第14話 不協和音の会議室
第14話 不協和音の会議室
パパン!
お立ち会い! 組織の命運を決するのは、常に血生臭い戦場とは限りません。主君と重臣たちが膝を突き合わせ、天下の行方を論じる「評定」の場。それもまた、言葉と知略が火花を散らす苛烈なる戦場なのでございます!
関東の覇者たる足利持氏公が、天下に御威光を示すべく新たな策を打ち出される! しかし、我らが管領・上杉憲実は、その高き理想を現実のものとするため、あえて厳しい諫言を口にするのでございます。
まあ、当時の評定の間には、重臣たちの熱気と共に、徹夜明けの男たちが放つすえた油のような臭いと、極度の緊張から滲み出た冷や汗の酸っぱい臭いが立ち込めていたに違いありませんなァ!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)
これぞ、主君を思えばこその熱き対話!
さあさあ、不折の管領、波乱の第十四席でございます!
*
バチッ、バチチッ。
巨大な炭取りの中で爆ぜる赤い火の粉が、張り詰めた評定の間の空気を焦がしていた。
上座に座る鎌倉公方・足利持氏が、不必要に磨き上げられた大刀の鞘をカチャカチャと鳴らしながら、下座の重臣たちを見下ろしている。
「聞け、皆の者。京都の小童どもが、またぞろ西国で小賢しい動きを見せておる。我が鎌倉府を牽制するつもりであろうが、源氏の棟梁たる余は、そのような安い挑発には屈せぬ! これより、武蔵と駿河の国境に新たな城砦を築き、我が軍の圧倒的な威信を示す!」
新城の築城。
その言葉が響いた瞬間、末席に控えていた上杉憲実の胃の腑が、ギリリと音を立てて捻り上げられた。
「おお! 流石は公方様! 国境に巨大な城を築けば、京都の連中も恐れをなして震え上がりましょうぞ!」
一色直兼が、全く中身のない賞賛の言葉と共に、無意味に軍扇を激しく振り下ろす。バサッ、という風切り音が、憲実の鼓膜を物理的に打った。
(……城だと? 土木工事の歩掛かりも、石材の相場も知らぬまま、何を言っているのだ、このトップは)
憲実の脳内で、瞬時に冷徹な数字が弾き出される。
現在の鎌倉府の金庫は、先日の岩松への利益供与と、奥の院の無駄な祭礼費用のせいで、文字通り空っぽである。城を一つ築くとなれば、人足の徴用だけで数千、莫大な量の木材と石材が必要になる。納期も予算もゼロの状態で、どうやって城を建てるというのか。
「公方様。恐れながら申し上げます」
憲実は、額を冷たい板の間に擦り付けるようにして進み出た。
「国境への築城は、現在の当方の財務状況では不可能にございます。石材の調達には相模の採石場を三ヶ月動かす必要があり、その間の人足の食糧だけで備蓄米の八割が消滅いたします。また、冬を目前に控えたこの時期の土木工事は、凍土の影響で工期が大幅に遅れる確率が極めて高く……」
「管領は、またそのような細々とした数字の話か!」
持氏が、不快げに畳を蹴り鳴らした。
「城を築くのは、米を食うためではない! 天下に源氏の威光を知らしめ、関東の武士たちを一つにまとめるための象徴なのだ! 石が足りねばその辺の山から切り出せばよい。人が足りねば気合いで働かせよ!」
「意地や気合いでは、石垣は積めませぬ。物理的な質量と労力には、対価としての兵糧が不可欠なのです。期限も不明確なまま着工すれば、現場は確実に崩壊いたします」
「ええい、黙れ! お前は京都を恐れておるのだ! 武門の頂点に立つ者が、商人のように算盤を弾いてどうする!」
会話のピントが、完全にすれ違っている。
持氏が「威光」や「象徴」といった実体のない抽象概念を叫ぶのに対し、憲実は「石材の量」や「備蓄米の割合」という唯物論的な数字で応じ続ける。この絶対的な不協和音は、永遠に交わることがない。
ピクッ、ピクッ。
憲実の左の目尻が、極度の疲労とストレスによって痙攣を始めた。
もはや、これ以上の説得は無意味だった。ここで論理を貫けば、「反逆」と見なされて物理的に首をはねられるだけだ。
「……御意にございます。当方の見通しが甘うございました。ただちに築城の準備に取り掛からせていただきます」
感情を完全に殺したビジネス敬語を発し、憲実は再び深く平伏した。
深夜の関東管領邸・執務室。
かすれた息を吐きながら机に向かう憲実の前に、長尾景仲が足音もなく姿を現した。
その手には、次々とクシャクシャになった紙の束が握られている。
「憲実様」
景仲は、目尻を痙攣させているナンバー2を見ても、微塵も表情を変えない。
「新城築城のための、近隣の村々への人足強制徴用令、ならびに寺社からの木材供出の命令書、計五百通です」
ドン、と。
景仲が机の上に置いたのは、青銅製の重い「印章」だった。
「明日の朝までに、全てにハンコを。……拒否権はありません」
「景仲」
憲実は、直垂の懐に手を入れた。そこにある麻の紙の「出家願」が、カサリと擦れる音がする。
「……こんな無謀な命令を出せば、農民たちが逃散するぞ。来年の田植えすらできなくなる。俺は、こんな自滅の書類にハンコは押さん」
「逃散が起きれば、逃げた者から順に切り捨てて見せしめにするだけです。我々は、公方様の決定というシステムを物理的に稼働させねばなりません」
景仲の目は、氷のように冷たかった。
「あなたが坊主になろうが、その頭に管領の帽子を被せて、ハンコを押し続けさせるだけです。個人の良心など、組織の前では無意味。さあ、夜が明けます。墨をお擦りください」
逃げたい超有能と、逃がさない現実の悪魔。
憲実は、痙攣する左の目尻を指の腹で強く押さえつけながら、冷え切った硯に墨を擦り始めた。
ガリ、ガリ、ガリ。
ガツン、ガツン。
虚妄の城を建てるための、血も涙もない搾取の決裁書類。深夜の執務室に、かすれた墨の音と、ハンコを叩きつける鈍い音だけが、虚しく響き続けた。
*
パパン!
「おお、なんたる苦心! なんたる忠実なる実務! 主君の壮大なる大望を前に、一時は諫言を呈した管領・憲実でありましたが、最後には御意を汲み、己の身を削って大事業を完遂せんと奔走するのでございます!
無い予算を捻り出し、不可能を可能にするその筆さばき! これぞ、武家の棟梁を支える最高の実務家の姿! ……まあ、深夜まで及ぶ無謀な算段の連続に、管領殿の左の目尻が引き攣りっ放しであったなどと申す者もおりますが、それもまた重責を担う者の誉れなる勲章でございましょうなァ!
さあ、威信をかけた新城の建設! この巨大事業の果てに、鎌倉府はいかなる栄光を手にするのか! 見事なる忠臣の知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」




