第32話 ハゲタカの進軍
第32話 ハゲタカの進軍
パパン!
お立ち会い! 乱世において、最も恐ろしき敵とは誰か。それは、誇り高き武将でも、狂気に駆られた暴君でもございません。
勝つ戦しかせず、情け容赦なく利を貪る「計算された暴力」こそが、真の恐怖なのでございます!
駿河の国より、京都本社の先陣として鎌倉府へ牙を剥いた今川範忠! 給与の遅配など一切ない、完全に統制された傭兵軍団が、飢えに苦しむ持氏公の拠点を次々と蹂躙していくのでございます!
まあ、当時の戦場には、今川の兵たちが放つ油の染み込んだ新しい鎧の匂いと、無惨に踏みにじられた関東兵たちの生臭い血の臭いが立ち込め、そりゃあ地獄の窯の蓋が開いたような凄惨さであったに違いありませんなァ!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)
これぞ、大義なき戦場に舞い降りた、冷酷なるハゲタカの行軍!
さあさあ、不折の管領、波乱の第三十二席でございます!
*
ザッ、ザッ、ザッ。
駿河国境から箱根へと続く街道を、一糸乱れぬ行軍の足音が進んでいく。
京都本社の先鋒として派遣された、駿河守護・今川範忠の軍勢である。
彼らの装備は、鎌倉府の急造の竹槍部隊とは比較にならない。最新の武具、十分な防寒具、そして後方から絶え間なく運ばれてくる莫大な兵糧米。
彼らは「大義」や「誇り」で動いているのではない。京都から約束された「確実な恩賞」と、「給与の完全支給」という物理的な対価によって駆動する、完璧な戦争機械であった。
「よォし、止まれ」
馬上の今川範忠が、扇子を軽く振る。
眼下には、灰にまみれ、飢えに苦しむ鎌倉府の国人衆が守る小さな砦が見える。
「あの砦の兵力は?」
「はっ。およそ五百。しかし、まともな食事を三日は摂っていない模様です」
「ふん。投資対効果が良すぎるな」
範忠は、冷笑を浮かべた。
「火矢を放ち、周囲の森ごと焼け。中から逃げ出してきた奴らを、弓で物理的に間引け。決して白兵戦には付き合うな。自軍の損耗は一パーセント未満に抑えろ」
情け容赦のない、一方的な蹂躙の指示。
精神論を振りかざす鎌倉の武士たちに対し、今川軍は「いかに低コストで敵を処理するか」という冷徹な作業を遂行していくだけだ。
ヒュン、ヒュン、ヒュン!
放たれた無数の火矢が、乾いた灰と木々に引火し、砦をあっという間に炎の海へと変える。
熱気と煙に追われ、咳き込みながら飛び出してきた関東の兵たちは、今川軍の統制された弓隊によって、次々と蜂の巣にされていった。
「……ッ、今川の犬め! 武士の誇りはないのか!」
全身に矢を浴びた鎌倉の部将が、血を吐きながら叫ぶ。
しかし、範忠は馬上で欠伸を噛み殺しながら、その断末魔を冷ややかに見下ろしていた。
「誇りで矢は防げねぇよ、田舎侍が。……はい、作業終了。次の拠点へ向かうぞ」
一方、上野国・平井城。
上杉憲実は、冷え切った執務室で、今川軍の圧倒的な進撃速度を示す報告書に目を通していた。
「……今川の奴ら、三日で五つの砦を落としたか。自軍の損耗はほぼゼロ。完全に、美味しいところだけを刈り取っていくハゲタカの動きだな」
憲実は、死んだ魚のような目で、報告書を机の端へ追いやった。
「憲実様」
長尾景仲が、足音もなく現れた。その手には、今川軍の進路を示す地図と、新たな決済書類が握られている。
「今川軍は、このままの速度で進めば、明後日には箱根の防衛線に到達します。あそこには、公方様の命を受けた木戸範実殿の軍勢が布陣しております」
景仲の言葉に、憲実は微かに眉を動かした。木戸は、かつて憲実が身銭を切ってストライキを鎮めた現場の指揮官である。
「我々山内上杉軍に対する、京都からの追加命令です。今川軍の進撃をサポートするため、我々も木戸軍の背後を突くように、と」
ドン、と。
青銅製の重い「印章」が、木製の天板を軋ませる。
「……景仲。俺は、かつて私財を投じて救った部下を、今度は自分の手で物理的にすり潰せというのか」
「はい。組織のフェーズが変わった以上、過去の投資は全てサンクコスト(埋没費用)として切り捨てなければなりません。あなたが坊主になろうが、その頭に管領の帽子を被せて、かつての部下を殺す書類にサインさせるだけです。さあ、夜が明けます。墨をお擦りください」
逃げたい超有能と、絶対に逃がさない現実の悪魔。
憲実は、直垂の懐にある「出家願」がカサリと鳴るのを感じながら、震える手を硯へと伸ばした。
ガリ、ガリ、ガリ。
ガツン、ガツン。
ハゲタカの蹂躙を支援し、かつての部下を切り捨てるための決裁書類。深夜の平井城に、かすれた墨の音と、絶望のハンコを叩きつける鈍い音だけが、虚しく響き続けた。
*
パパン!
「おお、なんたる冷酷なる戦場! 大義も名誉もなき、ただただ利を貪る今川軍の無慈悲なる進撃!
そして、その今川を助けるため、かつて己が身を呈して救った部下へ刃を向けねばならぬ管領・憲実の、血を吐くような苦悩!
これぞ、乱世の理不尽! 組織という巨大な歯車に組み込まれた者は、己の感情を殺し、ただただ冷徹な決断を下すしかないのでございます!
……まあ、その涙の決断の裏で、長尾景仲が顔色一つ変えずに自軍の損耗を抑える算段を整えていたなど、歴史の美しき絵巻には残らぬ些末なことにございますなァ!
さあ、迫り来るハゲタカの群れ! 箱根の防衛線を守る木戸範実は、いかにしてこの窮地を凌ぐのか! 見事なる忠臣の知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」




