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兄からの手紙

アルヴィンへの返書を書くのに、俺は三日かけた。


別に悩んでいたわけじゃない。書き方は決まっていた。ただ、時間をかけて書いた方が「焦っていない」という印象を与えられる。前世でいう「既読スルーしてから数時間後に返信」の応用だ。社会人として積み上げた処世術が、まさかこんな場所で役に立つとは思わなかったが。


「……手紙でそんなことを考えるのか、俺は」


一人で苦笑しながら、ペンを走らせた。


——兄上、ご連絡ありがとうございます。辺境の暮らしはすこぶる快調です。廃墟と聞いていましたが、蓋を開けてみると資源の宝庫でした。人口も増え、収支も黒字です。王都のご活躍、遠くからですが耳に届いています。お体に気をつけてお過ごしください。——


最後に一行付け加えた。


——また機会があれば、ぜひヴァルデンにお越しください。技術的なものをご覧に入れることもできます。——


これは誘いではなく牽制だ。「俺はもう追いつめられた弟ではない」という意思表示でもある。「技術的なもの」が何を指すか、兄の密偵はすでに報告しているはずだ。その上で「見に来い」と言う。余裕を演出しながら、実力を間接的に示す。


書簡を封じて、使者に渡した。


---


東街道の補修は予定より二日早く完了した。


レーナの采配が光った結果だ。魔素炉の動力を集中投下した建設機械が、通常の十倍近いスピードで石材を加工した。俺の設計した架橋補強構造が現場でそのまま使えたのも大きい。測量から施工まで、無駄な手順が一つもなかった。


「完成です」


第三橋の上で、レーナが言った。


石造りの橋は補強材が入って見た目も変わっていたが、それ以上に「頑丈さ」が伝わってきた。《構造解析》で見ると、各接合部の強度は設計値を十五パーセント上回っている。レーナの職人技だ。図面通りに作るだけでなく、現場の状況に合わせて微調整を加えている。元王国工兵の技術は、確かに本物だった。


「よくやった」


「カイルさんの設計通りです」


「設計通りに作れるのは技術だ。礼を受け取れ」


レーナが少し口元を緩めた。珍しく素直な顔だ。額のゴーグルを額に上げたまま、橋の手すりに手を置いた。


「……ありがとうございます」


遠くから風が吹いてきた。橋の下を流れる小川が、陽光を受けて光っている。東の方角、街道が森の中へと続いていく。


「次は第二工区の防壁延伸ですか?」


「その前に、一つ予定が入る」


「?」


「ディアント領から使節が来る。橋の完成情報、すぐに向こうに届くはずだ」


レーナが少し目を細めた。工兵出身の彼女は交渉事の感覚も持っている。元騎士団の経歴が、人を読む力を育てているらしい。


「……交渉、ですか」


「そうだ。東街道を復活させた話が伝わっているはずだ。向こうも無視できない」


「こちらに有利な交渉ができますか?」


「カードは十分ある」


俺は橋の欄干から東の方角を見た。


---


交易路が開いた翌週、隣領ディアントから使節が来た。


ディアント領主、ガルヴ・ストーンウェルの名代が三人。彼らは馬車に乗って第三橋を渡り、ヴァルデンの門の前で立ち止まった。


そのとき、ちょうど魔素炉の定期整備でゴルドが外に出ていた。


「……おい、若。なんか来たぞ」


「聞いてる。通してくれ」


名代の一人、初老の文官が馬車から降りて、周囲を見回した。


その顔が、みるみる変わっていった。


魔導街灯の柱が街道沿いに等間隔で並んでいる。石畳が整備されている。広場には噴水が動いている。建物は全て修繕されて、煙突から煙が上がっている。そこここで人が働いている。亜人も、人間も、ドワーフも、混ざって。声が聞こえる。笑い声が聞こえる。三ヶ月前の廃墟の面影は、もうどこにもなかった。


「……これが、ヴァルデン?」


「そうです」と俺は答えた。「ようこそ」


「し、失礼ながら——三ヶ月前まで、この領地は廃墟だったはずでは?」


「廃墟でした」


「な——」


名代の顔に、まったく言葉がない。


俺は少し楽しくなってきた。相手の想定を上回るのは、交渉の第一歩だ。驚いている間は先手を取れる。


「せっかくですから、魔素炉をご覧になりますか?」


---


中央広場の地下、魔素炉の動力室に案内した。


直径三メートルの炉心が低い唸りを立てて動いている。魔素の光が青白く輝き、循環する動力が建物全体に行き渡っている。温度計が安定した数値を示している。出力は初起動時より三割上がっていた。Lv3の《構造解析》が炉の最適化点を示してくれたおかげだ。


「こ……これは……」


名代の筆頭、壮年の騎士が声を失った。


「魔素炉です。外部の魔素を燃料に、熱・光・動力を生成します。設計は俺がやりました」


「ひ、一人で?」


「ゴルドが製作してくれました。後は領民全員で組み上げました」


「そ、そのような技術が……辺境の、こんな場所に……」


騎士が壁に手を当てた。熱を確かめているようだった。


《構造解析》を軽く走らせると、騎士の顔面が真っ青になっているのがわかった。スキルの情報は感情状態まで拾う。心拍が上がっている。手が微かに震えている。


完全に想定外の事態に直面した人間の顔だ。


「こんなものが辺境に……?」


そう呟く声は、ほとんど独り言だった。


「ディアント領主さまからのご用件は?」と俺は聞いた。


「あ——は、はい。東街道の通行について、協議をとのことで……」


「歓迎します。ところで一つ提案があるのですが」


「は?」


「魔素炉の技術、ディアント領にも提供できます」


騎士が固まった。炉心の青白い光が彼の顔を照らしている。


「た、ただし条件があります。街道の共同管理、それと通行税の免除期間を三年。この二点で合意できるなら、技術提供の協定を結べます」


「……そ、そのような話、私どもの一存では——」


「もちろんです。領主さまにお伝えください。急ぎません。ただ、この技術は他の領地にも提供できます」


俺はそれだけ言って、炉心の光を見た。


青白い輝きが、静かに脈打っている。


使節たちは沈黙のまま炉心を見つめていた。初老の文官が手帳に何かを書き込んでいる。騎士は目を離せないでいる。もう一人の若い随員は、口を半開きにしたまま炉壁の魔導回路を指でなぞっていた。


