結晶が動かす経済
ハンスが帰ってから十七日後、問い合わせの書状が四通届いた。
二通は個人商人、一通は商業組合、一通は住所不明の匿名だった。匿名は無視した。それ以外の三通には、フィーネが定型の返書を出した。「見学・商談は予約制。月次で枠を開放する」という内容だ。
「問い合わせがあったということは、噂が流れたということです」とフィーネは言った。眼鏡の奥の目が、数字を追うときの光り方をしている。「ここからが本番です、領主さま」
「わかってます。だから急いで工程を見直す必要がある」
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魔素結晶の精製ラインを、俺は一から設計し直した。
《構造解析》が教えてくれるのは、結晶内部の不純物の種類と位置だ。従来の精製は加熱と濾過の繰り返しで、勘と経験に頼っていた。不純物がどこにあるかわからないから、全部削ぎ落とそうとして純度が上がらない。
俺のやり方は違う。
「……ああ、なるほどな」
精製炉の前で、俺は結晶を手に取って《構造解析》を走らせた。内部構造が頭の中に展開される。七種類の不純物が、それぞれ異なる深度に分布している。
削るべき順番がある。温度の上げ方に順番がある。冷却のタイミングに順番がある。
前世で言えば、品質管理のPDCAだ。測定して、分析して、改善して、また測定する。
「レーナ」
「はい」
「工程表を書き直す。炉の温度制御を段階的に七段階に分ける。管理できますか」
「できます。ただ」と彼女は少し眉を寄せた。「七段階だと、一回の精製に今の倍の時間がかかります」
「量より質を先に上げる。質が証明できれば、炉を増やして量で対応する」
レーナが頷いた。「わかりました」
三日かけて新工程を試した。
結果は純度九十八点二パーセント。
これまでの最高が九十五だったから、明確な改善だ。ゴルドに報告すると、鍛冶師は赤い髭をいじりながら「しゃーねぇな、認めてやる」と言った。彼の最大級の賛辞だ。
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「量産体制の話をしましょう」
ゴルドが作業場の図面を広げた。
赤い三つ編みが設計図の上に垂れている。器用な手が、修正線を引く。
「魔素灯は型を作れば量産できる。問題は枠の素材だ。真鍮でやってたが、もっと安い素材でいける気がする」
「鉄ではどうですか」
「試した。結晶との相性が悪くて発光が不安定になる」
「亜鉛合金は」
「……試してない」
「亜鉛と銅の合金で、比率を変えながら試してみてください。《構造解析》で相性の良い組成を特定します」
ゴルドがむっつりした顔でメモを取った。「言い方が偉そうだな」
「すみません。お願いします、ゴルドさん」
「最初からそう言え」
結果的に、亜鉛六割・銅四割の合金が最も相性が良かった。コストは真鍮の三分の一だ。
魔素灯の量産が、ここで本格的に動き始めた。
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ゴルドが手がけた商品は三種類になった。
魔素灯。暗い室内を照らす掌サイズの灯具で、魔力操作が苦手な人間でも扱える。魔素暖房石。拳大の結晶石で、僅かな魔力を流すと一定時間じんわりと熱を発し続ける。寒冷地の需要を見込んで設計した。魔素浄水珠。小型の球状結晶で、水に浸けると三十分で飲料水相当の清潔度にする。大規模施設の縮小版だ。
「この三つで行きましょう」
フィーネが品目を確認しながら言った。
「まず価格ですが」
「安くしすぎないでください」と俺は先に言った。
フィーネが眼鏡の位置を直した。「全く同じことを申し上げようとしていました」
「希少性が武器です」
「そうです」
二人で同時に言った後、一瞬だけ沈黙があった。フィーネが先に話を続けた。
「安売りは絶対にしません。品質で差別化している以上、価格は品質を証明する指標でもある。魔素灯一個、金貨二枚。魔素暖房石、金貨三枚。魔素浄水珠、金貨一枚半」
「王都の相場と比べると」
「王都に同等品はありません。だから相場がない。こちらが相場を作ります」
