76.鑑定の証明と読めないノート
馬を走らせてギルドに戻った俺とカストルさんは、そのまま急ぎ足でギルド長室へと向かった。
扉を勢いよく開けると、中にはすでにエミルダさんと副ギルド長の姿があった。
「どうしたんだ、エル坊。そんなに慌てて……って、カストル、お前そのドレスはどうしたんだ?」
髭面の副ギルド長が、泥まみれになったカストルさんの裾を見て怪訝な顔をする。俺たちは息を整える間もなく、事の重大さを訴えた。
「副ギルド長、エミルダさん……! 町で流行ってる病気の原因が分かったんだ。あれは疲れでも、風邪なんかでもない。
『泥麦病』っていう、ライ麦の病気だ……!」
俺の言葉に、副ギルド長は眉間にしわを寄せ、ため息を吐くように首を振った。
「泥麦病? 初めて聞く名前だな。
しかし、いくらエル坊がエミルダ婆さんの秘蔵っ子でもそんな大層な病気の理屈なんて分かるわけが――」
「疑うなら、試してみればいいさ」
そう言って遮ったのは、エミルダさんだった。彼女は静かにテーブルへ歩み寄り、近くにあった四種類の缶から茶葉をカップに取り分けていく。
「エル。お前が手に入れた鑑定の魔法、ここで見せてみなごらん。
この四つの茶葉がそれぞれどこで採れたものか、言い当てられるかい?」
突然のテストのような展開に、俺はゴクリと唾を飲み込み、両手をギュッと握りしめた。
そうして一歩前に出て、それぞれの皿に向かって指先を向けた。
――『鑑』。
魔法陣が金色にカッと光って、その後に柔らかい金色の文字がふわりと浮かび出した。
俺は産地を読み上げながら次々と茶葉に指先を向けていく。
「こっちはエリダヌス産の葉……。こっちはウィルゴー……次はセクスタンス……で、最後はオクタンス!」
俺が次々と淀みなく産地を言い当てていくと、エミルダさんはカストルさんを見る。
肯定するように頷くカストルさんを見て、エミルダさんも満足そうに深く頷いた。
一方で、副ギルド長は「マジかよ……」と信じられないものを見る目で目を見張り、そのままガクリと頭を抱えてソファに崩れ落ちた。
「これで、エルの言葉が嘘じゃないって証明されたね」
カストルさんがやれやれと肩をすくめる。
俺は急いで自分のノートを開き、さっき畑で書き殴った泥麦病や中毒の鑑定結果をみんなに見せようとしたが――
《ハエなどの虫を※※※※と して※※するライ麦※※※※※※※。小麦や大麦など他の麦へは発生せず、《ライ麦》にのみ※※※※※※する》
殴り書きしたせいか、文字が潰れていて肝心の内容が判読できないのだ。
鑑定の魔法で読んだ時とは違い、意味がわからない文字の綴りもいくつかある。
こめかみからたらりと汗が流れるのを感じながら、ノートを必死で解読しようとしていると、後ろからカストルさんがため息を吐いた。
「でしょうね。 横から見てても何書いてるか分からなかったもの。
もう少し魔法以外のお勉強が必要みたいね。」
カストルさんは赤く染めた唇を吊り上げると、懐から一枚の繊細なレースのハンカチを取り出した。
その中には、先ほどの畑から持ってきたであろう黒い麦の穂が包まれていた。
滑らかな光沢の真っ白なハンカチを、黒い胞子がべったりと汚している。
「ふたりとも、鼻と口を布で押さえなさい。吸い込んだらおしまいよ」
カストルさんの指示に従い、副ギルド長とエミルダさんは自分のハンカチや袖口で口と鼻を覆った。カストルさんは俺にその黒い穂を差し出す。
俺はエミルダさんに鼻と口を覆われながら、再びその穂に向けて指先を走らせた。
――『鑑』。
ふわりと浮かび上がった金色の文字を、俺は一言一句逃さず声に出して読み上げていく。
そしてそれを、カストルさんが手元のメモに素早く、正確に書き留めていく。
読み上げが終わると、カストルさんは素早くハンカチーフの端を合わせ、中身がこぼれないようにきっちりと包み直した。
さらに、その指先を微かに光らせて『水』の魔法を描き、穂を包んだハンカチを湿らせ、胞子が周囲に飛び散らないようにしてから、先ほどの紅茶缶の中身を全てカップにぶち撒けて、その中に厳重に入れた。
「よし、これで裏付けは完了ね。……で、エルちゃん。貴方が今一番知りたいのはこれよね?」
俺はカストルさんが書き留めた、アボリーリーに関する記述に目を留めた。
