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「――おいおい、レン義兄さん。そんな神妙な顔してスープ冷ましちゃってさ。魔導学院の仕事が忙しいのかい?」


ブラウン家の狭い食卓に、朗らかな声が響いた。 声をかけたのは、キャサリンの妹ノエルの夫であり、王国の治安維持部隊で異例の若さで隊長格へと上り詰めた男――バーナート・アークライトだった。


「……いや、少し考え事をしていただけだよ、バーナート」


レンは力なく笑ってみせた。体内で静かに進行する『魔力結晶化症』の痛みを、家族に悟られないよう息を潜めて耐え忍ぶ。


「バーナート、最近は仕事が忙しいの?」


盛り付けを手伝いながら、妻のキャサリンが尋ねる。


「ああ、聞いてくれよ。このロヴァルトの街も最近は物騒でね。スラム街を拠点にしてる小悪党どもが、粗悪な違法ポーション……魔薬を売り捌いてやがるんだ。今日摘発したアジトじゃ、10万デナール以上の現生と、怪しい調合器具がごっそり押収されたよ」


「10万デナール……」


レンの手が、一瞬だけピタリと止まった。 教員の自分の年収2000デナールを遥かに超える額が、街の路地裏で一晩のうちに動いている。


「奴らの作ってる薬は粗悪品でな。飲むと一時的に魔力が跳ね上がるが、精神を蝕んで最後は廃人だ。だが、それでも飛ぶように売れる。……裏社会の金回りの良さには反吐が出るぜ」


バーナートは豪快に笑いながらパンをかじった。 その隣で、十六歳のアリシアが心配そうにレンの顔を覗き込み、自身の頬を指で叩くジェスチャーをする。 『お父さん、顔色が悪いよ』という意味だ。


「大丈夫だ、アリシア。……バーナート」


レンはふと思い立ったように、義弟の顔を見つめた。


「その……治安維持部隊の現場というものを、一度見学させてもらえないだろうか。学院での講義の資料として、違法な錬金術の現状を生徒に教えておきたいんだ」


「え? レン義兄さんが現場に?」

バーナートは意外そうに目を丸くしたが、すぐに得意げな笑みを浮かべた。


「いいぜ、お安い御用だ! 明日ちょうど、スラムの廃屋に突入する予定がある。車馬の影から見るだけなら、危険はないからな」


翌日。ロヴァルト都市の最南端、薄汚れたスラム街。

レンは治安維持部隊の重厚な魔導馬車の車内から、外の様子をうかがっていた。 革鎧に身を包んだ隊士たちが、一斉に古い二階建ての建物の扉を蹴破る。


「治安維持部隊だ! 動くな!」


怒号と、魔法が衝突する炸裂音がスラム街に響き渡った。 バーナートを先頭に隊士たちが次々と踏み込んでいく。レンは馬車を降り、隊士の建物から少し離れた路地からその光景を観察していた。

現場から運び出される押収品の中に、レンの目は釘付けになった。 濁ったガラス瓶に入った、下品な紫色の液体。フラスコ、蒸留器、でたらめな魔法陣。

……酷いな。抽出温度も不純物の分離もデタラメだ。こんな素人以下の手仕事で、あれほどの巨額が動いているのか?

レンの頭の中で、錬金術師としての冷徹な計算が始まる。 もし、自身の完璧な調合技術を使ったらどうなるか。 不純物を極限まで削ぎ落とし、脳の神経回路に直接作用させる点眼薬として精製すれば――市場に出回るどんな薬物も凌駕する、絶対的な製品ができる。

その時だった。

カチャン、と建物の二階の窓枠が跳ね上がる音がした。


「おい、上だ!」


隊士の声が飛ぶが、二階の窓から一人の若い男が滑り出し、水切り用の樋を伝って、しなやかに路地裏へと飛び降りた。

金髪の短髪、使い古された革ジャン。 男は警察の目をかいくぐり、喘ぎながらレンの隠れている路地の方向へと走ってくる。


「――っ!?」


レンはその顔を見て、息をのんだ。

アレクサンダー・オーブリー。 数年前、レンの錬金術の講義に出ていた生徒だ。要領はいいが素行が悪く、結局は学院を途中で退学していった落ちこぼれ。

アレクサンダーは逃げる途中でハッと足を止め、物陰に立つレンと視線が交錯した。


「……先生……!?」


アレクサンダーの瞳に、明らかな動揺と恐怖が走る。 追っ手の靴音が近づいてくる。レンが「あそこに逃げたぞ」と一言叫べば、アレクサンダーは即座に騎士たちに捕まり、地下牢行きだろう。

レンは静かにアレクサンダーを見つめ返した。 そして――黙って目を逸らし、何も見なかったかのように反対側を向いた。

アレクサンダーは一瞬呆然としたが、すぐさま牙を剥くように路地の闇へと消えていった。


「義兄さん! 怪しい奴は見なかったか!?」


建物の裏手からバーナートが息を切らせて走ってくる。


「……いや。誰も来なかったよ、バーナート」


レンは淡々と嘘をついた。 心臓が警鐘を鳴らすように激しく脈打っていたが、その裏側で、冷酷なまでのクリアな思考が芽生えていた。

自分の余命は、あと一年。 家族に遺す資金を稼ぐためのパズルのピースが、今、完璧に揃った瞬間だった。


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