俺は頷いた。「その通りです」
フィーネが価格表を台帳に記入しながら、指が少し速く動いた。数字の話をしているときの彼女の癖だ。興奮しているときは、指が先に動く。
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最初の大口注文は、予想より早く来た。
ハンスが帰還してから二十三日目、非公式の使いがヴァルデンの正門を叩いた。
差出人は、ディアント領主バルト・ヘンゼル卿の家令だった。
「……非公式で、魔素暖房石を百個」
フィーネが注文書を読み上げながら、表情を変えなかった。さすがだ。俺も努めて平静を保った。
「先日の使節が持って帰った情報でしょうね」とフィーネは言った。「ディアント領は標高が高い。冬が長く、暖房需要が大きい」
「百個、一括注文か」
「現在の在庫では対応できません。納期は三ヶ月後でよければ受けられます」
「受けましょう。ただし」と俺は言った。「価格は一切値引きしない。それが条件です」
フィーネが返書を書いた。三ヶ月後納品、金貨三百枚、前払い五割。
返事は翌日来た。
承諾、だった。
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金貨百五十枚が、ヴァルデンの金庫に入った。
前払い分だけで、先月の総収入を超えた。
「投資に回します」と俺はフィーネに言った。
「第四号炉の建設費は金貨八十枚です」とフィーネは即答した。「残り七十枚で資材と人件費の積み増しができます。職人をもう三人雇えます」
「求人を出してください。条件はいつも通り。技術があれば種族不問、前歴不問」
「承知しました」
レーナが脇から言った。「カイル様、一点確認ですが」
「はい」
「第四号炉の設置場所、東側の区画を想定していましたが、防壁の拡張計画と干渉します。どちらを優先しますか」
「炉を優先してください。防壁は次の月次予算で対応する」
「了解しました」
会議室に三人の声が重なる。決定が積み上がっていく。やることが増えるたびに、領地が動いていく感覚がある。
前世で言えば、プロジェクトが走り始めたときの手応えだ。部署を超えて物事が動き始める、あの感覚。
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月次報告の数字を、俺は一人で眺めた。
人口、百三十人。来月には職人の追加採用で百五十を超える見込みだ。
先月比で交易収入が三倍になった。インフラ投資の回収が、想定より二ヶ月早まった。一人当たりの生産性は、比較可能な近隣領の平均を四倍近く上回っている。
たった百三十人。されど百三十人。
来た当初は十七人だった。廃墟の中でゴルドと二人でそろばんを弾いていた。あの日から数えると、人口は七倍を超えた。
領地とは、数字が積み上がる場所だと俺は思う。一つの浄水施設が人を呼び、人が技術を持ち寄り、技術が製品を生み出し、製品が金を引き寄せ、金がまた設備になる。
その循環が回り始めると、誰かが止めようとしない限り、自律的に成長する。
問題は、止めようとする誰かが必ず現れるということだ。
「領主さま」
ミラが部屋のドアを叩いた。
「入っていいよ」
扉が開いて、狐耳の少女が顔を出した。少し緊張した顔をしている。
「使者の方が来ていまして」
「どこから」
「ディアント領です」とミラは言った。「ディアント領主バルト・ヘンゼル卿が……直接お会いしたいと、申しております」
俺は月次報告の紙を、静かに机に置いた。
直接会いたい、か。
非公式注文の次は、領主が自ら動いた。ということは、魔素暖房石は表向きの理由で、本当の用件は別にある。
何を求めて来る。技術提携か。それとも、もっと大きな話か。
俺は立ち上がり、上着の埃を払った。
「応接室に通してください。俺もすぐ行きます」
フィーネとレーナに声をかけながら、俺は頭の中で交渉のシナリオを組み立て始めた。相手が何を欲しがっているかより、相手が何を欲しがっていると思っているかを先に考える。
それが商談の勘所だ。
ヴァルデンの本番は、まだ始まったばかりだった。




