83.薬とロンダ婆さんの診察
「よし、いくよ!」
俺は目の前に置かれたすり鉢に、アーモンドと胡桃をガサリと放り込んだ。
すりこぎを両手でしっかりと握りしめ、無心になってゴリゴリとすり潰していく。硬いナッツの感触が手のひらに伝わり、心地よい摩擦が響く。すり鉢のなかで木の実が細かく砕け、香ばしい油脂の匂いがふわりと鼻腔をくすぐった。
「ロンダ婆さん、これくらいでどうですか?」
夢中で手を動かし、ある程度細かくなった粉状のものをロンダ婆さんに見せると、彼女は眼鏡の奥からちらりと一瞥して鼻を鳴らした。
「甘いねぇ、坊主。そんな粗い粉じゃあ、意識のない人間に飲ませたら喉に詰まらせてむせるだけだよ。
もっとだ、もっとペースト状になるまでしっかり擦り潰すんだよ」
「うぐっ……! まだですか!」
「当たり前さ。命を救う薬なんだ、手ぇ抜くんじゃないよ」
気合を入れ直し、俺は再びすりこぎを握りしめてゴリゴリと腕を動かした。
どれくらい時間が経っただろうか。腕の筋肉が悲鳴を上げ、汗が額を伝い落ちる頃、すり鉢の中の木の実からじわりと油が滲み出てきた。全体がねっとりとした粘り気を帯び、まるでピーナツバターのようなペースト状に仕上がっていく。
「ふぅ……これでどう……?」
「おや、いいじゃないか。上出来だよ、坊主」
ロンダ婆さんは満足そうに頷くと、手際よく次の工程を始めた。
鍋に火をかけ、たっぷりのヤギミルクを注ぐ。そこに細かく砕いたアボリーリーの実を放り込み、グツグツと弱火で丁寧に煎じていく。ミルクの色がほんのりと赤褐色に染まり、独特の甘苦い香りが立ち込めてきたところで、先ほど俺が擦り潰したアーモンドと胡桃のペーストを惜しみなく投入した。
どろりとしたペーストがミルクに溶け込み、さらに香ばしい香りが店内に広がる。
しっかりと全体が馴染んだのを確認し、ロンダ婆さんは布を使ってその液体を綺麗に濾し取った。
濾されたそれは、薄いキャラメルのような、優しく温かみのある色をした特製のミルク薬だった。
俺はごくりと喉を鳴らし、震える指先をその瓶に向けてそっとかざした。
――『鑑』。
金色の光が瞬き、脳内に新しい文字の羅列が浮かび上がってくる。
【アボリーリーとナッツの入ったヤギミルク】
アボリーリー由来の強力な吐き気止め、下痢止め、および泥麦病に対する強い解毒作用が維持されている。
同時に、ヤギミルクの脂肪分とアーモンド・胡桃の持つ鎮静成分および栄養素の相互作用により、アボリーリーが持つ子宮収縮作用が大幅に軽減・中和されている。
妊婦への投与に対する安全性が、ある程度確保された煎じ薬。
脳裏に浮かんだその詳細なデータを、俺は一つひとつ確認しながら、震える声ですべて読み上げた。
読み終えた俺の肩に、ドンッ、と頼もしい衝撃が走った。
振り返ると、ロンダ婆さんがいつの間にか俺の背中に大きな手を置き、力強く叩いていた。
「上出来だよ、坊主! やったじゃないか!」
「でも、ある程度って……!!完全に安全ではないよ!?」
「完全に安全な薬なんかこの世に存在しないよ。ある程度の副作用はどんな薬にもある。
でも、死ななきゃどうにでもなるさ」
「じ、じゃあ、これで…」
「あぁ、問題ないだろうね」
「あぁっ……! よかった、本当に……!」
安堵と興奮で胸がいっぱいになる中、俺たちは一刻の猶予もないとばかりにその瓶を大切に布で包み、ギルドへと飛び出した。
温かい秋の日差しが差し込むギルドのロビーは、それとは打って変わって重く冷え切った空気に包まれていた。
