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人口、百人突破

「はい。魔素結晶の採掘・加工が安定したことで、売上が大幅に伸びました。ゴルドさんの工房が回転しているおかげで加工品の付加価値も高く、原石のまま売るより三倍以上の収益が出ています。浄水装置の副産物として回収していた低品位の鉱石も、精製ラインを通すことで市場に出せる品質になりました。人件費の実態は食料と住居の現物支給が中心なので、金銭コストが極端に低い。それが黒字を押し上げています」


「へっ、当然だろ」


ゴルドが鼻を鳴らした。照れているときの彼の口癖だ。三つ編みの赤い髭を撫でながら、視線を横に逸らしている。俺が礼を言うたびにこの反応をする。素直じゃないが、それが彼らしい。


「一人当たりの生産性を試算してみたのですが」とフィーネは続けた。「隣のディアント領と比較すると——」


「どのくらい違う?」


「三倍以上です」


しばらく沈黙があった。


「……三倍?」とレーナが眉を上げた。「それって、つまり……」


「同じ人数でも、ヴァルデンはディアント領の三倍の経済規模を生み出せる、ということです」フィーネはきっぱりと言った。「魔素炉による動力コストの圧縮、魔導街灯による夜間作業の延長、それに採掘精度の向上——これら全てが数字に乗っています。魔素炉の燃料費はほぼゼロ。大陸中どこを探してもこんな経済構造の領地はありません」


「……す、すごい!」


ミラが尻尾をぱたぱたと振った。狐耳まで嬉しそうに揺れている。ヴァルデンに来て新しい服をもらってから、彼女は顔がずいぶん明るくなった。元気いっぱいの笑顔が、部屋の空気を少し軽くする。


「すごいどころの話ではないんです、ミラさん」フィーネが眼鏡を押し上げた。「通常の開拓領が、この規模の収支黒字に到達するには十年はかかります。土地の開墾から始まり、農業基盤を整え、人口を安定させ、余剰生産物が出るようになるまでに——それが三ヶ月で達成されています。異常です」


異常という言葉が、静かな部屋に響いた。


俺は少し考えてから言った。


「褒め言葉として受け取っておく」


「もちろんそのつもりで申し上げました」


フィーネが珍しく微笑んだ。眼鏡の奥で、目が細くなった。


---


月次報告が終わった後、俺は一人で古地図を広げた。


ヴァルデン領を中心に、東西の街道が伸びている。かつては交易路として機能していたはずの道が、今は荒れ果てて使われていない。ディアント領への東街道。さらにその先の王都へと続く幹線。五十年前の大魔素噴出でヴァルデンが使えなくなったとき、この交易路も死んだ。商人が迂回を始め、街が廃れ、人が去った。全てはひとつの出来事に繋がっている。


《構造解析》を発動した。


地図の上に薄く光の層が重なる。Lv3になったスキルは有機物の構造も読めるようになったが、地図のような無機物に対しては引き続き精密な情報を出してくれる。街道の損傷具合、橋の残存状況、それぞれの補修に必要なコストと工期の概算が、俺の脳裏に数字として浮かぶ。


……思ったより悪くない。主要橋の三本は基礎が生きている。補修すれば使える。特に第一橋と第二橋は土台がしっかりしていて、補強材を入れれば荷馬車も通せる。問題は第三橋——欄干は完全に崩落しているが、床版の構造強度は残っている。


コスト試算。工期試算。必要な人員と資材。


頭の中でパズルのピースが収まっていく感覚があった。これが《構造解析》の本当の強みだ。情報を可視化するだけじゃない。その情報を組み合わせて「最短の答え」を導く補助になる。


扉をノックする音がした。


「入れ」


「失礼します」


レーナが入ってきた。作業着の肩に石灰の粉がついている。今日も防壁の工事現場を回っていたらしい。額のゴーグルを額に上げたまま入ってくるのが彼女のいつものスタイルだ。


