第24話 インサイダーの誘い
第24話 インサイダーの誘い
パパン!
お立ち会い! 組織が大きく傾く時、忠義の仮面の下で己の野心を研ぎ澄ます者たちが必ず現れるものでございます。
無謀なる京都進軍の号令が関東を駆け巡る中、相模の有力武将・三浦時高が、管領・上杉憲実殿に密かなる接触を図ってまいりました! その口から語られるは、鎌倉府の行く末を案じるがゆえの、あまりにも危険な誘い!
……まあ、当時の密会の座敷には、三浦殿が持ち込んだ高価な酒の甘い匂いと、その裏に潜む血生臭い裏切りの匂いがねっとりと絡み合い、憲実殿の胃の腑をギリギリと締め上げていたに違いありませんなァ!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)
これぞ、乱世を生き抜く東国武士のしたたかなる腹芸!
さあさあ、不折の管領、波乱の第二十四席でございます!
*
深夜。鎌倉の管領邸の裏口に、ひっそりと乗り付けられた一両の輿から、相模の国人衆の筆頭格である三浦時高が姿を現した。
憲実は、灯りを極限まで落とした奥の座敷で、彼を無表情に迎えた。
三浦は、人の良さそうな笑みを浮かべながら、高価な酒の入った徳利を自ら傾ける。トクトクトクという音が、不気味なほど静かな座敷に響いた。
「管領殿。連日の激務、まことにお疲れ様にございます。今宵は、酒でも酌み交わしながら、腹を割って話そうではありませぬか」
三浦の目は、笑いながらも蛇のように冷たく憲実の反応を値踏みしている。
憲実は、注がれた酒に口をつけることなく、死んだ魚のような目で三浦を見返した。
「……三浦殿。単刀直入に伺おう。この時期に、管領の屋敷へ密かに足を運ばれた理由は何か」
「ふふ、流石は管領殿、話が早い」
三浦は、ニチャリと嫌な音を立てて酒をすすると、身体を乗り出してきた。
「このまま十万の兵を動かせば、鎌倉府は確実に破綻します。兵糧も道もない灰の海で、我らは無駄死にするだけだ。……管領殿も、本当はそうお考えなのでしょう?」
「……」
憲実は答えない。肯定すれば反逆罪、否定すれば無能の烙印を押される。完全な沈黙だけが、今の彼に許されたリスクマネジメントだった。
三浦は、憲実の沈黙を肯定と受け取り、声を潜めた。
「管領殿。……泥舟が沈むと分かっているのなら、沈む前に一番良い救命艇に乗るのが賢い大人のやり方ですぞ。某はすでに、京都の室町殿(本社)と密かに話を付けております」
インサイダー取引の持ちかけ。
三浦は、完全に鎌倉府(会社)を見限っていた。
「公方様を見限り、我らと共に京都側へ寝返りませんか。管領殿が内側から鎌倉府の金庫を完全に凍結させれば、戦にならずに公方様は自滅する。その見返りとして、我らで関東の恩賞(ポストと領地)を山分けにするのです」
それは、数字の上では最も「低コストで確実な生存戦略」であった。
持氏という狂ったトップを物理的にシステムから排除し、新しい本社(京都)の傘下に入れば、無駄な残業(戦争)も、灰の海での餓死も防げる。
憲実の直垂の懐で、麻の紙の「出家願」がカサリと音を立てた。
この男の手を取れば、全てが終わる。
「……三浦殿のご提案、実に論理的だ」
憲実の言葉に、三浦の顔が喜色に染まりかけた。しかし、憲実は左の目尻を指の腹で強く揉み込み、冷え切った声で続けた。
「だが、お断りする」
「……な、なぜです! 公方様と共に沈むおつもりか!」
「俺が今、内部から金庫を凍結させれば、明日には前線の兵たちが飢えて暴動を起こす。公方様が自滅する前に、末端の領民たちが物理的にすり潰されるのだ。俺は、これ以上自分のハンコで現場を殺す気はない」
それは、忠義でもなんでもない。ただ「システムが崩壊した際の、末端の損害賠償」を冷徹に計算した結果の拒絶だった。
三浦は舌打ちをし、スッと立ち上がった。
「……愚かな。貴殿は賢い方だと思っていたが、所詮はしきたりに縛られた山犬だったか。では、いずれ戦場でお会いしましょうぞ」
三浦が去った後の座敷で、憲実は冷めた酒の匂いに吐き気を覚えながら、深く息を吐き出した。
そこへ、長尾景仲が足音もなく現れる。
「憲実様。三浦殿との密談、耳に入りました」
「……なら、俺が寝返らなかった理由も分かるだろう」
「ええ。ですが、三浦殿が離反したことで、軍資金の調達ルートが一つ物理的に消滅しました。その穴埋めのための、武蔵の農民への追加徴収令です」
ドン、と。
青銅製の重い「印章」が、木製の天板を軋ませる。
「あなたが裏切りを拒否しようが、この泥舟を漕ぎ続けるための犠牲は常に発生します。さあ、夜が明けます。墨をお擦りください」
逃げたい超有能と、逃がさない現実の悪魔。
ガリ、ガリ、ガリ。
裏切りを拒絶した代償として、さらに末端を絞り上げるための決裁書類にハンコを叩きつける音だけが、深夜の鎌倉府に虚しく響き続けた。
*
パパン!
「おお、なんたる高潔なる忠義! 己の利益を約束された甘い誘いにも決して乗らず、主君との絆を選び取った管領・憲実!
裏切りという楽な道ではなく、いばらの道を歩むことを決意したその背中には、東国武士の誇りがまばゆいばかりに輝いておりました!
……まあ、その誇り高き決断の裏で、足りなくなった軍資金を埋めるために、現場の農民たちがさらに泥水をすすることになったなど、歴史の美しき軍記には記されぬ些末なことにございますなァ!
さあ、裏切りの影が忍び寄る中、揺るぎなき忠義を貫く若き管領! 見事なる忠臣の知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」