「……お時間は?」と俺は聞いた。


「い、一日いただけますか。記録を取りたい」


「どうぞ」


---


名代たちが帰った後、ゴルドが隣に来た。


「……若、最後の一言、脅しだろあれ」


「交渉です」


「同じことだろ」


俺はちょっと笑った。


「一週間以内に返事が来る。悪い条件では来ないはずだ」


「なんで言い切れる?」


「魔素炉を見た騎士の顔が全部教えてくれた。あの人は技術を理解している。戻って領主に『これは本物だ』と報告する。他の領地に提供されるくらいなら自分が先に協定を結ぶべきだ、と」


ゴルドが少し沈黙して、「……怖えな、お前」と言った。


「そう?」


「いや、ほんとに怖えよ。なんで初対面の相手の考えがわかるんだよ」


「スキルのおかげだ」


「嘘だろ」


「……半分は嘘だ」


残りの半分は、前世で積み上げた人間観察の経験だが、それは言えない。


---


翌日の夕方、ディアントから早馬が来た。


予想より早かった。書簡を開くと、ガルヴ・ストーンウェル領主直筆の文字が並んでいた。


「協定の締結を希望する。条件は受け入れる」


それだけだった。


一日も経っていない。


「……早いな」


フィーネが後ろから覗いた。


「奇跡的な速度です」


「驚くほどじゃない。向こうは決断の人だ。それだけ魔素炉に価値を見出している」


「カイルさんが魔素炉技術を提供するとして——流出リスクはどう考えていますか?」


「設計図は渡さない。炉心の構造が分かっても、精度を出すには《構造解析》が必要だ。模倣はできない」


フィーネがメモを取った。


「ただし、それは今のうちだけだ。いずれ模倣技術が出てくる可能性はある。だからこそ、先に外交カードとして使っておく意味がある。技術を囲い込むより、信頼の担保として使う方が長期的に得だ」


「……領主の考え方ではないですね。外交官のそれです」


「昔の仕事で学んだ」


また同じ誤魔化しだが、フィーネは今回も深くは聞かなかった。「承知しました。協定書の草案を作ります」とだけ言って、帳簿を閉じた。


---


その夜、俺は一人でヴァルデン東の丘に登った。


夜景を見るためだ。


眼下に街が広がっている。魔導街灯が等間隔に灯って、碁盤の目に光の格子を描いている。広場の噴水が街灯の光を反射してきらめいている。人々が歩いている。笑い声が聞こえる。犬が吠えている。夜なのに、人がいる。暗くないから、夜も動ける。それだけのことが、この土地を変えた。


三ヶ月前、ここには何もなかった。


廃墟があった。崩れた壁と、誰も住まない家と、魔素が漏れ出す地面だけが広がっていた。あの日、俺が馬車から降りたとき、護衛が「ご冗談ですよね」と言った。


冗談じゃなかった。


俺は設計図を取り出した。折り畳まれた羊皮紙に、ヴァルデン全体の拡張計画が描いてある。現在の街区、予定の新住宅地、交易路沿いの市場、第二浄水施設、拡張型魔素炉——


まだ余白が多い。


それが嬉しかった。


「……まだ始まったばかりだ」


独り言が、夜風に溶けた。


一千人を目指す。その先もある。この土地に来たい人は全員受け入れる。それが俺の言ったことだ。三ヶ月前、誰も信じなかった言葉を、今は百人以上が信じて暮らしている。商人が来る。職人が来る。追い出された人が来る。行き場のない人が来る。全員を受け入れる。それがヴァルデンだ。


アルヴィンが何を考えているか、大体わかる。密偵がいる。王都に報告が行っている。「弟の遊び」が遊びではなくなっていると、もう理解している。焦り始めているはずだ。


いい。焦ればいい。


この領地は、今後もっと成長する。


《構造解析》が、ふと発動した。


俺が意図したわけじゃない。スキルが自発的に動いたのは初めてだった。


視野が広がる。ヴァルデン全体の「構造」が、光の線として見えた。建物の配置、魔素の流れ、人々の動線、地下の鉱脈——全部が繋がっている。有機的に、生きているように。街が呼吸している。そんな感覚があった。


そしてスキルは、もっと遠くを示した。


東街道の先。さらにその先。大陸を横断する古代のインフラ網の断片が、光の糸として見えた。かつて誰かが作った道。橋。遺跡。地下構造。それらが今も、地中で繋がっている。


「——ああ」


俺は息を飲んだ。


「……この土地、それだけじゃないのか」


ミラが言っていた。地下にすごく大きなものがある。


スキルが示す光の先に、何があるか。


それはまだわからない。でも——見える。確かに見える。


丘の下では、ヴァルデンの街が夜を灯し続けていた。百の光が、静かに輝いていた。


俺は設計図を巻き直して、丘を下り始めた。


次にやることは、もう決まっていた。


地下だ。

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