64. 鶏の足と食いしん坊
遅くなりました!!
「ただいま――!」
ガチャリと古い扉が開いて、外の熱気と一緒にカイが帰ってきた。外を一日中歩き回っていたせいか、びっしょりと汗をかいて疲れた色を浮かべている。けれど、その表情はすっきりとした清々しい顔だ。
その声に、食堂に集まっていた子どもたちが一斉に反応する。
「おかえり、カイ兄ちゃん!」
「お疲れ様!」
「遅かったな!」
口々に声を飛ばされて、カイはみんなの顔を見渡し、いつもの涼やかな顔でふっと笑った。
いよいよ明日でここを出ていってしまうという寂しさはあったけれど、この時間を惜しむように、自然とテーブルの周りに人が集まっていく。
「お疲れ、カイ。挨拶回り、大変だったろ」
トム兄ちゃんが声をかけると、カイは軽く肩をすくめて笑った。
「うん、色んなところで引き止められちゃったよ。でも、みんな優しくて荷物がどんどん増えちゃってさ」
そう言うと、カイは貰ってきたというカボチャやトマト、肉の切れ端などの食材をアンに手渡し、自分の席へと腰を下ろした。
すっかり日の暮れた食堂には、竈から立ち上る暖かな湯気と、食欲をそそる芳醇なスープの香りが満ちている。トム兄ちゃんとアンが昼から仕込んでいた特製スープの匂いだ。
「それじゃあ、夕食にしましょう!」
アンが声を張り上げると、スープの入った木製の器をそれぞれの席へと配っていく。
やがてアンは、カイの席の前にどっしりと重そうな器を置いた。
「はい、カイ。今日は特製だからね」
「おっ、ありがと……って、え?」
カイが目の前に置かれたスープの器を覗き込み、思わず動きを止めた。
いつもなら、痩せた鶏肉はスープの旨味を出すために細かくぶつ切りにされ、皆で平等に分けられる。だから肉といえば小さな欠片が一つか二つ浮かんでいるのが当たり前だった。
けれど、今カイの目の前にある器には、じっくりと煮込まれた立派な「鳥の足」が、皮ごとごろりと豪快に入っていた。
「明日から公爵家でしょう? あっちに行ったら美味しいものたくさん食べられるだろうけど、このスープは特別なんだから」
そう少し照れくさそうに笑いながら、アンがカイの肩をポンと叩いた。
いつもは小さなぶつ切り肉しか当たらない孤児院の食卓で、この鳥の足は目を見張るほどの贅沢だった。
「……ありがとう、アン」
カイは小さく呟くと、少しだけ照れくさいような、嬉しいような顔で微笑んだ。
ふと、俺の目の前、カイの隣に目をやる。以前ならフィリップが座っていた席だ。
そこには今は、まだ四歳の小さなダニエルが自分の背丈ほどもある木製の椅子にちょこんと座り、その大きな目を丸くしてカイの器をじっと見つめている。
ダニエルは、カイの器に入ったゴロンと大きな鳥の足に釘付けだった。あまりの視線の熱さに、見ているこちらが笑ってしまうほどだ。
「「女神様に感謝を」」
みんなが手を組み、短い祈りを捧げると、待ちに待った夕食の時間が始まった。
カイは待ちきれないとばかりにフォークを手に取り、その立派な鳥の足にかじりつこうとした――その瞬間。
隣から、じとーーっとした無言の圧力が送られている。カイがおそるおそる視線をやると、頭一つ小さいダニエルが、鳥の足から一ミリも目を離さず、よだれを垂らしそうになりながら見つめ続けていた。
主役であるカイに「ちょうだい」とは言えないものの、全身で「ぼくもそれが食べたいです」と訴えかけているみたいだった。
カイはあきれたように小さく息を吐くと、くすりと声を漏らして笑った。
そしてその鶏肉にかじりつくのをやめ、フォークを使って、鳥の足から一番柔らかくジューシーな肉の塊を丁寧にていねいにほぐしていく。
カイは周囲をチラリと見回すと、人差し指を口の前に立てて、ひそやかな声で囁いた。
「――ほら。柔らかいところ……皆には、内緒だぞ」
そう小さく笑って、カイはほぐした柔らかい鶏肉を、ダニエルの目の前にある木の器へとそっと入れてやった。
ダニエルはぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに握ったフォークでそれを口に運ぶ。その満足げなもぐもぐとした咀嚼音を聞きながら、カイは愛おしそうにその頭をポンと撫でた。
