53.貴人の眼差し
「出迎えありがとう、カストル」
豪奢な馬車から降り立ったエリダヌス公爵夫人は、少しだけ辺りを見渡すと、俺とルナ姉ちゃんを見つけてふわりと優しく微笑んだ。
「本日は遠方まで御来臨を賜り、恐悦至極に存じます。
刺繍協会の会長と名高い夫人にお目見えできますこと、職人たちも大変楽しみにしておりました」
跪いて何だか難しい挨拶をしているカストルさんに倣い、俺たちも慌ててその場で跪いて、地面に視線を落とした。
「私も、会えて嬉しいわ。こちらが、その噂の子どもたちかしら」
エリダヌス夫人は俺たちの前で足を止め、カストルさんへと視線を向けた。
「えぇ。ルナバッグを開発した二人にございます。……二人とも、ご挨拶をなさい」
カストルさんに促され、俺たちはゆっくりと顔を上げた。
「エルです。本日はありがとうございます」
「ルナと申します。お目にかかれて光栄です、夫人」
立ち上がった俺たちに、公爵夫人は柔らかい笑みを向けてくれる。
そのドレスの裾をぎゅっと掴み、陰からチラリとこちらを窺う小さな影が顔を覗かせた。上品な顔立ちの男の子だ。
――夫人の子どもかな?
そんなことを考えていると、夫人は優雅に細い指先を口元に添えてクスクスと笑った。
「ふふっ、今日は孫のザウラクも連れてきたのよ。
今年6歳になるのよ。人見知りだけど、仲良くしてあげてね」
――は? 孫?! おばあちゃんなの?! こんなに若くて綺麗なのに……?!
俺が驚きに目を白黒させているうちに、案内役のカストルさんを先頭にして、すぐ近くにあるエミルダさんの作業場へと向かうことになった。
作業場の扉を開けると、そこにはいつものエプロン姿のまま、どっしりと木箱に腰掛けたエミルダさんが待っていた。
「おや、噂の貴婦人がご来臨だと言うから楽しみにしてたんだが……やっぱり、アンタか」
エミルダさんが少し呆れたように声を漏らした瞬間、エリダヌス夫人の表情が劇的に変わった。
「――エスメラルダ……っ!?」
夫人はこれまでの優雅な佇まいを忘れたように、驚愕に目を見開くと、まるで少女のようにスカートの裾を揺らして作業場の奥へと駆け寄った。そして、エミルダさんの両手をしっかりと掴み取る。
「やっぱりエスメラルダなのね……! 結婚して地方へ行ってしまったきり、全く連絡が取れなくなって、どれだけ心配したと思っているのよ!」
「もう何年も前の話を蒸し返さないでおくれ、まったく……」
エミルダさんはやれやれといった風にため息をついたが、その口元にはどこか嬉しそうな、懐かしむような笑みが浮かんでいた。
エリダヌス夫人が言うには、なんとエリダヌス公爵夫人とエミルダさんは、王立学園時代の同級生で、昔からの親友同士だったのだ。
―えっ、エミルダさんもお貴族様ってのは聞いてたけど…エリダヌス夫人とと同級生……?
しかも、エスメラルダってどういうこと?!
驚いているのは俺たちだけではない。カストルさんも「聞いてないわよ……」と珍しく目を丸くして固まっている。
そんな周囲の反応を見て、エミルダさんはまるで悪戯を成功させた魔女ように、ニヤリと楽しげに笑ってみせた。
しかし、こうして並んでみると不思議な対比だった。
若々しく美しい、洗練された気品を纏うエリダヌス夫人に対し、エミルダさんはすっかり年老いて魔女のような雰囲気を漂わせている。
だが、その空気感は、何十年経っても変わっていないようだった。
「さあ、見学って言うなら勝手に見るがいいさ。ウチの可愛いガキどもが作った自慢の仕事場だからね」
エミルダさんの言葉に促され、夫人の視察が始まった。
作業場の中心で、職人たちが手際よくルナバッグを組み立てていく工程を、夫人は一つひとつ丁寧に、まるで採点するかのように鋭く見つめている。
布の裁断から始まり、正確な縫製、丁寧な刺繍、そして仕上げの『軽』の魔法付与まで、ぐるりと見て回る夫人から、時折「まぁ……」「見事ね」と感嘆の声が漏れた。
ムダを極限まで削ぎ落とし、分業制で効率化されたこの作業場は、ただの手仕事の枠を超えた工房システムとして、刺繍の専門家である彼女の目にとても新鮮に映ったようだった。
その間、孫のザウラクは夫人のドレスの裾を掴んだまま大人しくついて回っていたが、どうやらこの見学にはあまり興味がないらしい。
時折、視線が作業場の隅――ちょうど母親たちが子どもを預けている「託児所」の方へとチラチラと向けられている。
一通りの見学を終えると、夫人は満足そうに頷いた。
「素晴らしいわね。
これなら私兵団だけでなく、一般の市場でも引っ張りだこになるはずだわ。
うちの私兵での正式採用も問題なさそうね」
「次は、この子たちの拠点である『孤児院』をご案内いたします。」
カストルさんの一声で、俺たちは馬車に乗り込み、エンゴナシン孤児院へと移動することになった。
「さぁ、エルちゃん、ルナちゃん。私たちの馬車に同乗なさい」
優しく微笑むエリダヌス夫人に招かれ、俺たちは恐縮しながら馬車へと近づいた。
しかし、毎日のように走り回って作業場と孤児院の往復で森を抜ける俺たちの靴は、どうしても泥や埃で汚れている。
「あ……あの、靴が汚れているので、馬車を汚しちゃいます……」
ルナ姉ちゃんが申し訳なさそうに自分の足元を見て、小さく身縮みした。
「ふふ、そんなの気にしなくていいのよ」
「でも……」
「さあ、乗って」と夫人が微笑みかけたその瞬間、俺はこっそり指先を向けた。
―こういう時こそこの魔法だな…
俺は指先に魔力を集中させて、ルナ姉ちゃんの靴に向けて『潔』の魔法陣を描いた。
次の瞬間、その文字がすぅっと布地に染み込んで全体が明るく光り、靴にこびりついていた泥や汚れが一瞬で消え去った
「え……? エル、いつの間に……」
驚くルナ姉ちゃんを促し、俺の靴にも同じく『潔』と指先を光らせ、俺たちは綺麗になった靴で、そっと高級馬車のふかふかの客室へと乗り込んだ。
馬車がガタゴトと音を立てて走り出し、数分後。
馬車は孤児院の前に静かに到着した。
馬車から降りた俺たちを出迎えるように、普段は部屋に籠もりがちであまり姿を見せない孤児院の院長が、一本の古い杖をつきながらゆっくりと姿を見せた。
「ようこそいらっしゃいました、エリダヌス公爵夫人」
「お招きありがとう、院長先生」
挨拶を交わしながら、夫人は四日間の大掃除で隅々までピカピカに磨き上げられた孤児院の建物や庭を、ゆっくりと見回した。
古さは隠せないものの、子どもたちが懸命に手入れをし、清潔に保たれている温かい空間に触れ、夫人の表情に安堵の色が浮かぶ。
「とても綺麗にされていますね。子どもたちも健康そうで…
本当に素晴らしいわ」
その言葉を聞いた瞬間、隣で緊張していたルナ姉ちゃんの肩の力がふっと抜け、嬉しそうにぐっと拳をにぎり、笑顔をこぼした。
その後、俺たちは再びエミルダさんの作業場へと戻るのだが、俺の行動が、みんなを巻き込んでしまう事になるとは、考えてもみなかった。
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