第12話 イエスマンの暴走
第12話 イエスマンの暴走
パパン!
お立ち会い! 管領・上杉憲実の神がかり的なる筆さばきにより、辛くも回避されたかに見えた北方の戦火。しかし、組織というものは、時に「熱き忠義」ゆえに制御不能の暴走を始めるものでございます!
公方様の御意を酌みすぎた側近、一色直兼! 彼がなんと、独断で軍勢を率いて笹川討伐へと出陣してしまったのでございます!
大義を掲げて突き進む猛将の前に、我らが管領はいかにして立ち塞がるのか! まあ、当時の街道には、無計画に動員された兵たちのすえた汗の臭いと、冷や汗を流しながら馬を駆る憲実殿の、胃袋からせり上がる酸っぱい息の臭いが入り混じっていたなどと申す者もおりますが、それもまた戦国の熱狂というものでございましょう!(ここで講談師はふと扇子を釈台に置き、己の左の目尻を指の腹で強く揉む)
これぞ、己の正義を貫く東国武士の熱き魂の激突!
さあさあ、不折の管領、波乱の第十二席でございます!
*
「なっ……一色が、軍を動かしただと!?」
関東管領邸・執務室。
徹夜明けの机に突っ伏していた上杉憲実は、飛び込んできた伝令の言葉に弾かれたように顔を上げた。
伝令の男は、泥まみれの草鞋から嫌な臭いを漂わせながら、肩で息をしている。
「は、はい! 一色様は『公方様の御心を察し、小賢しい笹川を討ち果たす!』と号令をかけ、手勢五百を率いて白河へ向けて出立なさいました!」
憲実の頭蓋の奥で、何かがブチリと音を立てて切れた。
この数日、血を吐くような思いで三種類の裏書状を作成し、京都と笹川へ必死の根回しを行って、ようやく物理的な衝突を回避したばかりだったのだ。
あのイエスマンの思いつきの行動一つで、その全てがパーになる。
(あのバカ……! 補給線を無視して軍を動かせば、三日で兵が餓死する計算もできんのか!)
憲実は、胃の腑を直接雑巾のように絞り上げられる痛みに耐えながら、瞬時に「火消し」の計算式を組み上げた。
今、一色を止めなければ、京都本社への明確な宣戦布告となる。さらに、無計画な出兵は鎌倉府の金庫を完全に空にし、連鎖的な倒産を引き起こす。
止めるしかない。物理的に。
「……景仲!」
怒号に近い憲実の声に応え、背後の襖がギイと音を立てて開いた。長尾景仲が、無表情のまま足音もなく進み出る。
「ここにおります」
「直ちに俺の直属の騎馬五十を手配しろ! 街道を先回りして、一色の軍の『兵糧』を物理的に差し押さえる! 補給線さえ断てば、あの脳筋も止まらざるを得まい」
「承知いたしました。しかし憲実様、公方様の寵臣である一色殿の軍事行動を妨害すれば、社内でのあなたの立場は決定的に悪化しますぞ」
「知るか! 会社(鎌倉府)が潰れれば立場もクソもない!」
憲実は、冷たい板の間を蹴り立てて立ち上がった。
半刻後。鎌倉から北へ向かう街道。
泥を跳ね上げながら馬を駆る憲実の耳に、前方を砂埃を上げて進む一色軍の足音が聞こえてきた。
軍と呼ぶにはあまりに無秩序な、単なる暴徒の集団。兵士たちは、ただ「気合」と「大義」だけで歩かされており、すでに疲労と空腹で足取りが重い。
「一色殿! お待ちくだされ!」
憲実は馬を飛ばし、部隊の先頭で無意味に軍扇を振り回している一色直兼の前に立ち塞がった。
「おお、管領殿ではないか! どうだ、我が軍の威容は! これで笹川の小童を蹴散らし、公方様の『誇り』をお守りするのだ!」
「軍を引かれよ、一色殿。これは公方様の正式な軍令ではなく、貴殿の独断にございます。兵糧の備えもなく北へ向かえば、兵たちは餓死しますぞ」
憲実がロジックを提示するが、一色の脳には一ミリも届かない。
「兵糧など、気合で乗り切ればよい! 武士の魂があれば、草の根を食んででも戦えるわ! 管領殿は相変わらず、数字ばかり気にして武門の意地がない!」
「意地で腹は膨れませぬ!」
憲実は、馬の背から冷徹に言い放った。
「すでに景仲の部隊が、この先にある全ての宿場町の米蔵を『管領権限』で封鎖いたしました。貴殿の軍は、これより先、一粒の米も手に入れることはできませぬ。それでも進むというなら、ご自由に」
一色の顔が、憤怒で真っ赤に染まった。
バチリ!
一色が軍扇を憲実の顔面すれすれに突きつける。
「……貴様、公方様の御意を妨害する気か! 裏切り者め!」
背後で、一色の兵たちが殺気を放ち、刀の柄に手をかける。
しかし、憲実は一歩も引かず、ただ死んだ魚のような目で一色を睨み返した。
ここで斬られればそれまで。しかし、この無駄な残業(戦争)に付き合って餓死するよりはマシだ。
「……兵たちが飢え、盗賊に成り下がる前に、鎌倉へお戻りくだされ」
圧倒的な兵糧の現実の前に、一色の「大義」は完全に無力だった。
ギリリ、と歯軋りをした一色は、ついに軍扇を下ろし、悔し紛れに唾を吐き捨てた。
「……覚えておれ、上杉憲実。この一件、必ずや公方様へ言上してやる!」
一色の軍が、砂埃を上げて鎌倉へと引き返していく。
それを見送った憲実は、馬の背で深く息を吐き、左の目尻を指の腹で強く揉んだ。胃酸がせり上がり、口の中が酸っぱかった。
「……これで、また余計な社内政治の火種が増えた」
夕暮れの街道に、冷たい風が吹き抜ける。憲実は、ただひたすらに、己の寿命のカウントダウンが早まっていくのを感じていた。
*
パパン!
「おお、なんたる知略! なんたる覚悟! 大義に燃える味方の猛将を前に、たった一騎で立ち塞がり、見事に軍を退かせた管領・憲実! 兵糧を断つという冷徹な判断の裏には、無用な血を流させまいとする深い慈愛が隠されているのでございます!
これぞ、理を以て情を制す、東国随一の知将の姿! ……まあ、同僚の軍事行動を物理的に妨害したことで、社内での管領殿の立場はさらに最悪なものとなったのでございますなァ!
さあ、内なる不和を抱えつつ、いよいよ追い詰められてゆく鎌倉府! 見事なる忠臣の知略がいかに歴史を動かすのか、次回を乞うご期待!」




