51. 工房の計画と早馬の報せ
「――ルナバッグの工房……」
カストルさんの口から飛び出した計画に、俺は思わず目を丸くして聞き返した。
エミルダさんの作業場の一画を借りる状況では、これ以上の生産が出来ないことは分かっていたけれど、まさか専用の工房を建てる計画になるとは……。
戸惑う俺たちを横目に、ギルド長室のソファに腰掛けたカストルさんは、笑みを浮かべながら優雅にティーカップを傾けてから口を開いた。
「そうよ。エリダヌス公爵家との正式な契約が決まった今、このビジネスはもう個人の内職レベルじゃなくなっているわ。
これからはもっとまとまった数が必要になるし、何より、あなたが学園へ行った後も孤児院が自立して生きていける基盤を作っていきたいんでしょう?」
その言葉に、泣きそうなほど嬉しくなった。
俺が王立学園へ旅立った場合、ルナ姉ちゃんやアン、トム兄ちゃん、そして孤児院のみんなが路頭に迷わないように、カストルさんは先を見据えて動いてくれているのだ。
「で、でも……そんな大きな工房なんて、お金も土地も大変なんじゃ……」
ルナ姉ちゃんが心配そうに眉をひそめて俺を見ると、カストルさんはフッと鼻を鳴らして首を振った。
「そこは安心してちょうだい。アタシが考えた工場の計画を教えてあげるわ」
カストルさんが机の上に広げたのは、一枚の綺麗な敷地見取り図だった。そこには細かく計算された数字や間取りが書き込まれている。
「まず、工場の規模としては『八十人の職人が同時に作業できる工房』、完成品を保管する『倉庫』、そして母親たちが安心して働ける『託児所』。この三つを一体型にするわ。この規模なら、一日で150個から200個の生産体制が十分に維持できるわ」
150個から200個。
これまで毎日ヒーヒー言いながら作っていた数を大きく超える数に、めまいがしそうになる。
「それにね、ルナバッグの製造には普通の鍛冶工房みたいな窯も、巨大な魔導炉も必要ないでしょ?
必要なのは、職人たちが座る『机と椅子』、そして裁断用の平らな台だけ。
だから、普通の工房に比べて建設コストが圧倒的に安上がりなの」
赤い唇を吊り上げるカストルさんを見て、確かにその通りだと俺は感心した。
鉄を打つわけでも、ガラスを焼くわけでもない。布を裁って、縫って、魔法をかけるだけ。大掛かりな設備がいらない分、初期費用を大幅に抑えられるというわけだ。
「おまけに、金属を叩くような騒音も出なければ、油の嫌な匂いもしないでしょう?
だから、工房街のど真ん中に無理して土地を買う必要もないわけ。ね? 効率的でしょう?」
カストルさんの完璧に練られた計画に、俺とルナ姉ちゃんは顔を見合わせて感嘆の声を漏らした。
規模が大きくなっても、彼の頭の中ではすでに計画が完璧に計算し尽くされている。
「本当に採算が取れるのかな……?」
俺の呟きに、カストルさんはニヤリと笑って腕組みをした。
「フフッ、誰の計画だと思っているのかしら?
まあ、ここで話していても始まらないわ。実際に候補地を見に行ってみない?」
カストルさんの言葉で、俺たちは早速その場所へ向かうことになった。
――
案内されたのは、エミルダさんの作業場の裏手、ギルドの裏通りに位置する場所だった。
「ここよ」
カストルさんが指し示したのは、使い古された古い倉庫がポツンと建っている、寂れた一角だった。
周囲を見渡すと、確かに表通りに比べて人通りはほとんどない。商人たちが店を構えるようなエリアからは外れており、倉庫街として使われている場所のようだ。
「なんだかここ……ちょっと寂れてません……?」
ルナ姉ちゃんが不安そうに小声で首をかしげる。しかし、カストルさんは満足げに頷いた。
「ふふ、そう思うでしょう? でもね、ここがミソなのよ。確かに表通りじゃないから、店を出して客の相手をする商売には全然向かないわ。
だけど、ここでやるのは"工房でのものづくり"。
人の目を気にする必要もないし、何よりこの広さの土地が驚くほど安く手に入るのよ」
確かに人通りが少ないということは、それだけ人の声や出入りを気にせず、静かに集中して作業ができるということだ。
多少託児所の子供が騒いでも、文句が来ることもない。そ
れに、エミルダさんの作業場やギルドからもすぐという抜群の近さだ。
「ここに八十人分の作業スペースと、みんなが安心して子どもを預けられる託児所を作るのよ。どう? ワクワクしない?」
カストルさんの瞳が、獲物を仕留める猛禽類のように妖しく輝く。
それに引っ張られるように、俺の中でも「ここで新しい工房が動き出すんだ」という実感が湧いてきて、胸がわくわくと高鳴った。
俺はルナ姉ちゃんと顔を見合わせてから頷いて、カストルさんに向き直った。
「カストルさん!! よろしくお願いします!」
その日から、専用工房の建設に向けた準備は、驚異的なスピードで動き出した。
買い取りの交渉や資材の手配、大工仕事の調整など、カストルさんは裏で猛烈に動いてくれ、更地の整備はあっという間に進んでいった。
日雇いの職人たちも、「自分たちの新しい工場ができるんだ」と聞きつけては、現場の様子を覗きに来ては目を輝かせている。
そんなお祭りのような活気が、ギルドの裏手を包み込んでいった。
俺も、毎日エミルダさんの作業場の帰りに、工房の予定地を覗くのが日課になっていた。
そんなある日、孤児院で夕飯のスープを運んでいると、パカパカと慌ただしい馬の蹄の音が響き渡った。
「――おっと!」
外に出ると砂埃を巻き上げながら、一頭の黒毛の馬が孤児院の前で急停車した。
その馬の背から、見慣れない騎士服の裾を翻して飛び降りてきたのは、カストルさんだった。
いつも優雅で余裕を崩さない彼が、こんな風に焦った様子を見せるのは初めて……
いや、前にもあったな……?
「カストルさん……? どうしたんですか、そんなに慌てて」
俺が駆け寄って尋ねると、カストルさんは額の汗を拭いもせず、扉の前にいた俺とルナ姉ちゃんを見据えて声を張り上げた。
「大変よ! エリダヌス公爵夫人がこの孤児院と、工房の見学をご希望よ」
「えっ……!?」
ルナ姉ちゃんが驚きに声を詰まらせ、思わずスープの器を取り落とした。
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