「地図ですか?」


「交易路の話をしようと思っていた。ちょうどいい、聞いてくれ」


レーナは椅子を引いて座った。銀髪のポニーテールが肩の後ろに揺れる。


「東の街道、通せると思う?」


「……どこまでの条件で、ですか?」


「荷馬車が通れる程度の補修で」


レーナは腕を組んで少し考えた。彼女が考えるときは腕を組んで少し目を伏せる。工兵としての経験が、頭の中で数字を動かしているはずだ。


「第三橋が最大の問題です。欄干は崩れていますが、床版は残っています。補強材を入れれば荷重は取れます。工期は……我々の今の人員だと二週間かと」


「一週間に短縮できるか?」


「魔素炉の動力を建設機械に回せるなら、いけます」


「回す。他の工事と優先度を調整してくれ」


レーナが少し目を丸くした。


「……意思決定が早いですね、いつも」


「費用対効果が明確なら迷う必要がない。橋一本の補修費と、交易路復活で得られる収益を天秤にかければ答えは一つだ」


「そういう計算、どこで学んだんですか?」


「昔の仕事で」


前世の話はできないが、それだけ言えば大概は誤魔化せる。レーナは少し首を傾けたが、深くは聞いてこなかった。


「わかりました。工程表を今日中に作ります」


「頼む。——それと、設計の細かいところで気になる点があったら遠慮なく言ってくれ」


「はい。……ちなみに、第二橋の基礎補修と並行して施工できると思うんですが、どうでしょうか」


「試算を見せてくれれば判断できる」


「明日の朝に持ってきます」


レーナが立ち上がろうとしたとき、ふと思い出したように言った。


「そういえば——ミラさんが言っていましたよね。地下にすごく大きなものがある、って」


「ああ」


「……あれ、いつ調べるんですか?」


俺は少し考えた。地下。ミラの魔素感知が反応した、深部の何か。《構造解析》でも表面からは届かなかった領域。廃墟地下で発見した古代都市の設計図。あれは序章に過ぎなかったのかもしれない。


「交易路の次、かな」


「……楽しみにしています」


レーナが出て行った後、俺は地図に視線を戻した。


東街道。交易路。その先の人口一千人。その先の——地下。


やることは、まだ山ほどある。


---


翌日の朝、フィーネを呼んで数字の続きを話した。


「交易路が復活した場合の試算を頼めるか」


「すでに出しています」


フィーネはすぐさま帳簿を開いた。準備の早さに毎回少し驚く。こういう人間と組めたのは、俺の幸運だと思っている。


「東街道が通った場合、隣接するディアント領との物流が発生します。現状でもヴァルデンの魔素結晶加工品には需要があるので、まず採掘・加工の出荷量が月三倍になります。それに伴い就労人口が増え、住居需要が生まれ、農地の拡張が進みます。さらに商人が定住するようになると——」


「結論を先に」


「半年で人口一千人が見込めます」


今度は俺が沈黙する番だった。


「……一千?」


「はい。流入経路としては、商人、職人、農民の三層です。街道沿いに定住ポイントを二か所設ければ、有機的な人口増加が見込めます。魔素炉の供給能力もLv3の出力なら十分賄えます。住居の建設速度は——レーナさんの工兵チームがいれば追いつくはずです」


一千人。三ヶ月前は三十一人だった。


「……ありえない数字だな」


「そう思います」フィーネは言った。「ありえない数字ですが——この領地では、ありえないが普通でしたね」


その言葉が妙に胸に刺さった。


ありえないが普通。三ヶ月前、廃墟に来た俺に誰かが言ったとしたら、笑い飛ばしていたかもしれない。でも今は、それが事実として数字の上に積み重なっている。


俺は少し笑って、設計図に向かって書き込みを始めた。交易路復活後の街区拡張計画。新住宅地の配置。市場の位置。水路の延伸。


頭の中に、完成したヴァルデンの姿が見えた。


---


その夜、執務机の上に一通の書簡が届いた。


差出人の名を見た瞬間、俺は少し手が止まった。


アルヴィン・ヴェルムント。兄だ。


封蝋を割って開くと、見慣れた流麗な筆跡が並んでいた。金箔の縁取りがある上質な紙に、丁寧な文字が並んでいる。


——弟よ、元気にしているかい。辺境の遊びはどうだ? 王都では相変わらず人気者でいるよ。君の話も少し耳に入ってくるが、誇張も大きいだろうね。廃墟で何かをやっているとか——ともあれ、健康でいてくれ。では。


最後の一行が引っかかった。


「廃墟で何かをやっているとか」


情報を持っている。誰かがヴァルデンを見ている。


兄の書簡には、笑いの裏に探りが混じっている。慇懃無礼。これが昔から変わらない兄のやり方だ。「心配している」という建前の裏に「お前の動きを把握している」という意思表示がある。書簡を出すことで「俺はお前を監視している」と知らせてくる。


「……面白い」


俺は書簡を折り畳んで、引き出しに仕舞った。


返事は後で書く。焦っていないように見せながら、実力を示す返事を。


今夜はもう少し、設計図の続きをやろう。


交易路を引く。人を集める。そしてこの土地を、本当の街にする。


やることは、まだ山ほどある。


窓の外では、魔導街灯が夜のヴァルデンを照らしていた。百の光が等間隔に並んで、暗かった土地を白く染めている。三ヶ月前には存在しなかった光だ。


次の朝、工事現場に向かうレーナの後ろ姿を窓から見送りながら、俺は東街道の修復工程表を書き始めた。

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