「うん……! 『アボリーリー』っていう木の実を煎じて飲ませると、吐き気や下痢の症状が快方に向かうって書いてある!」
それを聞いたカストルさんは、キリッとした表情で立ち上がった。
「なら話は早い。この証拠の麦と鑑定結果を持ち、代官のところへ直訴しに行くわ。こんな被害、一刻も早く役所を動かさないと。ほかの町でも同じ被害が出るわ」
「わかった、僕も――」
「いや、エルちゃんは残って。代官への交渉は大人たちの仕事よ。あとは、治療に必要なその『アボリーリー』とやらを確保しないと」
カストルさんはそう言うと、着替えるために足早に部屋を出ていこうとしたが、ふと立ち止まって副ギルド長を振り返った。
「ねえ、ビル。その『アボリーリー』って木の実、この辺りで手に入りそうな場所を知らない?」
名前を呼ばれた瞬間、ソファに座り込んでいた副ギルド長――ビルは、ハッと顔を上げた。
「アボリーリー……? いや、聞いたことは無いが…
ロンダ婆さんなら何か知ってるかもしれないな。
西の外れの薬屋だ。あそこは古い薬草や香辛料を色々仕入れているから……」
「よし。じゃあエルちゃん、あんたはビルと一緒にその薬屋へ行きな。まっさきにトムに薬を届けられるようにね。あたしは代官のところへ馬を走らせる!」
カストルさんはそう言い残すと、風のようにギルド長室を飛び出していった。
カストルさんと別れた俺は、副ギルド長――ビルさんに連れられて、町の西の外れへと急いだ。
案内されたのは、住居エリアの端にひっそりと佇む、お世辞にも綺麗とは言えない古びた建物だった。看板には『ロンダ薬屋』とすり切れた文字で書かれている。
「ここに来るなんて…ガキの頃ふざけてドアを壊して以来だな…」
独り言のようにぼやきながら、ビルさんは意を決したようにコツコツと木の扉を叩き、そのまま押し開けた。
ギイ、と重い音を立てて開いた店内に入ると、むせ返るような薬草の匂いが鼻をついた。薄暗い空間の壁一面には、得体の知れない草木や怪しげな粉末が詰まったガラス瓶が所狭しと並んでいる。
「いるかい? ロンダ婆さん」
「誰だい、昼間から人の店にズカズカ入ってきて……って、ビル坊じゃないか。どうしたんだい、こんな所に。ドアの修理代でも払いに来たかい?」
奥のカーテンがシャラリと揺れ、そこから厚底の眼鏡をかけた、小柄な老婆がひょっこりと顔を出した。ロンダ婆さんと呼ばれたその人物は、副ギルド長を一目見るなり、呆れたような、しかしどこか親しげな目を向けた。
だが、ビルさんはその言葉に顔を真っ赤にして反論した。
「だから、その『ビル坊』はやめてくれって、ロンダ婆さん! 俺だってもう立派なギルドの副ギルド長で、自分の子供もいる父親なんだぞ!」
「はっ、子供ができようと孫ができようと、アタシから見りゃお前は昔から鼻垂らしのビル坊さね。――で、何の用だい? ガキを連れてこんな所に、冷やかしなら追い出すよ」
ロンダ婆さんの鋭い視線が、スッと俺の方に向けられた。その圧力に思わず体がこわばる。
しかし、ビルさんはすぐに真剣な表情に戻り、懐から必要な用件を切り出した。
「冷やかしじゃない。真面目な話だ……ロンダ婆さん、あんたの店に『アボリーリー』の木の実はあるか? どうしてもそれが今すぐ欲しいんだ」
その瞬間だった。
「――……なんだって?」
ロンダ婆さんは、空気が凍りつくような低い声を発した。先ほどまでの軽口は消え失せ、カッと見開いた両眼には、底知れない怒りと警戒の色が宿っていた。
彼女はトタトタと足音を荒げながらカウンターの前に歩み寄り、ビルさんの胸倉に掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「ビル坊、お前……今、何て言った?
あんた、それがどういうものか分かってて口にしてるのかい……?
事と次第によちゃ、たとえビル坊だろうと、アタシはただじゃおかないよ……っ!」
店内にぴりぴりとした殺気のような緊迫感が走る。
アボリーリーという名前を出しただけで、なぜロンダ婆さんはこれほどまでに激昂しているのか。
――その理由が、この時点ではまだ、俺には分からなかった。
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