8.教会の女神様
翌日、水汲みを終えた後にアンに声を掛けて孤児院を出た。
「教会に行って、どうしたらルナ姉ちゃんが糸を紡げるようになるか聞いてくる!」
「どうしたのエル、そんなに張り切って。 それになんだか急にお兄さんになったみたい。」
ただ、ぼーっと父さんの帰りを待っていた俺をずっと見ていたアンには、違和感があるのだろう。
正直、記憶の中で働いていた俺はおそらく成人をしているはず。
アンたちにどのように振舞っていいか悩んでいたが、魔法が使えるようになって背伸びをしているとでも思ったのかアンは笑顔で送り出してくれた。
雨上がりでぬかるんだ道を進みながら、洗礼を受けた教会に行けばルナ姉ちゃんが糸を紡げない原因が何かわかる気がした。どうしても知りたい。これは俺の自己満足だ。
そして、一般的に使う魔法はどれぐらい普及しているのかも。
魔法が使えるようになったフィリップやカイは、働き口を探すためにおそらくもうしばらくしたら孤児院を出ることになるだろう。小さい時のほうが良い奉公先は見つかりやすいからだ。
でも俺は、どんなに望みが少なくても父さんの帰りを待ってみたいを思った。でもそれと同じくらい大切な、新しい居場所になった孤児院に少しでも恩返しがしたい。
アンやルナ姉ちゃん、トム兄ちゃんが口数の少なかった僕の面倒を見てくれていたように親において行かれた子どもはこれからもたくさんやってくる。
少しでも生活を改善したい。 自分のためにも、これから家族になる子供たちのためにも。
教会に入ると相変わらず冷たい清貧な空気をしていた。
色とりどりのステンドグラスは雨上がりの光で、洗礼式で見たよりきれいだった。
俺は迷わず、女神様の前に進んでいった。あの日見た【漢字辞典】の彫刻が目の前にある。
少しだけ砂埃を被ったような、ざらざらした質感の箱。その彫刻に指で触れようとしたとき、後ろから声を掛けられた。
「誰じゃ。そこで何をしておる。」
振り返ると、この間の司祭様が掃除用具をもって声を掛けてきた。
「あ…えっと、洗礼式でみた女神様をもう一度見たくて。」
怒っているわけではないようだが、何となく居心地の悪さを感じて、俺が取り繕うように言ったのを見抜くように司祭様が掃除用具を手渡してきた。
「おおかたお前さんも魔法が気になるんじゃろ。毎年のことだ。掃除を手伝ってくれたら教えてやろう。」
俺は仕方なく、聖堂の中をほうきで掃き、渡された古布で漢字辞典の彫刻を拭きながら手で触れてみた。閉じられた状態の漢字辞典は本と認識していなければただの箱に見える。
あらかた掃除を終えると、報酬のつもりなのだろう司祭様が小さい林檎をくれた。
記憶の中にある林檎とは比べ物にならない、甘味の薄い、酸味の強いパサパサな林檎を食べると、司祭様が何枚かの木板を見せてくれた。
「毎年お前さんのように、魔法を調べに来る者がおるんじゃ。親が使えるから私も使えるはずだ。とかでな。」
木板の中にはたくさんの【漢字】が魔法として書かれていた。
洗礼の日に教わった6つのほかにも、昨日俺が無意識に発動してしまった『洗』や生活に直結するであろう『冷』や『温』、狩りで役立つ『投』『弓』『刃』など30ほどの漢字が並んでいた。
隣には見慣れない文字が書いてあるが恐らくこのの文字なのだろう。説明書きのようだ。
「ここにある魔法は、『風』魔法を使えるぐらいの魔力があれば使えるものが多い。」
「そっか。 ねえ司祭様、魔力って何?」
「随分と難しいことを聞くな。 そうじゃな、、、個人そのものの器といったところか。」
「器?」
「女神様はそれを必要として、皆を救う者に力を与えた。殊勝な人間ほど沢山の魔法が使えるとされていてな、大司祭や枢機卿に選ばれるような司祭にならんと使えん魔法もある。」
「たくさんお祈りすれば、できるようになる?」
「そうじゃ。 といってやりたいところだが、正解はわからないんじゃ。わしも信じて祈りを続けてきたらもうこんなに年老いてしまった。」
司祭様がシミだらけの萎んだ自分の手をさすっているのを見ながら、俺はどうしても気になっていたことを訪ねた。
「あの女神様の足元にある箱はなに?」
「あぁ、あれば賢者の書と言ってな。箱ではなくその昔魔法を発展された大賢者様が持っていた本じゃ。」
「大賢者様? それを見ればもっとたくさんの魔法が使えるようになる?」
「いや、あの書は大賢者様が自分で火をつけてしまってな。女神様のもとに返すと言って。
王都にある学園の大聖堂の女神様の像を作るときに、その賢者の書を一緒に供えたんじゃ。
しかしあとすぐ賢者様は亡くなられてしまったから、燃やしたのは争いを避けたのかもしれん。」
司祭様は女神様の足元を一度撫でてからこちらに向き直った。
「この教会の女神像はその後に、学園の大聖堂の女神像を真似て作られたんじゃ。」
「じゃあ、この教会は新しいの?」
「いや、100年は経っているはずじゃが…」
「そうなんだ。大賢者様が居たのってどれぐらい前なの?」
「そうじゃな… カムイ2世の治世の頃じゃから、大体400年前といったところかのう。」
「そんなに前なんだ…読んでみたいな…。 その賢者の書」
「ほう、殊勝なことじゃ。王立学校に進めば写しの一部が読めるかもしれんが…。まあもっとも、王族や貴族の息子や娘が通うような場所じゃ。お前さんのような平民の子には特待生にでもならんと、ちと難しいわな。」
司祭様が俺の破れた靴の足元をチラリと見ながら白く長い髭をなでた。
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