84.カストルさんの礼と思いつき
妊婦さんの命をなんとか救えたことにホッとした俺は、息をつく間もなくロンダ婆さんと足早にギルドへと戻ってきた。
受付の若い女性にカストルさんの居場所を尋ねると、「いま、ギルド長室にいらっしゃるわ」と教えられる。俺たちはそのまま階段を駆け上がり、重い木製の扉をノックして部屋へと足を踏み入れた。
ギルド長室の中では、エミルダさん、カストルさん、そして副ギルド長のビルさんの三人が、険しい表情で今後の対応について協議の真っ最中だった。
領主側からの冷酷な拒絶を受けてなお、彼らは諦めずに次の手を模索していたのだろう。机の上には様々な書類とアボリーリーの実、そして厳重に瓶に詰められた黒い麦が乱雑に置かれ、室内の空気はぴんと張り詰めている。
俺たちの姿に気づいた三人が顔を上げた。
「エル、ロンダ婆さん……? そんな慌てた様子で…まさか間に合わなかったか!?」
青い顔で問うビルさんに対し、俺たちは息を整えながら、持ってきた瓶を掲げてきっぱりと言い放った。
「ビルさん、カストルさん! 妊婦さんにも使える、泥麦病の特効解毒薬が作れました……っ!」
その言葉を聞いた瞬間、室内の空気が一変した。
「……なんだって……!?」
ビルさんが目を見開き、席からガタッと立ち上がる。エミルダさんもホッとした表情で天井を見上げ、カストルは絶句したように口元を押さえた。
俺たちがヤギミルクとナッツを使った経緯、そしてロンダ婆さんの処置によって、最悪の危機にあった妊婦が無事に一命を取り留めたことを詳しく説明すると、カストルは震える両手で顔を覆った。
「よかった……本当に、本当によかったわ……!」
彼はゆっくりと顔を上げると、ギルド長として、そして一人の貴族としての誇りを示す様に姿勢を正し、ロンダ婆さんとそして俺に向かって深く、丁寧に膝を落とした。
「ロンダさん、そしてエル。あなたたちがこの町を救ってくれたわ。本当にありがとう。あなたたちに、こんな大仕事を背負わせてしまってごめんなさいね。
今回使った砂糖やアボリーリー、そのほかの材料にかかった費用はすべて、ギルドの特別予算から全額私に請求しなさい。一文残らず、私が責任を持って支払うわ」
その真摯な謝罪と、身分に関わらず対等に敬意を払ってくれたカストルを見て、隣に立っていたロンダ婆さんはふんと鼻を鳴らした。だが、その表情にはどこか柔らかな感心が滲んでいた。
「ふん……。お高くとまった他の貴族どもに比べりゃ、お前さんはよっぽどまともな人間だねぇ。感心したよ」
ロンダ婆さんの意外な賛辞に、カストルは少し照れくさそうにはにかんだ。
それを聞いたエミルダさんは、フッと優雅に微笑んで腕を組んだ。
「だから言ったろう? あたしの教え子は、見かけによらず根性は本物だってね」
エミルダさんはそう言ってから、手元に置いてあった羊皮紙の束に目を落とした。
「ちょうどよかった。私はね、エリダヌス公爵夫人であるシャーロット様へ宛てて手紙を書いていたところだったんだよ。領主の愚行についての告発だけでなく、これで今回のアボリーリーとヤギミルクを合わせた『妊婦にも効く解毒薬の製法』についても、追加で詳しく書き記すことができる。これなら公爵家としても、見過ごすわけにはいかないだろうさ」
エミルダさんのその頼もしい言葉を聞きながら、俺の脳裏でふと、気になっていた別の可能性がパズルのピースのようにカチリと噛み合った。
「……あの、エミルダさん、カストルさん」
俺が手を挙げると、全員の視線がこちらに集まった。
「その前に……俺、一つ思い付いたことがあるんです」
「思い付いたこと?」
カストルが首を傾げる。俺は真剣な表情で続きを告げた。
「あの……この町中に蔓延している泥麦病の麦に対して、清潔魔法を使えば、病に冒された麦を丸ごと浄化して、再び安全に食べられるようにすることができるんじゃないかって……」
俺のその提案に、部屋にいた大人たちは一瞬ポカンと口を開け、そして――カストルが苦い顔をして頭を抱えた。
「エル、理論としては……確かにあなたの言う通り、魔法で物質の悪い部分を強制的に浄化できるなら可能かもしれないわね。けれど……」
カストルは言いづらそうに視線を逸らした。
「そんな芸当ができる人間が、この国にいったい何人いるのかよ。鑑定の魔法と高位の清潔・浄化魔法を両方とも完璧に使いこなせる人間は一握りよ。
そしてその一握りの人間は恐らく、あなた以外のそのほとんどが、国の中枢にいるような高位貴族ばかりだわ」
「そうだろうねぇ」と、ロンダ婆さんも腕を組んでバッサリと言い放った。
「高位の貴族様方が、たかが平民の食べる安物のライ麦のために、わざわざ貴重な魔力をすり減らしてまで魔法を使ってくれるわけがないだろうさ。そんなもの、絹で雑巾を作るようなもんさ、坊主」
二人の現実的な意見に、俺はぐっと言葉に詰まった。確かにその通りだ。日本の記憶がある俺はどちらも漢字として捉えているけど、そうでなければ『鑑』も『潔』も複雑な魔法陣だ。
それを縁もゆかりも無い人間のために使ってくれというのは現実的では無いのかも知れない。
だが、部屋の隅で静かに聞いていたエミルダさんは、面白そうにフッと片側の口角を上げた。
「まあ、綺麗事では片付かないだろうね。けれど――実際に試してみる価値くらいはあるんじゃないかい?」
エミルダさんは立ち上がり、窓の外の傾きかけた夕日を見据えた。
「ちょうどいい。今から倉庫街に積まれている『泥麦病の麦』がどうなっているか、私たち自身の目で確かめに行こうじゃないか。エル、お前のその魔法が本当に通用するかどうか、試してみようじゃないか」
エミルダさんのその一言で、俺たちはギルド長室をあとにし、泥麦病の麦が山のように放置されている倉庫街へと足を向けた。
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