45.魔法の分解
ギルド長室に山積みにされた汚れた帆布と、これから始まる700個の量産計画を前に、ルナ姉ちゃんは唇を噛み締めて、ぎゅうっとスカートの裾を小さな手で握った。
その様子を横目に、カストルさんがふと、俺の方を見て問いかけた。
「ねえ、エルちゃん。ひとつずっと気になっていたことがあるのよ」
彼女は組んでいた足を解き、デスクの縁に腰をかけると、訝しげな視線を向けてきた。
「エルちゃんアンタ、裁縫はこの間始めたばっかりよね?
いつの間にルナちゃんに教えられるぐらい上達したのかしら?
アタシだって最初は、針を持てば指を刺してばかりだったし、真っ直ぐに布を縫うことさえ満足に出来なかったわ。
それなのに、ルナちゃんにどうやってあんなに精巧な付与刺繍を教えられたの?
普通は刺繍と魔法の両方が出来ないと、教えられないものよ?」
その質問に、ルナ姉ちゃんは俺の縫い目を思い出したのかクスリと笑って俺を見た。
俺は苦笑しながら、カストルさんから羽ペンと一枚の紙を借りた。
「実は俺、真っ直ぐに縫うのもやっとで刺繍はまだ全然なんです。
ただ、ルナ姉ちゃんにこれを見せただけで…」
俺はペン先を紙に落とし、『軽』の魔法陣を一画ずつ、ゆっくりと描き始めた。
一本一本の線を順番に増やし、パズルのように手順を追って組み合わせていく。
最後の一画を書き終えると、そこには完璧な『軽』の魔法陣が完成していた。
「魔法陣を丸々覚えるんじゃなくて、次にどの線を描くのかを順番に手順として分解した物を、俺は見せただけなんです。
それをルナ姉ちゃんが綺麗に針と糸で布に再現してくれたんだ…」
それをじっと見ていたカストルさんの瞳が、大きく見開かれた。
傍らでエミルダさんも「ああ……」と小さく呟く。
「そういえば、前にアンタに『除』の魔法を教えたときもそうだったね。
普通なら一気にひとつの形で覚えるところを、随分と奇妙で回りくどい覚え方をすると思っていたよ。
ただの変わり者だと思っていたが、確かにこの覚え方なら順番を覚えやすいね」
エミルダさんは感心したように頷くが、カストルさんの反応は違った。彼女はその紙を奪うように手に取り、震える指先でその手順をなぞっている。
彼女の目は大きく見開かれて、真っ赤な唇から震える吐息が漏れている。
「……信じられない。魔法陣をこれほどまでに分解するなんて。
私は昔から使える魔法の数が少なくて、必死になって覚えたの。でも何をどうしても劣等生扱いだったわ……。
お陰でアタシは精度を上げることに注力するようになったけど…
ねえエルちゃん、これを学生時代に知っていれば、私はこんなに苦労しなかったわ。これは、魔法を覚えるのが苦手な人間にとって、まさに福音よ」
魔法陣を図形ではなく、漢字という文字として認識している俺ならではの考え方は、長い間コンプレックスを抱えたカストルさんにとっては衝撃の発見の様だった。
カストルさんは即座に頭を切り替えると、俺が魔法陣を分解したように、今度は「鞄作りの全工程」を紙に書き出した。
裁断、縫製、刺繍、付与。それを一番単純な動作まで分解し、誰でも見ればわかる手順書を作っていった。
「これならある程度の針仕事の腕があれば、誰でもできるわ。
エルちゃん、アンタのその考え方ならこの700の壁を越えられるわ」
真っ赤な唇を吊り上げたカストルさんは、猛禽類の様に笑った。
翌日、カストルさんはギルドの掲示板に大きく張り紙をした。
『年齢、身体の制限は問いません。
糸魔法と軽量魔法が使えること。
もしくは魔法が使えなくても針仕事が得意な人。
誰でも職人になれます。
子連れでも歓迎、技術はすべて無料で教えます』
それは、かつてないほど魅力的な求人だった。
翌朝、ギルドの扉が開かれると、そこには驚くべき人だかりができていた。
杖をついて歩く老人、赤子を胸に抱いた女性、少し足を引きずる人たち。
これまで社会から弾かれ、働く場を失っていた人々が、必死に求人票を握り締めて詰め寄った。
「すごい……こんなにたくさんの人が……」
ルナ姉ちゃんが圧倒されて呟く横で、俺は大きく頷いた。
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次回も明日17時頃投稿予定です
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