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きっかけは【漢字辞典】〜名前の長い孤児が生きる、漢字が魔法になる世界〜   作者: 七瀬
第一章

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23.至福の時間


完成した冷却箱と凍結箱を前にホッとしていると、全身が汗と土埃でドロドロに汚れている俺たちに、エミルダさんは声をかけた。



「あんた達、風呂入っといで。」

「風呂!? 風呂があるの!?」



この世界で初めて聞く単語に興奮して大声を出すと、エミルダさんは一瞬呆れた顔をした後、笑って言った。

「なんだい、急に大きな声出して。

あぁ、そうか……。

孤児院には風呂は無かったね」



手招きをするエミルダさんに着いていくと、脱衣所の先に風呂場が広がっていた。


洗い場の奥には、かつて繊細な絵柄が施されていたのだろう、古びた湯船が置かれていた。


その絵柄のほとんどが剥げているが、手の込んだ彫り込みと金色の猫足の豪奢な湯船は、俺たち3人が一度に入れそうなほど大きい。


エミルダさんは指先に魔力を集中させ、金色に光らせる。

書道の様な手つきで『水』と魔法陣を描き、湯船を満たした。

そのまま流れるように水に向けて『温』を描いた。


途端にもくもくと蒸気が上がり、風呂場は白いモヤに満たされ、懐かしいお湯の匂いが満ちていた。


白いモヤの中に、記憶にしかない日本の風呂場が思い浮かぶ。

ユニットバスを避けた結果、通勤時間が犠牲になったあの一人暮らしの部屋が、断片的にフラッシュバックした。



「エル?!、お前なんで泣いてんだ?」


カイに言われてハッとすると、俺のポロポロと流れる涙が頬を濡らしていた。


「だって…だって… 風呂が……」


その後は何も言えずにいると、エミルダさんが呆れたようにため息を吐く。


「まったく、風呂がそんなに嬉しいかね。

石鹸はあそこにあるのを使いな。

体を拭く布は棚の上だよ。風邪ひかないようにしっかり拭いといで。 それから……」


そう言いながら、エミルダさんは脱衣所に戻る。


「脱いだ服はこの清潔箱で綺麗にしな。

カイ、エルの魔法陣、もう一度見てごらん。」


そうして俺たちは脱衣所に取り残された。

俺はすぐに服を脱いで清潔箱に放り込み、風呂場に直行した。


手桶で湯船のお湯をすくい、頭から被る。

それだけでも泣きそうになるぐらい嬉しい。


―今まで、濡れた布で体を拭いて終わりだったけど、この世界にも風呂があるって分かったら、もう戻れる気がしない。


いそいそと石鹸を手に取り、泡で体を流していく俺に

カイとフィリップもそれに倣うように、恐る恐る石鹸を手に取った。


「うわっ…、 なんかヌメヌメする…」

「いってーー! 目に入った!」

困惑するカイと、騒ぐフィリップを横目に石鹸を流すと、いよいよ湯船に足先を踏み入れた。


先端からじんわりと熱が伝わり肩まで浸かった時には、またポタポタと涙が溢れて、水面を揺らす。

足を伸ばしてもまだ余裕のある湯船に浸かりながら俺は、風呂を思う存分堪能していた。


2人が湯船に入ってもまだ余裕のある大きな湯船を出て、エミルダさんの言いつけ通りしっかりと体を拭うと、全裸のまま清潔箱と向き合った。


「えっと… いくよ。」


じっと見つめるカイの目線に、居心地の悪さを感じながら、指先に意識を集中させた。

ほんのりと金色に光らせた指先で、木箱に彫り込まれた『潔』をなぞっていく。


お日様のような柔らかく、爽やかな匂いがして箱を開けると所々茶色く汚れていた服は、まっさらな状態になっていた。


無事成功したことにホッとしている横でカイが、不服そうに呟いた。


「やっぱり… 最後は糸魔法とおんなじなのに…

なんで…」


「うん……。 また、一緒に練習しよ。」


それ以上俺たちは何も言えずに、綺麗になった服を着始めた。


ご覧いただきありがとうございます。

次回も明日17時頃投稿予定です


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