89.初雪と工房の日替わりスープ
ルナバッグ工房が本格的に始動して、あっという間に1ヶ月が経過した。
その間、工房は順調すぎるほどの成果を上げていた。毎日安定して150個ほどのルナバッグを作り続け、それが毎週のように出荷されていった。
迎えた初めての給料日、常勤の職人たちには「大銀貨5枚」という破格の給与が手渡された。
魔法が使えない最下層の平民が、日雇いで手に入れる日給が小銀貨1枚ほどであることを考えれば、それは家族を養うのに十分すぎるほどの好待遇だ。じゃらりと銀貨を受け取った職人たちの顔には、心からの安堵と誇らしい笑みが浮かんでいた。
そんな生活の安定と、本格的な冬の寒さが重なったことから、工房にはいつの間にか新しい「名物」が生まれていた。
毎日のように薪ストーブが焚かれるようになってから、おばちゃん職人たちがそれぞれの家から「家庭の余り物」を持ち寄り、大きな鍋でスープを作り始めたのだ。
畑で少し虫に食われたキャベツやニンジン、肉屋の娘さんが「父ちゃんが端っこだから持っていきなって!」と分けてくれた肉の端材など、味付けはシンプルに塩だけなのに、持ち寄る具材によって毎回少しずつ味が変わり、それがまた絶品だった。
お昼時になると、職人たちは手を休めてそのスープを囲み、温かい笑顔を交わすのが日課となっていた。
最初、この光景を見たときは管理人であるハリーさんは反対だった。
「仕事中に調理なんて、規律が緩むもとだ!」と渋い顔で眉を顰めていた。しかし、その裏にはハリーさんなりの焦りもあった。
――こんなことをカストル様に知られたら、「管理が行き届いていない」と怒られてしまうのではないか。そう内心でヒヤヒヤしていたらしい。
だが、そのハリーさんの氷のような頑なな考えを溶かす出来事があった。
ある日、普段はギルドにいるカストルさんが、ふらりと工房の様子を見にやってきた。
その時ちょうど薪ストーブの上からは、トロトロと煮込まれた蕪とキャベツのスープの香りが部屋中に漂っていた。
くんくんと鼻を鳴らしながら匂いの元へと近づいてきたカストルさんは、大きな鍋を覗き込むと、目を輝かせてこう言ったのだ。
「あら、とってもいい匂いじゃない! 次に来るときは、私もちゃんと自分の器を持参して視察に来ようかしら!」
まさか工房主であるカストルさんがそれを咎めるどころか、大絶賛して肯定してくれるとは思っていなかったハリーさんは、いい意味で肩すかしを食らった。
それどころか、カストルさんはその日から週に一度ほどの頻度で、工房へ顔を出すようになった。しかも、ただの視察ではない。手にはずっしりと重い「塊のベーコン」や「丸ごとの鶏肉」といった豪快な差し入れをちゃっかり抱えている。
お昼時になると、カストルさんは本当に自分の木の器を持参してやってくる。職人たちに交じって美味しそうにスープを平らげると、「ふふ、今日の味も最高ね!」と満足げに微笑み、満足した様子でそのまま帰っていくことも珍しくなかった。
(……あれ? カストルさん、今日は本当にスープを食べて帰るだけなんだ……?)
毎回、真面目な顔でやってきては美味しそうにスープを一杯だけ胃に収め、颯爽と帰っていく美しいギルド長の姿を遠巻きに眺めながら、俺は内心で首を傾げざるを得なかった。
――いや、あれは本当に「仕事の視察」なのだろうか?
すっかり味を占めたハリーさんも、最初の渋い顔はどこへやら、今ではすっかり日替わりスープの魅力に屈し、自分専用の立派な木の器を大事そうに棚に用意して、出来上がりをどこか楽しみに待っている様子だった。
みんなの生活が豊かになり、仕事場にはいつも温かい笑顔と美味しい匂いが満ちている。
そんな穏やかな日々の中、ルナ姉ちゃんもまた、工房から受け取った初めての給料でたくさんの毛糸を買い込んでいた。
毎晩作業が終わって孤児院に戻ったあとも、ランプの明かりの下でせっせと編み針を動かし、孤児院の家族のために、温かいマフラーや帽子を夜な夜なせっせと編んでくれている。
誰かの優しさが巡り、みんなの心がじんわりと温かさに包まれているこの冬。
この平穏な日常がずっと続けばいいのにと、俺は薪ストーブの鍋をぼんやりと見ながら、指先を光らせ糸を出し続けた。
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次回月曜18時頃投稿予定です
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