温かいスープと、素朴な黒パンの夕食は、いつも通りの温かな空気に包まれていた。
やがて皆が食べ終わり、残された器を片付けようと、カイがスッと立ち上がったその時だった。
「おい、カイ。まだ座ってて。大事な主役なんだからさ」
俺が声をかけると、トム兄ちゃんがニヤリと笑って立ち上がった。
「そうそう。エル、行くぞ」
俺とトム兄ちゃんの二人で、台所の隅に置いてあった凍結箱をよいしょと持ち上げる。
中には、さっき俺たちが完成させたばかりの、とびきりの特製アイスクリームが眠っている。
木製の蓋をパカッと開けると、ひんやりとした白い冷気がふわりと周囲に漏れ出した。
その中から、外側にうっすらと綺麗な霜をまとった金属製の大きな鍋が顔を出す。
「なんだこれ……?」
トム兄ちゃんに促されて鍋の蓋を開けたカイは、中を覗き込むなり、文字通り目を丸くして固まった。
そこに入っていたのは、雪のように真っ白で、ほんのりと甘いミルクの香りを放つ、滑らかなアイスクリームだった。
普段俺たちの口に入るはずもない高級な砂糖をふんだんに使い、トム兄ちゃんが切り出した凍結箱と俺の魔法で作った特製デザートだ。
「すげえ……これ……」
言葉を失うカイの前に、ルナ姉ちゃんが小さな木の器とスプーンをいくつか持ってやってきた。
「ほら、カイが明日行っちゃうからさ。みんなで作ったのよ。早く取り分けて」
ルナ姉ちゃんに促され、俺たちはアイスクリームをそれぞれの器へと手際よくよそっていく。
ひんやりと冷たく、スプーンを入れるとすっと心地よく沈み込む最高の仕上がりだ。
みんなの分の器が並び、いよいよ待ちに待ったデザートタイムが始まろうというその瞬間。
カイは自分の器から真っ白なアイスクリームをすくい上げ、じっとそれを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……そういやあの時約束したもんな……フィリップにも、食わせたかったな」
遠く離れた場所で元気にやっているはずの、あの賑やかなあいつ。
その名前が出た瞬間、食堂の空気がふっと柔らかくなった。
そうだ、カストルさんが作ってくれたアイスクリーム、一番喜んでたのはあいつだったな――そう思い、小さくうなずきかけた、その時だった。
――ガタッ!!
「ただいまーーっ!!」
孤児院の古い扉が勢いよく、まるで蝶番が壊れるんじゃないかというほどの音を立てて開き跳ね上がった。
そこに立っていたのは、見慣れた顔の少年だった。
ただ、その姿は出発した頃とは見違えるほど大きく、そして日に焼けて真っ黒になっていた。
――両手には自分の体ほどもある巨大な荷物をこれでもかと抱え込み、あちこちが泥だらけになっている。
「え……?」
食堂にいた全員の動きが、一瞬でピタリと止まる。
「ひゃー、歩いた歩いた! 足がもげそうだったぜ! ……って、うわっ、なんだこれ!! もしかしてアイスクリームじゃないか!?」
目をキラキラさせながら、大荷物を床にドサリと投げ下ろしたその少年こそ、船乗りになるために孤児院を出たフィリップ本人だった。
「「「……は……?」」」
あまりのタイミングの良さと、あまりの劇的な帰還に、孤児院の全員がポカンと口を開け、言葉を失って固まる。
静まり返る食堂を見回し、フィリップが「え、なにな、俺の顔になんかついてる?」と首をかしげたその瞬間――
「っは……あははははっ!」
カイが、今日一番の、いや、今までで一番大きな声を上げて、腹を抱えながら爆笑し始めた。
「なんだよそれ……! お前、よりによって今日帰ってくるなんて、どんだけ食いしん坊なんだよ……!」
カイの笑い声を皮切りに、食堂全体が「おかえりーーっ!!」という割れんばかりの大歓声と、抑えきれない笑い声に包み込まれた。
驚きと喜びがぐちゃぐちゃになった賑やかな空気の中、フィリップの帰還とカイの旅立ちの前夜は、最高に温かく、賑やかに更けていった。
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