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きっかけは【漢字辞典】〜名前の長い孤児が生きる、漢字が魔法になる世界〜   作者: 七瀬
第一章

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91.星祭りの朝と、小さな籠



カイとフィリップが帰ってきた翌朝、俺はいつものように―パコン、パコン というトム兄ちゃんが薪を割る乾いた音で目を覚ました。


薄くて硬い毛布に包まれた体を気合でベッドから出し、寒さで冷えた空気の中を小走りで食堂へと向かう。

するとすでに大きな暖炉には赤々と薪の火が着けられていて、星祭りという長期の休みでも、朝早くからみんなのために働いてくれるトム兄ちゃんの優しさが伝わってきた。

しばらくすると、カイとフィリップも眠たそうに目をこすりながら食堂にやってくる。



「よし、せっかくの星祭りだしよ。久しぶりに俺たちの仕事、やるか!」

フィリップがニヤリと笑いながら言うと、カイも「だな、俺らの仕事だもんな」と肩をすくめた。


そうして、俺たち三人は防寒着をしっかりと着込み、外の井戸へと連れ立って向かった。

一歩外に出た瞬間、凍てつくような冷たい木枯らしが頬を容赦なく叩きつける。

あまりの寒さに思わず身をギュッと震わせながら井戸のハンドルを回していると、隣で冷えた手をこすり合わせていたフィリップがぼやいてきた。



「なぁエル。お前、今は一人で水汲みやってんのか? 大変じゃねぇか?」


「あー、いや。普段は朝も夜も時間が惜しいし、いちいち汲んでられないから、諦めて魔法で水を出して済ませることが多いかな」


俺が苦笑いしながら答えると、カイは「すげぇな相変わらず……」とあきれたように笑う。


「俺も船にいる間は、生活用水を魔法で出したりするぜ」と、フィリップが桶に水を汲み上げながら会話に加わる。


「ただ、洗濯なんかは基本的には川や海の水を使って、最後の濯ぎのときだけ魔法の綺麗な水で仕上げるんだ。じゃねぇと川はともかく、海は塩で布がダメになるんだ」


「へぇ、船の上でも色々工夫があるんだな」

「それに比べて、貴族家の井戸なんてめちゃくちゃラクだぞ」と、カイは少し得意げに鼻を鳴らす。


「貴族家の水道には押すだけで水が出るレバーがついていて、重いバケツを自力で引き上げる必要なんて一切ねぇからな。

……まあ、もっとも、屋敷の洗濯場のおばちゃんたちも大半が水魔法を使えるから、結局は魔法で洗うのが主流みたいだけどさ」


他愛のない雑談を交わしながら手際よく水汲みを終え、俺はいつもの日課として洗濯場の大きなタライに張られた水に向かって指先を軽く向けた。


『温』


精神を集中させると、指先から淡い光が走り、タライの水がみるみるうちに湯気を立て始めた。お風呂よりもずっと熱い、ギリギリ火傷しないぐらいの温度に調整されているのを確認してから、汲んできた水を足していく。



食堂に戻ると、アン姉ちゃんが手際よく朝食の支度を始めていた。

昨日フィリップがお土産として持ち帰ってくれた「干し魚」が今日の朝食に使われているらしく、磯の匂いが食堂全体にふわりと満ちている。

配られたスープを口に含んだ瞬間、鰹出汁や煮干しのような、懐かしい深い旨味がぶわっと口いっぱいに広がった。


――美味しい。美味しいんだけどさ……

あぁーーーーー 味噌汁が飲みてぇ……


俺は久しぶりに日本食の記憶を盛大に恋しく思ってしまった。



朝食を終えたあとは、星祭りの恒例行事である「孤児院の大掃除」が始まった。


「女神様は綺麗好きなのよ!」というのが毎年の口癖になっているアン姉ちゃんにハキハキと急かされ、俺たちは手分けして雨漏りのしそうな箇所を確認したり、天井の隅に張った高い蜘蛛の巣を箒で払ったりしていく。

年少組の子どもたちが雑巾を持って床をピカピカに磨き上げている横で、トム兄ちゃんは大きなハンマーと木ネジを手に取り、あちこちのテーブルや椅子のガタつきをトンカンと音を立てて直していく。


ふと窓の外を見ると、ルナ姉ちゃんが外のタライで洗濯物を洗っているのが見えた。しかし風も強く、先ほど温めた水も冷えてしまったのか、みるみるうちに彼女の指先が真っ赤になっている。


