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不折の管領  作者: あめたす


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第37話 風見鶏の寝返り

第37話 風見鶏の寝返り


 パパン!


 お立ち会い! 戦において散りゆく者があれば、いけしゃあしゃあと寝返り、甘い汁を吸おうとする輩も必ず現れるものでございます!

 狂気の社内警察・憲直が討ち死にした直後、管領・上杉憲実殿の陣営に、一人の男がヘラヘラと笑いながら合流してまいりました! その名も、新田の一族でありながら、風見鶏のごとく寝返りを繰り返す男、岩松持国(いわまつもちくに)!

 まあ、当時の謁見の間には、持国殿が持ち込んだ安い酒の饐(す)えた匂いと、寝返りの言い訳を並べ立てる彼の口から飛ぶ唾の湿った音が響き、そりゃあ憲実殿の胃の腑がキリキリと音を立てていたに違いありませんなァ!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)

 これぞ、乱世を泳ぐ日和見主義者の、見事なる変わり身!

 さあさあ、不折の管領、波乱の第三十七席でございます!


     *


「いやァ、管領殿! お見事な弓の采配! あの狂犬の憲直めが、見事にハリネズミになっておりましたなァ!」


 上野国・平井城の謁見の間。

 下座に平伏することもなく、胡座(あぐら)をかいてゲラゲラと笑っているのは、武蔵・上野に勢力を持つ国人、岩松持国であった。

 数日前まで足利持氏の「京都討伐軍」に名を連ねていたはずの彼は、今川軍の圧倒的な進撃と憲実の寝返りを知るや否や、部下たちを置き去りにして単騎でこちらへ鞍替えしてきたのだ。


「某は最初から、持氏公の狂気にはついていけぬと思っておりましてな! やはり、関東を統べるのは合理的な管領殿しかおられませぬ! どうです、某の兵三百、格安で雇っていただけませぬか?」


 ペラペラと回る舌。悪気など微塵もない、純粋な「利益への嗅覚」だけで動く男。

 上杉憲実は、冷たい板の間に正座したまま、死んだ魚のような目で岩松の顔を眺めていた。


(……この男の兵三百など、現在の戦局において何一つ物理的な価値を持たない。ただの兵糧の無駄食い(コスト)だ)


 憲実は、感情の起伏を完全に殺した低い声で答えた。


「岩松殿。貴殿の寝返りは歓迎する。だが、現在我が軍の兵糧備蓄率は危険水域にある。貴殿の兵を養うカロリーの余裕はない」


「おや、それはお困りでしょう! ですがご安心を。某、近隣の村からいくらでも食糧を『調達』してくる術を心得ておりますゆえ!」


 つまり、略奪の許可を寄越せと言っているのだ。

 憲実は、膝の上で関節が真っ白になるほど拳を握った。

 これ以上、無秩序な略奪を許せば、来年以降の関東の生産インフラは完全に崩壊する。


「憲実様」


 長尾景仲が足音もなく現れた。その手には、またしても新たな決裁書類が握られている。


「岩松殿の帰順書、および彼への『当座の軍資金支給証書』です」


 ドン、と。

 景仲が、木製の天板に青銅製の重い「印章(ハンコ)」を置いた。


「……景仲。この男に払う金などないはずだが」


「ええ。ですから、この支給証書は『京都本社からの恩賞が下りた際に支払う』という、実体のない手形(約束手形)です。彼のような風見鶏には、物理的な銭ではなく、未来の幻想(ファンタジー)を食わせておけばいいのです」


 景仲は、岩松には聞こえない小声で、冷徹なカラクリを説明した。


「彼のような無能でも、今は『京都側(こちら)に寝返る国人が増えている』という政治的プロパガンダの数字として利用価値があります。彼をここで斬れば、他の日和見主義者たちが持氏側についてしまいます」


 景仲の目は、氷のように冷たい。


「あなたが京都の傘下に入った以上、こうしたクズどももシステムの中に組み込んで管理しなければなりません。あなたが坊主になろうが、その頭に管領の帽子を被せて、空手形にハンコを押させるだけです。……直ちに決裁を。拒否権はありません」


 逃げたい超有能と、絶対に逃がさない現実の悪魔。

 憲実は、直垂(ひたたれ)の懐にある麻の紙の「出家願」がカサリと鳴るのを感じながら、震える手を硯(すずり)へと伸ばした。


 ガリ、ガリ、ガリ。


 ガツン、ガツン。


 何の役にも立たない風見鶏に、無価値な空手形を発行する決裁書類。平井城の謁見の間に、かすれた墨の音と、非情なるハンコを叩きつける鈍い音だけが、岩松のゲスな笑い声に混じって虚しく響き続けた。


     *


 パパン!


「おお、なんたる器の大きさ! かつての敵をも受け入れ、関東の平穏のために泥を呑む管領・憲実の海より深き慈悲!

 寝返りという不義理を働く者すらも、大局のために使いこなすその手腕! これぞ、乱世を統べる真のリーダーの姿でございます!

 ……まあ、その慈悲の裏で、長尾景仲が一切の物理的対価(銭)を払わず、紙切れ一枚で岩松を飼い殺す算段を完璧に整えていたなど、歴史の美しき軍記には記されぬ些末なことにございますなァ!

 さあ、風見鶏すらも味方につけ、着々と地盤を固める山内上杉軍! 一方、孤立を深める持氏公の元では、いかなる悲劇が巻き起こるのか! 見事なる忠臣の知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」


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