第22話 大義という名の狂気
第22話 大義という名の狂気
パパン!
お立ち会い! 天災という未曾有の苦難を乗り越え、結束を固めた鎌倉府! しかし、真の英雄たるもの、守りに入るだけでは天下を動かすことは叶いません。
源氏の正統なる血脈・足利持氏公は、灰に覆われた関東の地を前に、ついに京都本社を討つという大いなる決断を下されたのでございます!
まあ、当時の評定の間には、復興のためにかき集められた泥まみれの銭のひどく生臭い金属臭と、公方様が振り回す大刀の油の匂い、そして役人たちが放つ胃酸の酸っぱい臭いが入り混じり、そりゃあ胃の腑が裏返るような重圧が立ち込めていたに違いありませんなァ!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)
これぞ、天下に覇を唱える東国武士の壮絶なる大義!
さあさあ、不折の管領、波乱の第二十二席でございます!
*
バチバチ、と。
評定の間に置かれた炭取りの火の粉が、乾いた音を立てて爆ぜた。
鎌倉公方・足利持氏は、上座でギラギラと不必要に磨き上げられた大刀の鞘をカチャカチャと鳴らし、下座に積まれた木箱を見下ろしている。
その木箱の中には、管領・上杉憲実が相模や武蔵の国人衆に頭を下げ、文字通り彼らの血と泥を絞り出してかき集めた「富士山噴火の災害復興予算」の銅銭が詰まっていた。
「見事である、憲実! これほどの銭が直ちに集まるとは、関東の武将どもも余の威光にひれ伏しておる証拠よ!」
持氏の声は、異様な高揚感に満ちていた。
憲実は、冷たい板の間に平伏したまま、畳の目をじっと見つめていた。その脳内では、この銅銭をどの村の用水路修復に回し、どの宿場の食糧支援に充てるかという、一文単位の冷徹な再配分スケジュールが組まれている。
「これより、この銭を全額、軍資金に振り替える!」
持氏の口から放たれたその音声データが、憲実の脳内の計算式を物理的に粉砕した。
「……は?」
「余は決断した。この富士の噴火は、天が『偽りの将軍を討て』と余に下した啓示である! 復旧など後回しでよい。この銭で兵を雇い、武具を揃え、一気に京都へ攻め上るのだ!」
「おおお! 流石は公方様! この灰の海を越え、源氏の白旗を京都に突き立てましょうぞ!」
一色直兼が、無意味に軍扇を激しく振り下ろして同調する。バサッという風切り音が、憲実の鼓膜を不快に叩いた。
(……正気か。この男たちは、物理法則というものを理解していないのか)
憲実は、胃の腑を雑巾のように絞り上げられる激痛に耐え、板の間に額をこすりつけるようにして進み出た。
「公方様。恐れながら申し上げます」
声の起伏を完全に殺した、ビジネス敬語。
「現在、足柄から駿河にかけての街道は、膝の高さまで火山灰が堆積しており、荷車の通行は物理的に不可能です。また、農地が壊滅しているため、現地での兵糧調達はできません。復興予算を軍事に転用したところで、十万の軍勢は箱根を越える前に兵站が破綻し、全滅いたします」
「管領は、またそのような細々とした数字の話か!」
持氏が、不快げに畳を蹴り鳴らした。
「道が灰で埋もれておるなら、気合いで灰を払って進めばよい! 兵糧が足りねば、誇りを胸に飢えに耐えよ! 天下を統べる大義の前に、道幅や米の数など些末なことよ!」
会話のピントが、完全にすれ違っている。
持氏が「大義」「天の啓示」という実体のない抽象概念で軍を動かそうとするのに対し、憲実は「堆積した灰の厚さ」「兵糧の消費カロリー」という唯物論的な数字で引き留めようとする。
しかし、決定権を持つのは「見栄」に狂ったトップである。
チャキ、と。
持氏が、大刀の鯉口を数寸切った。冷たい刃の輝きが、憲実の視界の端に映る。
「憲実。お前は、余の大義に反対するのか?」
ここでロジックを貫けば、首が飛ぶ。生存確率ゼロの選択肢だ。
憲実は、呼吸を極限まで浅くし、喉の奥で全ての言葉を押し殺した。
「……御意にございます。当方の見通しが甘うございました。直ちに、軍資金への転用手続きに入ります」
深夜の関東管領邸・執務室。
憲実が、泥にまみれた被災地の復旧計画書を一枚ずつ破り捨てていると、長尾景仲が足音もなく姿を現した。
その手には、次々とクシャクシャになった新たな紙の束が握られている。
「憲実様」
景仲は、破り捨てられた紙片を一瞥しただけで、無表情のまま机の上に和紙を積み上げた。
「復興予算の軍事転用に伴う、帳簿の書き換え指示書。並びに、復旧支援を反故にされた国人衆からの暴動を防ぐための、武蔵・相模全域への『戒厳令』の布告書です」
ドン、と。
景仲が机の上に置いたのは、青銅製の重い「印章」だった。
「……景仲。俺が頭を下げて集めた銭だぞ。被災して泥水をすする連中に『復興に使う』と約束して巻き上げた銭だ。それを、不可能と分かりきっている京都進軍に注ぎ込めと言うのか」
「はい。公方様が『大義』と名付けた以上、それは物理的な法則を凌駕する組織の絶対命令です。矛盾を抱えたまま、末端を切り捨ててシステムを回すのが我々の職分です」
景仲の目は、氷のように冷たい。
「あなたが坊主になろうが、その頭に管領の帽子を被せて、領民を裏切る書類にハンコを押し続けさせるだけです。明日の朝までに決裁を。……拒否権はありません」
憲実は、直垂の懐に手を入れた。そこにある麻の紙の「出家願」が、カサリと擦れる音がする。
逃げたい超有能と、絶対に逃がさない現実の悪魔。
憲実は、左の目尻を指の腹で血が滲むほど強く揉み込むと、冷え切った硯に墨を擦り始めた。
ガリ、ガリ、ガリ。
ガツン、ガツン。
灰に埋もれる領民を見捨て、狂気の大義のために帳簿を改ざんする。深夜の鎌倉府に、かすれた墨の音と、絶望の決裁書類にハンコを叩きつける音だけが、虚しく響き続けた。
*
パパン!
「おお、なんたる壮絶なる決断! 己が血と汗で集めた銭を、すべて主君の天下布武という大義のために捧げ尽くす管領・憲実!
これぞ、私情を捨てて大局に殉じる、真の忠臣の姿でございます! そして、その冷徹なる実務を裏で完璧に支え、一切の抜かりなく帳簿を整える長尾景仲の手腕! ……まあ、その完璧な実務の裏で、見捨てられた領民たちがどれほど涙を流し、血を吐いたかなどというものは、歴史の偉大なる絵巻には決して残らぬ些末な犠牲にございますなァ!
さあ、天の啓示を受け、ついに京都へと牙を剥く鎌倉府! 果たしてこの大軍勢は、灰の海を越えることができるのか! 見事なる忠臣の知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」




