54.貴人の秘術
エミルダさんの作業場に戻った俺たちは、また作業に戻った。
職人の主婦たちも緊張が少し解けたのか、いつもの井戸端会議とまではいかないものの、夫人に聞かれるがまま、子供の事など世間話をしていた。
孫のザウラク君は針と糸が並ぶ作業台から離れ、小さい子供たちの居る託児スペース行くように言われていた。
見学に飽きていた様でちょうどよかったのか、そこでカイが相手をしてくれている。
「ちょっと私も参加してみたいわ。 素材を一つ使うわね」
作業台の椅子に腰かけたエリダヌス夫人はそう言って、針を手に楽しそうな表情を見せながら指先で『糸』を描き、するすると糸を出し始めた。
その糸を針に通し、ルナバッグのフラップ部分に刺繍を入れていく。
「せっかくだから、少し面白い趣向にしましょうか。バッグの中身そのものを小さくにする――縮小の魔法よ」
サラサラと紡がれるように縫い上げられていくのはただの文字ではなく、まるで美しい花模様の装飾と絡み合うような、芸術的な『縮』の刺繍だった。
パチリと糸を切ると、すぐに夫人は指先を刺繍に向け、魔法の付与を始めた。細く美しい人差し指が金色に光り、刺繍の『縮』の部分をなぞるように魔力を込めていく。
最後の一画を描いた瞬間、鞄全体から淡い光がふわりと広がり、魔法が定着したのが分かった。
「さあ、試してみるといいわ」
促されるまま、ルナ姉ちゃんがそのバッグの中に少し大きめの木箱を入れてみると――次の瞬間、シュンと音を立てて、木箱が鞄の中に吸い込まれていった。
鞄の中を覗き込むと、そこには手のひら程のサイズに小さくなった木箱が見えた。
前にカストルさんが見せてくれた時は、それどころじゃなかったけど実際に効果を試すとこれが普及している貴族の人間にルナバッグが使用されないのは明らかだった。
それでも、ルナ姉ちゃんは信じられないといった様子で目をしばたたかせ、お針子たちからも「すごすぎる……」「あんな綺麗な刺繍で、これがお貴族様の魔法……」と驚嘆のざわめきが広がる。
職人たちのそのキラキラとした驚きに満ちた表情を見て、夫人はどこか楽しげに目を細めた。
その横でエミルダさんは懐かしむようにその刺繍を覗き込んだ。
「相変わらずだねぇ。流石、耽美の刺繍と言われただけあるね。腕は衰えていないようだ。」
「あら、機能美のエスメラルダ嬢には負けるわ」
それを聞いたエリダヌス夫人も、わざとらしく少し嫌味っぽく答えると二人は顔を見合わせて、いたずらっぽく笑い合った。
まだ騒めいている職人たちを見ながら、エリダヌス夫人は再度口を開いた。
「ふふ、これくらいで驚いていては早いわね。もっと子どもたちや皆さんを驚かせてあげるわ。
私のとっておきの魔法よ」
夫人はさらにイタズラっぽく微笑むと、作業台の端に無造作に置かれている帆布の切れ端に目を向けた。
その指先を微かに光らせ、空中に優雅な軌跡を描きながら、『織』の魔法陣を描き出した。
「本当は、魔力の糸だけで一から生地を創り出すものだけれど……こうして、既存の布そのものを織り直すこともできるのよ」
夫人の指先から放たれた光が、帆布の端切れを包み込む。
帆布がどんどん端から解けるように金色の霧のようなものに囲まれ、するすると複雑に絡み合っていく。
ほんの一瞬の静寂の後、手元に現れた布を見た瞬間、隣に立っていたルナ姉ちゃんは、その翡翠色の目を限界まで大きく見開いて絶句した。
元はごわごわとした、頑丈なだけの帆布の端切れだったものは、まるで極上のシルクのように滑らかで、うっとりするほど柔らかい布へと夫人の手で変貌を遂げていた。
「まぁ……! なんて滑らかなの……まるで絹糸みたい……っ!」
ルナ姉ちゃんが夢中になってその生地に見入っている一方――俺の興味は、全く別の場所に向いていた。
(いまの『織』の魔法陣……。織物とかの織の字か……)
頭の中で、夫人が描いた『織』の文字をなぞる。
好奇心からほとんど無意識で、俺は自分の指先をそっと空中に向け、書き順を確かめるようにつらつらと『織』の文字を描いていた。
その時、パッと、俺の人差し指の先が微かに光を放ち『縮』の魔法陣が金色に光を帯びた。
「あ――」
次の瞬間、意図せず魔法が発動してしまい、俺の目の前の空間からパァッと鮮やかな光の粒子が飛び散った。
慌てて手元を見ると、そこには夫人が織り上げたような完璧な絹の質感とは程遠い、だけどしっかりと目の詰まった、綺麗で新しい帆布がポトリと生み出されていた。
作業場に、さっと静寂が訪れる。
職人たちも、エミルダさんも、そしてルナ姉ちゃんも、言葉を失って俺の手元を見つめていた。
エリダヌス夫人はわずかに目を見張り、それから息を呑むような驚愕の色を浮かべて、じっと俺の顔を見つめた。
「……あなた、私の魔法を、見ただけで完全に理解して再現したというの……?」
信じられないものを見るような目を向けながら、夫人はふっと柔らかく、しかしどこか強い確信に満ちた笑みを浮かべた。
「ねえ、あなた。……うちのザウラクの従僕にならない?」
突然の打診に、作業場の空気が一気に張り詰めた。
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次回も明日17時頃投稿予定です
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