片隅の床には、昨日の若い農夫――意識を失った妊婦の夫が、生気を失った虚ろな目で項垂れて座り込んでいる。
俺たちは迷わず彼の元へ駆け寄り、瓶を掲げた。
「できたよ! 妊婦さんに影響の少ない、新しいアボリーリーの薬……!」
その声を聞いた瞬間、農夫の体がビクリと跳ねた。彼はカッと血走った目を見開き、まるで縋り付くように俺の服の裾を掴んで立ち上がった。
「本当か……!? 本当にカミさんを助けられるのか……っ!?」
「ああ、間違いないよ。早く案内しておくれ!」
俺の後ろで力強く頷くロンダ婆さんを一瞥しながら、彼は足が縺れて転げるように駆け出した。
それを追いかけて俺たちが彼の家に駆け込むと、粗末な家の室内では高齢の義母が青い顔をして、汗を拭うなどの介助に追われていた。
ベッドに横たわる妊婦の顔面は雪のように真っ白で、荒い息を繰り返している。そのあまりに危うい姿を間近で見て、俺は思わず一瞬たじろいでしまった。
―本当に、間に合ったのか……?
「怯むんじゃないよ、坊主!」
ロンダ婆さんは俺を尻目にズカズカとベッドへ近づくと、男が持っていた小さな器と特製ミルク薬の瓶を引ったくった。
彼女は手慣れた様子で意識のない妊婦の身体を起こし、枕で頭を支えながら、スプーンですくった液体をそっと唇へと運んだ。
「しっかりしなさい、飲み込むんだよ……」
カチカチとスプーンが歯に当たる。
喉がごくりと小さく鳴るたびに、ロンダ婆さんは絶妙なタイミングで次のスプーンを口元に当てがっていく。勢いよく飲ませれば確実にむせてしまうため、ほんの少しずつ、文字通り一滴一滴を染み込ませるような、気の遠くなるような作業だった。
時計の針が進み、どれくらいの時間が経っただろうか。
外の光が傾き始めるまで、ロンダ婆さんは一度も手を休めず、何時間もかけてようやくカップ一杯の薬をすべて飲み込ませきった。
「ふぅ……」と、婆さんが小さく息を吐く。
彼女はすぐに傍らにいた夫の農夫に向き直った。
「お湯を沸かしな。すぐにだ」
「あ、ああ、わかった!」
夫が慌てて竈に走る。ロンダ婆さんは清潔なお湯でしっかりと手を洗うと、周囲にいた俺たちに背を向けるよう合図した。
「男どもはそっちを向いてなさい」
俺が慌てて妊婦さんに背中を向けてそわそわと待っていると、背後でゴソゴソと布擦れの音が響く。
しばらくの沈黙のあと、ロンダ婆さんの落ち着いた声が背中越しに飛んできた。
「……よし、もう大丈夫そうだよ。振り返りな」
言われるままに振り返ると、ベッドの上の光景に俺は息を呑んだ。
さっきまで死人のように真っ青だった妊婦の顔に、ほんのりと健康的な血色が戻っている。荒かった呼吸も少しだが穏やかになり、スースーと静かな寝息を立てていた。
「本当か……?」と、夫は妻の手を握りしめ、ボロボロと大粒の涙をこぼした。「生きている……息をしてる……!」
ギルドの片隅で絶望に暮れていた男の泣き声が、粗末な部屋の中に小さく響いていた。
俺はぐっと拳を握りしめ、隣でフッと小さく笑ったロンダ婆さんと顔を見合わせた。
救えた。間に合ったんだ。
胸の奥から熱いものがこみ上げてくるのを、俺は袖で雑に拭った。
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次回も明日18時頃投稿予定です
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