58.馬上の記憶と会計報告
ザウラク君を抱いてこちらへ歩いてきたカイは、エリダヌス夫人が口を開くより早く、真剣な瞳で問いかけた。
「あの、従僕は馬に乗れますか?
それなら俺、従僕になりたいです」
その言葉に、俺はぽかんと口を開けた。
賑やかな子どもたちに囲まれて、ずっと離れた場所の託児スペースにいたはずのカイがどうして俺たちが話していた内容が分かったのか。
夫人やエミルダさんも同じく驚いているのか目を丸くしているのを見て、カイは少し気まずそうに口を開いた。
「盗み聞きみたいなことして、ごめんなさい。
夫人がエルに『従僕にならないか』って話しているのが聞こえたんだ。でも、エルはそういうタイプじゃないしなって…
そのあとは少し遠くて声はあんまり聞こえなかったけど……みんなの表情とか、視線や唇の動きを見ていれば、何となく何を話してるか分かったから…」
それを聞いたエミルダさんは、面白そうにフッと片方の口角を上げた。
「……なるほどねぇ。たいした観察眼だよ。
あんた、とんでもない逸材を発掘しちまったかもしれないねぇ、シャーロット」
感嘆しているみんなを前にして、カイは自分の意志が揺るがないことを示すように、もう一度まっすぐな目で問いかけた。
「それで……従僕は、馬に乗れますか?
それなら、おれは従僕になりたいです」
その真剣な気迫に気圧されたように、エリダヌス夫人はわずかに目を見張り、それから優しく微笑んだ。
「ええ、当然よ。
一人前のフットマンともなれば、いざという時は馬車の御者を兼ねることもあるし、移動のために馬を操るのは必須の技術だわ。
もちろん、我が家の従僕になるなら、一からしっかり馬に乗れるように訓練してあげるわ」
その返事を聞いた瞬間、カイの顔にパッと明るい光が差した。
隣で聞いていた俺は、なんだか急に現実味が湧いてきて、思わずカイの顔を覗き込んだ。
「ねえ、カイ……。お前、そんなに馬が好きだったのか?」
俺の問いかけに、カイは首を横に振りながら、腕の中のザウラク君の背中をポンポンと叩きながら答えた。
「いや、そういうわけじゃない……ただ、この間カストルさんが馬に乗って帰っていくのを見た時に、思い出したんだ。
俺の父さんは、馬に乗ってる人だったって…」
カイのその言葉に、俺は息を呑んで目を丸くした。
カイは物心ついた頃からずっと孤児院で一緒にいるけれど、あいつが自分の父親のことを話したのなんて、聞いたことがなかったからだ。
「俺、エルより前に孤児院に来たから、父さんや母さんの顔も名前も、何も覚えてないと思ってた。
……でも、カストルさんの背中を見ていたら、なぜか父さんが馬に乗って、俺を前に乗せて笑っていたことだけ急に思い出したんだよ。
だからさ、おれも馬に乗れるようになりたいんだ」
それは、カイの中に眠っていた、遠い日の父さんの記憶だった。
自分のルーツを見つけたようなカイの誇らしげで、でも少し切なそうな横顔を見て、俺は何も言うことができなくなった。
そんなカイの様子を静かに見つめていたエリダヌス夫人は、やわらかく微笑みながらうなずいた。
「分かったわ、では決まりね。
今月の終わりに正式に迎えの者を寄越すから準備していてちょうだい。
その前に、孤児院の院長宛にきちんと手紙を送っておくから、あなたからも話しておきなさい」
「はい!」
こうして、カイの従僕としての道が驚くような形で決まったのだった。
その後、まだすうすうと心地よさそうに眠っているザウラク君をカイと従女に任せ、俺たちはルナバッグの納品と清算を行うため、ギルドへと向かった。
ギルド長室に移動すると、エリダヌス夫人は従者に合図を送り、今回の取引の精算が始まった。
従者がトランクから取り出したのは、ずっしりと重そうな革袋だ。
「今回納品してもらったルナバッグは全部で700個。
大銀貨8枚の契約だから……総額は、大金貨56枚になるわね」
「確認してちょうだい」と夫人の一言で、ザラリと机の上に広げられた大金貨の山は、目が眩むほどの莫大な金額だった。
孤児院に住む俺からすれば、一生かかっても稼ぎきれないような大金だ。
だが、その途方もない金額に俺がポカンと目を丸くしている横で、カストルさんは手元の帳簿を開き、冷静な顔でエリダヌス夫人に詳細な会計報告を始めた。
「まず人件費ですが、11日間の期間中に延べ560人の職人の方々に働いていただきました。
日雇いの人件費は、560人×小銀貨2枚で、合計1,120枚――つまり大銀貨112枚となります。
次に、作業に必要な材料費として帆布250枚が小金貨1枚。
そして、作業場をお借りした使用料として、エミルダ様に一日あたり大銀貨1枚をお支払いしました」
カストルさんのよどみない報告を聞きながら、俺はふと現実逃避するように窓の外へと視線を向けた。
西日がジリジリと俺の横顔を照らして、じっとりと汗が吹き出してくる。
(……大金貨56枚かぁ。俺たちの分け前だけでも、砂糖も山ほど買えるよな……。
そしたらカイと一緒に、最後に甘いアイスクリームを腹いっぱい食べられるかもなぁ……)
夕陽が街の屋根をオレンジ色に染め上げていくのをのんびり見ている俺をみたエリダヌス夫人は、カストルの会計報告を聞きながら
(―確かにこの子に従僕は難しいわね…)
とエミルダさんに止められた事にほっと息を吐いていた。
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