「ルナ姉ちゃん、お湯が冷めたなら言ってくれればいつでも温めるのに」


俺が慌てて声をかけ指先に魔力を集中させると、ルナ姉ちゃんは冷えた頬を少し赤らめ、照れくさそうにはにかんで首を振った。

「ううん、大丈夫よ。……でも、ありがとう、エル」



大掃除が一段落すると、ルナ姉ちゃんは少し照れくさそうな顔をしながら、みんなの前に大きな包みを持ってきた。

「あのね……今年のお給料で、みんなに作ってみたの」

そう言って配られたのは、彼女が夜な夜なランプの明かりの下で編み上げてくれた、温かな手編みのマフラーや帽子、手袋だった。


小さな子どもたちには色鮮やかな帽子、よく働くトム兄ちゃんやアンには手袋。

そして俺とカイ、フィリップの三人にはそれぞれ首元を守る「マフラー」が手渡された。

「せーので選んでみろよ」と言われて三人で同時に指をさすと、見事に好みが綺麗に分かれて、全員が一番欲しかった色のマフラーを完璧に手に入れることができ、俺の手元には赤いマフラーが届いた。


「お前たち、息が合うんだか合わないんだか……」

トム兄ちゃんが呆れたような、しかしどこか温かい笑みを浮かべながらボソリと呟き、俺たち三人は顔を見合わせて思わず声を上げて笑った。



「じゃあ、俺からもみんなにプレゼント!」

嬉しくなった俺は、懐から小さな布の小袋を取り出した。

中に入っているのは、以前ギルドで経口補水液を大量に作った際、ロンダ婆さんのツテで特別に融通してもらった砂糖の余りだった。

購入費自体はカストルさんが全額補填してくれたが「これはあなたの働きに対するお駄賃よ」と気前よく持たせてくれたものだ。


白く精製された上等なものではなく、黒糖に近い低級の、ほとんど荒く固まった状態の砂糖だったが、その甘さは本物だ。

袋の口を少し開けた瞬間、ふわりとした甘い香りが周囲に広がり、それだけで年少組の子どもたちは「わぁっ!」と目を輝かせて大はしゃぎし始めた。



すかさずテーブルの上に小さなミルクの小樽と、今朝採れたばかりの真っ白な卵を並べると、カイとフィリップはそれを見るなり「おっ」と声を上げた。


「マジか、それって……!」


目を丸くする皆の横で、トム兄ちゃんは「ということは…」と呟きながら、台所の隅から大きな「凍結箱」を抱えてニコニコしながら戻ってくる。


「アイスクリームだーーっ!!」

カイとフィリップが揃ってテンションを上げる。今回はさらに、フィリップがお土産として持ち帰ってくれた干し果物を細かく刻んで混ぜ合わせることにした。


前回と同様、量が大量なためなかなか一筋縄では固まらないが、「星祭りだし、時間ならいくらでもあるさ」と、俺たちは交代しながら木べらをゆっくりとかき混ぜ続けた。

しかし、年少組の子どもたちは待ちきれない様子で、今か今かとエルの周りをぴょんぴょん飛び跳ねながら離れようとしない。

すると、カイがポンと手を叩いた。


「あ、そういえば厨房のおっちゃんに聞いたんだけどさ、大きな鍋を囲むようにして、凍結箱の周りに雪を隙間なく詰め込むと、早く固まるらしいぞ」


「おお、それ!大発明じゃねぇか!」


雪なら窓の外にいくらでも積もっている。「よし、みんなで雪を集めようぜ!」と、俺たちは凍結箱を抱えて一斉に外の庭先へと繰り出した。


降り積もったばかりの、なるべく白くてゴミや汚れのない綺麗な雪を両手ですくい、凍結箱の周りにみんなでわいわいと詰めていく。

時に雪合戦のように、冷たい雪遊びにはしゃぎながら作業をしていたその時だった。



――ふと、視界の隅に、孤児院の木の門の脇にぽつんと置かれた「小さな籠」が飛び込んできた。


「ん……? あれ?」

手を止めて首を傾げる。

近所の農家のおじさんや町の人たちが、差し入れとして野菜や果物をお裾分けして扉の前に置いていくことはよくある。しかしそれにしてもその籠は扉からは遠く、そして何より全体が厚手の毛布で厳重に包まれていた。


「近所の人の差し入れ野菜かな……。でも、なんであんな隅っこに……」


カブかな?じゃがいもかな?

カボチャだったら嬉しいなーとわくわくしながら、ゆっくりと足音を忍ばせてその小さな籠へと近づいた。


後ろでは、フィリップやカイが「どうしたんだエル?」と首を傾げている。


恐る恐る、毛布に積もった雪を払いながら、籠を覆っていた厚手の毛布の端を指先でつまみ、そっとめくってみた。


「えっ…………」


そこにあったのは、カブでもカボチャでも、ましてや野菜でも無かった。

まだ生まれたてと言っていいほど小さな、スヤスヤと静かな寝息を立てている赤ん坊の姿だった。


しんしんと雪が振り積もる寒空の下、産まれたての小さな命がたった一人で置き去りにされていた。



ご覧いただきありがとうございます。

次回木曜18時頃投稿予定です


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