第31話 本社の包囲網
第31話 本社の包囲網
パパン!
お立ち会い! これより物語は、血と炎の全面戦争【決断・激突編】へと突入いたします!
管領・上杉憲実殿の離脱により、完全に補給を断たれた鎌倉公方・足利持氏公! 箱根の灰の海で立ち往生するその御前に、ついに京都本社・室町幕府の正規軍が、圧倒的なる威容をもって姿を現したのでございます!
天下を統べる幕府の巨大な武力。それは、源氏の誇りに燃える持氏公といえども、容易には撥ね返せぬ鋼鉄の壁!
……まあ、当時の本陣には、空腹で動けなくなった兵たちが泥水をすする音と、幕府軍が突きつけてきた容赦のない『降伏勧告書』の冷たい紙の擦れる音が交錯し、そりゃあ胃の腑が凍りつくような絶望感であったに違いありませんなァ!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)
これぞ、天下の覇権を懸けた、巨大なる力の激突!
さあさあ、不折の管領、波乱の第三十一席でございます!
*
箱根・足柄山中の持氏本陣。
火山灰に覆われた灰色の景色の中で、鎌倉府の軍勢は完全に物理的機能を停止していた。
管領・上杉憲実の「寝返り」と、それに伴う長尾景仲の「補給線の完全切断」により、十万と号した軍勢は飢えと寒さで次々と脱落し、今や戦闘可能な人員は数千にまで激減している。
「おのれ、憲実……! 源氏の恩を忘れ、京都の犬になりおって!」
鎌倉公方・足利持氏は、泥にまみれた陣幕の中で、ギラギラと不必要に磨き上げられた大刀の鞘をカチャカチャと鳴らしながら、血走った目で咆哮した。
彼の脳内では、未だに「正義は我にあり」「誇り高き戦い」というファンタジーが稼働し続けているが、現実の数字は冷酷である。
「公方様……」
泥まみれの伝令が、足を引きずりながら駆け込んできた。その顔は、極度の恐怖に歪んでいる。
「京都より派遣された幕府の正規軍、およそ三万。すでに我々の背後、駿河口を完全に封鎖いたしました。さらに、相模方面からも別働隊が接近中……。我々は、完全に包囲されました」
「なんだと……!」
持氏の足元で、湿った薪がボスッと鈍い音を立てて崩れた。
これが、「京都本社」の圧倒的な資本力(武力)であった。
鎌倉の地方支社が、精神論と見栄だけでかき集めた急造の軍勢とは根本的に違う。完全な兵站、最新の武具、そして何より「朝敵討伐」という絶対的な大義名分を持った正規の労働力(兵士)たち。
圧倒的な質量差の前に、鎌倉府の脆弱さが無惨に露呈した瞬間だった。
一方、その頃。
上野国・平井城に退避していた上杉憲実の元にも、幕府軍到着の報せが届いていた。
冷え切った執務室で、憲実は無表情のまま机の上に置かれた算木を弾いている。
(……幕府軍三万。持氏の残存兵力数千。地形的優位は完全に幕府側にある。戦闘が始まれば、持氏軍の全滅確率は九十九・九パーセントに収束する)
カチャ。
算木が一つ、盤の端に落とされた。
「憲実様」
長尾景仲が、足音もなく現れた。その手には、京都の監査役・満済からの書状が握られている。
「幕府軍総大将より、我ら山内上杉軍に対する『持氏軍の退路遮断』の命令書です。……つまり、我々に持氏公の背後を突け、という業務命令です」
ドン、と。
景仲が机の上に置いたのは、青銅製の重い「印章」だった。
「……景仲。俺に、かつての主君を直接手にかける役回りをやれと言うのか」
「はい。本社(京都)に寝返った以上、新しいシステムに対して『忠誠という名の成果』を物理的に提出しなければなりません。我々が手を下さねば、今度は我々が『裏切り者』として本社の粛清対象になります」
景仲の目は、氷のように冷たい。
「あなたが坊主になろうが、その頭に管領の帽子を被せて、かつての仲間を背後から撃つ命令書にサインさせるだけです。明日の朝までに決裁を。……拒否権はありません」
逃げたい超有能と、絶対に逃がさない現実の悪魔。
憲実は、直垂の懐にある麻の紙の「出家願」がカサリと擦れる音を聞きながら、震える手を硯へと伸ばした。
ガリ、ガリ、ガリ。
ガツン、ガツン。
生き延びるため、自らの手でかつてのトップを完全に包囲する。深夜の平井城に、かすれた墨の音と、非情なる討伐の決裁書類にハンコを叩きつける鈍い音だけが、虚しく響き続けた。
*
パパン!
「おお、なんたる過酷なる運命! かつての主君を討つため、自らその退路を塞ぐという血を吐くような決断を下した管領・憲実!
これぞ、関東の平穏という大局のため、己の心を鬼にして修羅の道を歩む東国武士の壮絶なる覚悟でございます! そして、その非情な実務を裏で完璧に整える長尾景仲!
……まあ、その涙の決断の裏で、かつての同僚たちを背後から物理的にすり潰すという血も涙もない包囲網が、着々と構築されていたなど、歴史の美しき軍記には記されぬ些末なことにございますなァ!
さあ、完全に包囲された鎌倉公方・足利持氏! 絶体絶命の窮地に、いかなる決断を下すのか! 見事なる忠臣の知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」




