第4話 ライバルの算盤
第4話 ライバルの算盤
パパン!
お立ち会い! 前代未聞の大行軍を完遂し、鎌倉府の権威を天下に知らしめた我らが関東管領・上杉憲実! しかし、才気煥発なる若虎の前に立ちはだかるのは、外なる敵ばかりではございません。
組織とは、有能なる者が集うほどに、己の知略と覇道を競い合う修羅の場と化すもの。鎌倉府にもまた、憲実殿に勝るとも劣らぬもう一人の天才が牙を剥いていたのでございます!
二人の若き知将の激突! ……まあ、当時の現場では、互いの才を認め合うどころか、底冷えのするような鉄の算盤の音が、互いの寿命を削り合うように響いていたと申す者もおりますが、それもまた武士の熱き研鑽というものでございましょう!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)
さあさあ、不折の管領、波乱の第四席でございます!
*
パチ、パチ、パチ。
極度に研ぎ澄まされた、冷徹な金属音が静寂な評定の間に響いていた。
犬懸上杉家の若き当主、上杉持房。
憲実と同じく冷徹な実務能力を持ちながら、そのベクトルを「組織の維持」ではなく「自身の権力拡大」へと全振りしている男。現代で言うならば、競合他社からヘッドハンティングされてきた、もう一人の超有能で危険な野心家CFOである。
持房は、手元の鉄製の算盤を高速で弾きながら、上座の足利持氏へと言葉を放った。
「公方様。先の大行軍、真に見事な威風にございました。京都の小童どもも、さぞや肝を冷やしたことでしょう。しかし、天下の覇権を確固たるものにするためには、さらなる財源が不可欠。そこで某から、ひとつの策を具申いたします」
「申せ、持房」
持氏は、自身の承認欲求を完璧に満たす言葉の数々に、すっかり気を良くしている。
「箱根関の通行税を、現在の三倍に引き上げることです。東と西を結ぶ大動脈、その動脈を公方様の権威によって握りしめる。これぞ、京都に対する最大の示威行動となりましょう」
パチリ、と。持房が算盤の珠を弾き終える。
その瞬間、下座に控えていた憲実の胃の腑が、ギリリと音を立てて捻り上げられた。
(関税の三倍引き上げだと? 正気か?)
憲実の脳内で、瞬時に最悪の予測データが構築される。
現在、鎌倉府の財政をギリギリで支えているのは、東国を行き交う商人たちからの税収である。それを突然三倍に引き上げればどうなるか。
物流は確実に停滞し、物価は高騰する。結果として一時的な税収は増えるかもしれないが、半年後には商人たちが箱根を避け、別ルートを開拓するか、最悪の場合は鎌倉府を見限る。
持房の策は、組織の未来を食いつぶす「劇薬」であり、ただ目先の数字を作って自身の出世のダシにするための悪手でしかない。
「素晴らしい案ではないか! それでこそ我が鎌倉府の威信よ!」
持氏が大刀の鞘をカチャカチャと鳴らし、無邪気に喜ぶ。
「お待ちくだされ、公方様」
憲実は、冷や汗で額を濡らしながら、畳に手をついて進み出た。
「箱根関の関税引き上げは、危険にございます。急激な税の引き上げは商人の離反を招き、長期的には鎌倉府の首を絞めることになります。ここは一先ず、既存の税収の無駄を見直すことから……」
「管領殿は、ずいぶんと弱腰ですな」
持房が、冷笑を浮かべながら憲実の言葉を遮った。
「商人風情の顔色を窺い、公方様の御威光を狭めようなどと。それは、京都に媚びるための言い訳ではございませぬか?」
「な……」
「公方様。憲実殿は、どうやら計算ばかりに囚われ、武門の『誇り』を見失っておられるようです。ここは某にお任せくだされば、確実に財源を確保してみせます」
持房の冷酷な視線が、憲実を射抜く。
持房は、持氏が「誇り」という単語にどれほど弱いか、そして「京都に媚びる」という言葉がどれほどの着火剤になるかを、完全に計算し尽くしている。
「うむ。持房の申す通りよ。憲実、少しは武門の意地というものを持て!」
持氏の怒号が響き、バチバチと炭取りの火の粉が爆ぜた。
憲実は、膝の上で強く握りしめた拳の関節が白く変色するのを、必死に袖で隠した。
(この男……自分の出世のためなら、組織がどうなってもいいというのか)
論理が、野心と精神論の前に敗北した瞬間だった。
持房の算盤の音が、憲実の実務を完全に叩き潰したのだ。
「……御意にございます」
声の起伏を完全に殺し、憲実は深く頭を下げた。冷たい畳の目が、再び額に食い込む。
自身の執務室へと戻った憲実を待っていたのは、すでに「関税引き上げ」の通達を書くための、冷え切った硯だった。
その横に、長尾景仲が、感情の一切消えた目で立っている。
「憲実様」
景仲の懐から、関税引き上げの通達書が取り出され、机の上に並べられる。
「持房殿の策により、箱根関の関税引き上げが決定しました。明日の朝までに、全ての商人への通達書にハンコを。……拒否権はありません」
ドン、と。
景仲が机の上に置いた青銅製の「印章」が、鈍い音を立てる。
「景仲」
憲実は、直垂の懐に手を入れた。麻の紙でできた「出家願」が、カサリと擦れる音がする。
「……こんな悪法を通せば、商人が黙っていない。明日には必ず暴動まがいのクレームが来るぞ」
「ええ。そのクレーム対応と事後処理も、全て管領であるあなたの仕事です。あなたが坊主になろうが、その頭に管領の帽子を被せて、クレーム対応の窓口に座らせるだけです。さあ、墨をお擦りください」
逃げたい超有能と、逃がさない現実の悪魔。
憲実は小さく息を吐き、左の目尻を指の腹で強く揉むと、冷え切った硯に墨を擦り始めた。
ガリ、ガリ、ガリ。
かすれた重い音が、深夜の鎌倉府に虚しく響き続ける。
(また、無駄な仕事が増えるだけだ)
遠くで、持房の弾く鉄の算盤の音が、憲実の寿命を削るかのようにパチパチと響いていた。
*
パパン!
「おお、なんたる知略の応酬! 若き管領・上杉憲実と、野心あふれる俊英・上杉持房! 二人の天才が、公方様を支えるために己の知恵を尽くしてぶつかり合うその姿!
これぞ、武門の誉れ! 切磋琢磨し合う若き獅子たちの熱き闘志でございます! ……まあ、関税の急激な引き上げにより、東国の商人たちがどれほどの血の涙を流し、その怨嗟の声を誰が一手に引き受けたかなど、歴史の表舞台には残らぬ些末なことにございますなァ!
さあ、持房の策により、さらなる財源を得た鎌倉府! この決断が、後にいかなる波乱を呼ぶのか! 見事なる忠臣たちの知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」




