有力国人、小山持政。
鎌倉府の軍事行動のたびに兵と物資を拠出している、言わば最大手の「下請け業者」である彼が、血走った目で憲実を見下ろしていた。
「先月の討伐戦で我が小山党が立て替えた兵糧の代金、いまだに一文も振り込まれておらぬ! その上、箱根の関税が突然三倍だと? ふざけるな! これでは我が領内の商いも物流も完全に干上がるわ!」
怒号と共に、小山の背後で控える屈強な武者たちが、腰の太刀の柄をギリギリと握りしめる。濃密な土埃の匂いと、獣のような殺気が室内を満たしていた。
憲実の横では、金庫番の青木勘解由が、すり減った筆を震える手で握りしめ、ペチャ、と情けない音を立てて舐めている。
「お、小山殿……。現在、鎌倉府の金庫には、その、一文も……」
「黙れ! 公方様は『源氏の血脈』だの『京都への意地』だのと立派な口上を並べるがな、誇りで飯は食えねえんだ! 払うものが払えぬのなら、今すぐ鎌倉府との縁を切らせてもらう!」
小山が再び割符を机に叩きつける。
憲実は、胃袋の裏側を熱鉄で焼かれるような痛みに耐えながら、静かに息を吐いた。
(……持房のバカめ。見ろ、言わんこっちゃない)
脳内では、あの上層部の軽薄な算盤の音と、この現場の怒号の落差に、深い絶望の計算式が組み上がっていた。
小山党が離反すれば、連鎖的に他の国人衆も鎌倉府を見限る。関税による目先の利益など、三日も経たずに下請けのストライキによる巨大な損失に食いつぶされる。
今ここで「公方様のご決定である」などと権威を振りかざせば、小山は躊躇なく刀を抜く。
憲実は、両手をつき、冷たい板の間に額が触れる寸前の角度まで、深く頭を下げた。
「……小山殿の激怒、ごもっともにございます。当方の不手際、平にご容赦を」
一切の感情を排した、しかし完璧に理を弁えた低く響く声だった。
「謝罪で米が買えるか! 今すぐ未払い分を耳を揃えて払え!」
「青木の申す通り、現在金庫は空にございます。しかし、小山殿への支払いを反故にするつもりは毛頭ございませぬ」
憲実は顔を上げ、自身の脳内で組み立てた「リスクヘッジ」の数字を淡々と提示した。
「未払い分につきましては、来季、小山殿が鎌倉府へ納める年貢から全額相殺という形を取らせていただきます。さらに、今回の関税引き上げの補填として、小山党の荷を運ぶ商人には、箱根関の『通行免除の特別証文』を当方の責任において発行いたします」
「……通行免除だと?」
「はい。これにより、小山殿の物流の損益は帳消し、むしろ他国に対して優位に立つことができましょう」
小山の目が、一瞬だけ鋭く細められた。
怒り狂ってはいるが、小山もまた領地を治める実務家である。憲実の提示した条件が、現金払いと同等、あるいはそれ以上の実利を生むという計算を一瞬で理解したのだ。
「……管領殿がそこまで自ら手形を切るというのなら、今回は矛を収めよう。だが、次はないと思え」
小山は乱暴に割符を懐にねじ込むと、武者たちを引き連れて足音荒く退出していった。
静寂が戻った執務室で、憲実は深く、長く息を吐き出し、左の目尻を指の腹で強く揉んだ。疲労で全身の骨が軋むようだった。
直垂の懐に手を入れる。そこにある麻の紙の「出家願」が、カサリと音を立てる。これを出して、すべてを投げ出してしまいたい。
「見事な火消しにございました、憲実様」
いつの間にか、長尾景仲が傍らに立っていた。その手には、次々とクシャクシャになった紙の束が握られている。紙が擦れる乾いた音がする。
「しかし、小山殿に特別証文を出したとなれば、他の国人衆も黙ってはおりません。すでに門の外には、同様のクレームを抱えた国人たちの使者が列をなしております」
ドン、と。
景仲が机の上に置いたのは、青銅製の重い「印章」と、山のような特別免除の白紙の証文だった。
「明日の朝までに、全ての国人衆との個別交渉と、裏契約の証文にハンコを。この矛盾だらけのシステムを破綻させずに回し続けるのが、我々の職分です。……拒否権はありません」
「景仲……」
憲実は死んだ魚のような目で景仲を見上げた。共感ゼロのデスゲーム。この男は、憲実が過労で倒れるギリギリのラインを見極め、一切の容赦なく実務を詰め込んでくる。
「さあ、墨をお擦りください」
憲実は小さく息を吐き、冷え切った硯に墨を擦り始めた。
ガリ、ガリ、ガリ。
下請けの怒号を鎮めるための、果てしのない裏工作の書類作り。かすれた重い墨の音が、深夜の鎌倉府に虚しく響き続けた。
*
パパン!
「おお、なんたる胆力! なんたる誠意! 激怒する猛将を前に一歩も退かず、見事なる理を以て説き伏せた管領・憲実! 己の身を挺して東国武士たちの不満を収め、鎌倉府の崩壊を防ぐその姿、まさに天下の柱石でございます!
そして、その傍らには常に、主君を正しい実務へと導く筆頭重臣・長尾景仲の姿が! ……まあ、自らは決して矢面に立たず、火消しが終わった直後に次なる書類の山を押し付けるその手腕、ある意味で最も恐るべき忠臣と言えましょうなァ!
さあ、難局を乗り越え、ますます結束を固めた鎌倉府! この美しき主従の前に、次なる歴史の大波がいかに押し寄せるのか! 見事なる忠臣の知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」




