第36話 社内警察の最期
第36話 社内警察の最期
パパン!
お立ち会い! 組織が崩壊へと向かう時、最も厄介なのは、最後まで己の『正義』と『誇り』を盲信する者たちでございます!
管領・上杉憲実殿の陣営に、突如として牙を剥いたのは、持氏公の思想に深く洗脳された社内警察のごとき男・上杉憲直!
彼は「裏切り者に天誅を!」と叫びながら、わずかな手勢を率いて憲実殿の陣へと決死の突撃を敢行するのでございます! しかし、待ち受けるのは、武士の誉れとは無縁の、あまりにも冷徹な物理的弾幕!
まあ、当時の陣屋の周辺には、憲直軍の馬が踏みしめる泥の跳ねる音と、放たれた矢が肉を貫く凄惨な湿った音が鳴り響き、そりゃあ目を背けたくなるような一方的な殺戮の場であったに違いありませんなァ!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)
これぞ、精神論が合理の前に散りゆく、無慈悲なる戦場の掟!
さあさあ、不折の管領、波乱の第三十六席でございます!
*
「逆賊・憲実! 源氏の恩を仇で返す恥知らずめ、この憲直が天に代わって成敗してくれるわ!」
上野国・平井城の外縁部。
火山灰が混じる泥濘の原野を、上杉憲直が率いる五百の軍勢が、狂気じみた雄叫びと共に突撃してくる。
憲直は、持氏の「歴史と誇り」という強固なファンタジーに脳まで洗脳された、いわば鎌倉府の『社内警察(コンプライアンス担当)』であった。彼にとって、京都本社へ寝返った憲実は、組織のルールを破った絶対に許せぬ絶対悪である。
城の櫓の上から、上杉憲実は死んだ魚のような目で、その突撃を無表情に見下ろしていた。
「憲実様」
横に控える長尾景仲が、木簡を見ながら淡々と報告する。
「敵の数は五百。全員が長槍を持ち、密集陣形での歩兵突撃です。彼らの目的は、あなたを物理的に排除することのみ。降伏の意思はゼロと推測されます」
「……馬鹿な男だ。この泥濘で密集陣形など、ただの的ではないか」
憲実は、感情の起伏を完全に殺した低い声で呟いた。
彼の脳内では、敵の移動速度、泥による足の遅れ、そして自軍の弓隊の射程距離が、冷徹な物理演算によって処理されている。
「弓隊、構え」
憲実のボソボソとした指令が伝令によって響き渡ると、城壁に配備された山内上杉軍の弓兵千人が、一斉に弦を引き絞った。
ギリリリリ、と弓のきしむ乾いた音が、平井城を包み込む。
「名乗りを上げよ! 我こそは、関東公方様に忠義を尽くす……!」
憲直が、泥に足を取られながらも、大声で武士としての「名乗り」を上げようとした、その瞬間。
「……放て」
憲実の、一切の感傷を含まない一言。
ヒュルルルルルンッ!
千本の矢が、黒い雨となって空を覆い尽くし、憲直の軍勢へと正確に降り注いだ。
「名乗り」という古いしきたりが完了するのを待つなどという、非合理的な真似は一切しない。敵が射程圏内に入り、最も命中率が高いタイミングで、最大限の物理的ダメージを与える。ただそれだけの事務処理である。
「ぐわぁぁっ!」
「ひ、退けっ……!」
密集していた憲直の兵たちは、避ける間もなく次々と矢の餌食となり、泥濘の中に沈んでいく。
「怯むな! 逆賊を討ち果たせば、我らの名は永遠に……ガッ!」
憲直の叫びは、その口に突き刺さった一本の矢によって、物理的に遮断された。
彼は白目を剥き、ドシャリと泥の中に倒れ伏した。彼が信じた「忠義」も「誇り」も、圧倒的な数の暴力(合理)の前に、わずか数分で完全にすり潰されたのだ。
「……敵将の物理的活動の停止を確認しました」
景仲が、無機質な声で報告する。
憲実は、自身の左の目尻を指の腹で強く揉み込み、深く息を吐き出した。
「生存者の追撃は不要だ。矢の無駄遣いになる。……遺体の回収と、泥の清掃作業の手配をしろ」
そこに、かつての同族を殺した感慨はない。ただ、「暴走した社内警察というバグ」のデバッグ作業が完了したという事実があるだけだ。
憲実は、冷え切った直垂の袖を払い、再び果てのない残業(事後処理)が待つ執務室へと足を向けた。
*
パパン!
「おお、なんたる無情なる幕切れ! 主君への熱き忠義を胸に、己の命を投げ打って突撃した上杉憲直!
しかし、その誇り高き魂の叫びは、天才管領・憲実の放つ冷徹なる矢の雨の前に、無惨にも掻き消されてしまったのでございます!
これぞ、情け容赦なき乱世の現実! 古き良き武士の誇りが、新しい時代の合理の前にすり潰されていく、その残酷なる瞬間にございます!
……まあ、その合理的な弾幕の裏で、泥濘に倒れ伏した憲直の亡骸が、どのように事務的に片付けられていったかなど、歴史の美しき軍記には記されぬ些末なことにございますなァ!
さあ、次々と排除されていく持氏派の武将たち! 果たして、関東に真の平穏が訪れる日は来るのか! 見事なる忠臣の知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」




