東街道の旅商人
東街道の補修が完了してから、ちょうど二週間が経った。
レーナが工兵隊仕込みの施工管理で仕上げた路面は、雨が降っても轍がほとんど残らない。魔素結晶を砕いて骨材に混ぜた特殊工法だ。正確には俺が前世の知識で設計し、レーナが職人たちに叩き込んだ。
「領主さま! 領主さまっ!」
ミラが砦の門から全力で駆けてくる。狐耳がぱたぱたと揺れている。
「商隊です! 馬車が三台、東から来ます!」
「……ついに来たか」
俺は懐から設計図を取り出し、半分ほど広げてから、やめた。今日は商談だ。数字の話は紙の上じゃなく、相手の目を見ながらやる。
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馬車三台を率いてやって来たのは、ハンス・メッセルという四十がらみの商人だった。がっしりした体躯に、日焼けした顔。目が鋭い。長距離を走り慣れた商人の目だ。
「ヴァルデン領、着いたか……」
ハンスが馬車から降りながら、ぽつりとつぶやいた。
俺は正門の前で待っていた。横にフィーネ、少し後ろにレーナ。ゴルドは作業場にいるはずだが、まあ必要になれば呼べる。
「ようこそ、ヴァルデンへ。領主のカイル・ヴェルムントです」
「はあ……」
ハンスが俺の顔を見る。若い、という顔だ。よくされる反応なので慣れた。
「噂は聞いていましたが」と彼は正門の上を見上げた。「魔導街灯、ですかな。あれは」
「そうです。日没後も道が明るい。夜間搬入も可能ですよ」
「……王都にも、こんなものは」
言いかけて、ハンスは口を閉じた。商人の矜持だろう。驚いた顔を見せるのは損だと思っている。だが目が泳いだのは見えた。
「ご案内しましょう」
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ヴァルデンの市街地は、俺が来た当初からすれば別の場所みたいに変わっている。
かつては廃屋と瓦礫と死んだ土だけだった。今は整地された区画に木造と石造が混在する建屋が並び、中央広場には小さな市が立ち始めている。百人という人口にしては、インフラが過剰なくらい整っている。それでいい。器を先に作れ、というのが前世からの持論だった。
「浄水施設です」
俺は魔素炉と連結した浄水棟の前で立ち止まった。
「魔素を利用した多段濾過。市民は無料で清潔な水を使えます」
「無料、ですと」ハンスが眉を上げた。「領主が持ち出しで?」
「インフラは先行投資です。清潔な水があれば疫病が減る。疫病が減れば労働力が安定する。労働力が安定すれば生産性が上がる。結果として、領主の収益になる」
フィーネが隣で小さく頷いた。彼女はこの論理を最初に聞いたとき、三秒黙ってから「正しい」と言った。数字屋の太鼓判だ。
「理屈はわかります」とハンスは言いながら、施設の外壁を手のひらで叩いた。「だが……これだけの設備を、どこから」
「魔素です」
俺はシンプルに答えた。「ヴァルデンの魔素汚染は、見方を変えれば資源です。それを採掘して、精製して、設備に変えた。元手はほぼゼロ。必要だったのは知識と手間だけです」
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魔素炉の前に来たとき、ハンスの表情が変わった。
商人の顔になった。鋭さが増した、という意味ではない。何かの匂いを嗅いだときの、静かな集中だ。
「これが、魔素炉」
「第一号炉です。今は第三号炉まで稼働しています。来月には第四号炉が完成する予定で」
「……一号から三号まで、稼働期間は」
「一号が二ヶ月半。二号が一ヶ月半。三号が先月末から」
ハンスは何かを計算していた。商人の暗算だ。俺には見当がつく。
「フィーネ」
「はい」
フィーネが静かに一歩前に出た。手元に分厚いファイルがある。
「取引品目のリストをご用意しています。ざっとご覧いただけますか」
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中央管理棟の会議室に場所を移した。
フィーネが品目リストを広げると、ハンスは随行の商人仲間と頭を突き合わせた。俺は黙って茶を飲みながら待つ。急かさない。相手が自分で納得するまで待つのが交渉の基本だ。
「魔素結晶、精製済み……純度はどのくらいですか」
「現状で九十二から九十五パーセントほどです」
「……は?」
ハンスが顔を上げた。随行の商人も同じ顔をしている。
「九十五、ですか」
「ええ。もう少し工程を最適化すれば、九十八も見えてきます」
「通常の精製で六十が上限と聞いていますが」
「構造解析スキルで不純物の組成を直接見ながら精製できるんです。職人の勘ではなく、データで制御する」
ハンスが手元のリストに視線を落とした。次に俺を見た。また、リスト。また、俺。
「……サンプルを、見せていただけますか」
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ゴルドを呼んだ。
作業場から出てきた鍛冶師は、赤い三つ編み髭に金属粉をたっぷりつけていた。手には小さな木箱を持っている。
「ったく、呼ぶなら早く言えよな。キリのいいとこだったのに」
「すみません、ゴルドさん。それ、見せてあげてください」
ゴルドがぶつくさ言いながら木箱をテーブルに置いた。
中には二種類のものが入っていた。ひとつは透明な結晶、指先ほどの大きさ。もうひとつは、その結晶を真鍮の枠に嵌め込んだ小型の灯具だ。
「魔素結晶の精製品と」と俺は言った。「試作の魔素灯です。魔力を少し流せば点灯します」
「少し、とは」
「一般成人の保有魔力で、一日八時間の点灯が三十日ほど。子供でも扱えます」
ハンスが魔素灯を手に取った。じっと眺める。裏返す。光に透かす。
そしてゆっくり、テーブルに戻した。
「……これは」と彼は言った。静かだが、声の底に何かが混じっている。「金になる」
商人の目が、完全に変わった。
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「独占契約をご希望でしょうか」
フィーネが先に切り出した。
「……考えないわけではありません」
「領主さまのご意向は、独占ではありません」
ハンスが俺を見た。
「俺が欲しいのは、信頼できる継続取引のパートナーです」と俺は言った。「独占にすれば短期的には旨みがある。でも一社に依存すると、物流が止まったとき全部止まる。リスク分散のために、複数のルートを育てたい」
「……商人に、複数のルートを教えると?」
「競合を恐れていません。うちの商品の品質と価格は、他で真似できない水準を維持します。ハンスさんが他のルートに顧客を取られるとしたら、それはうちの品質が落ちたときだけです。そのときはむしろ、俺たちが反省すべきだ」
ハンスが少し黙った。
「……変わった領主ですな」
「前世が商売人だったのかもしれません」
笑い話のつもりだったが、ハンスは笑わなかった。代わりに、深く頷いた。
「交渉させてください。条件の詰めを」
フィーネが無表情のまま、わずかに口角を上げた。俺にしかわからない程度の、彼女の満面の笑みだ。
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三時間後、最初の取引契約書に署名が入った。
魔素結晶(精製済み)、月十キログラム。魔素灯(試作品含む)、月二十個。支払いは先払いの五割、納品後残額。
地味な数字だ。だが最初はこれでいい。信頼は積み上げるものだから。
「ところで」とハンスは契約書を懐にしまいながら言った。「一点、お伺いしてもよいですか」
「どうぞ」
「この話……王都の商人ギルドに持ち帰っても、よろしいですか?」
俺は一秒だけ考えた。
「構いません。むしろお願いします」
「は?」
「広まった方がいい。ヴァルデンが何を作っているか、どれだけの品質を出せるか。噂が先を走れば、次の商人が来るとき交渉が早い」
ハンスがまた、静かな顔をした。
「……本当に、変わった領主ですな」
翌朝、ハンスの商隊はヴァルデンを出発した。馬車の荷台には、最初の出荷分が積まれている。
俺は見送りながら、頭の中でそろばんを弾いた。
噂が届くまで、早ければ一ヶ月。商人ギルドが動くまで、さらに二週間。
次の来客が現れるのは、おそらく六週間以内だ。
それまでに、供給体制を整えておかなければならない。




