魔物は門を叩く
非常鐘が鳴ったのは、日が中天を過ぎた頃だった。
「魔獣の群れだ! 東の森から出てきた! 二十匹以上——いや、もっといる!」
見張りの男が血相を変えて駆け込んできた。俺は手に持っていた設計図を放り出して立ち上がった。
「数は?」
「三十は超えてます! デカいのが混じってる! 牙猪の倍くらいある!」
ゴルドがすでに革エプロンの上から武器用の大ハンマーを掴んでいた。
「自警団を全員集めろ、若」
「わかった」俺は走りながら叫んだ。「フィーネさんは子供たちを地下へ!」
「了解です」フィーネの声は落ち着いていた。「生還率の試算はしません。生きて帰ってください」
それだけ言って、彼女は走った。
東門に着いたとき、状況は想像より悪かった。
ヴァルデン領の自警団は十一名。平均年齢は高く、装備も旧式だ。魔獣が出たとしても、普段は小型の魔素溜まりから発生する五、六匹の単体を相手にするのが関の山だった。
だが今日は違う。
東の森の縁から、黒い塊がわらわらと這い出てきていた。牙猪——魔素を吸収して巨大化した猪型の魔獣。通常の三倍はある巨体のものが最前列に並んでいる。その後ろに、爪の長い獣型の小型種が群れをなして続いていた。
「あれを全部倒せというのか」自警団の一人が呟いた。
声に絶望が滲んでいた。
「……」
俺は黙って東門の城壁に上がった。
《構造解析》を使う。
視界が変わった。魔素の流れが見える。地面の亀裂の深さが見える。材質の強度が見える。いつもの光景だ。
だが、今日は何かが違った。
群れの中の巨大牙猪に視線を向けた瞬間——《構造解析》が、俺の意識とは別に、何かを「見ようとした」。
〔スキルレベルアップ〕
《構造解析》Lv2 → Lv3
〔新機能解放:生体構造解析〕
頭の中で音が鳴るような感覚。
次の瞬間、視界が塗り変わった。
魔獣の体が透けて見えた。骨格の配置。筋繊維の走り方。血管の経路。内臓の位置。そして——
赤く光る点が、三箇所。
……急所だ。
「《構造解析》が発動した」俺は声に出して言っていた。「見える。全部見える」
「若?」ゴルドが城壁を見上げた。
「ゴルドさん!」俺は叫んだ。「あの巨大な牙猪、左前脚の付け根を見てください。関節の外側、筋の隙間に隙間があります。深さ五センチほど奥に急所があります。そこを突いてください!」
「……何を言ってる、急所なんてそんな簡単に——」
「信じてください! 今だけでいい!」
ゴルドは一瞬黙った。
それから、短く「わかった」と言った。
ゴルドが門から飛び出した。
体高百三十センチのドワーフが、自分の倍以上の巨大魔獣に向かって正面から突っ込んでいく。自警団の何人かが悲鳴を上げた。
「死ぬ!」「止めろ!」
俺は息を詰めて見ていた。
ゴルドのハンマーが弧を描いた。正面からではない。牙猪が前脚を踏み出した瞬間——関節が開いた一瞬を狙って、横から滑り込むように撃ち込んだ。
鈍い音がした。
三トンはある巨大牙猪が、ぴたりと止まった。
膝が折れた。前のめりに倒れた。地面が揺れた。
一撃だった。
「…………」
城壁の上が静寂に包まれた。
「俺の計算が合ってた」俺は独り言のように言った。「よかった」
「若!」ゴルドが叫んだ。「次はどこだ!」
俺は急いで次の魔獣を《構造解析》で見た。中型の爪獣。背中の中央、第三椎骨と第四椎骨の間に、赤い点。
「背中の中央、背骨の三番目と四番目の間! 槍で突けます!」
自警団の槍使いが走った。俺の指示通りに突いた。爪獣が倒れた。
「次、右から来てる牙猪——右後脚の付け根の腱! 切れば動けなくなります!」
一人が剣を構えて走った。
倒れた。
「左の群れ、三匹まとまってます——真ん中の個体の喉元、鱗の薄い部分を矢で射てください! あそこだけ防御が弱い!」
弓使いが矢を番えた。放った。真ん中の魔獣が倒れ、残りの二匹が混乱して同士討ちし始めた。
「いける!」誰かが叫んだ。
「指示を続けてくれ、若!」ゴルドが笑った。生き生きとした声だった。
そこから先は、俺も何をしていたのかよく覚えていない。
ただ叫び続けた。次々に《構造解析》で急所を見つけて、誰に指示するか判断して、叫んだ。喉が嗄れても叫んだ。
自警団の動きが変わっていった。
最初はバラバラに走り回っていた十一人が、俺の指示のもとで動くようになった。二人一組で挟み込む。囮を使って側面を晒させる。地形を利用して追い込む。彼らが持っている技術と体力は最初からそこにあった。ただ、どこを狙えばいいかわからなかっただけだった。
それが、わかった。
三十四匹。
一匹残さず、倒した。
終わったとき、俺は城壁の上にへたり込んでいた。
「……全身から力が抜けた」
「当たり前だ」ゴルドがハンマーを肩に担ぎながら城壁に上がってきた。「ずっと叫いてただろうが、若」
周りを見ると、自警団の全員が無傷だった。重傷者どころか、軽傷者も三人だけだった。
「信じられない」自警団の老練な男が呟いた。「こんな数を、こんな損害で……」
「お前さんが急所を教えてくれなければ、俺たちは全滅していた」別の男が言った。「あの指示は、何だ? 何でわかる?」
「スキルです」俺は素直に答えた。「《構造解析》というスキルが、生き物の体の構造を見せてくれました。今日、進化したみたいで、生体にも使えるようになって」
「……魔導技師のスキルで、魔獣の急所がわかるのか」
誰かが笑い出した。おかしくてたまらないという笑いだった。
「チートすぎる」
「それはそれで困ります」俺は苦笑した。「俺が一番びっくりしています」
ゴルドが豪快に笑った。「ったく、お前さんは本当に底が見えねえな、若」
後片付けをしていると、思わぬ発見があった。
倒した魔獣の体内から、光るものが出てきた。
「……何だこれ」
拳大ほどの、青白く輝く結晶。《構造解析》で見ると——高純度の魔素を圧縮して結晶化したもの。魔獣が体内で何年もかけて生成したものだ。
「魔素結晶か」ゴルドが呟いた。「見たことはある。王都じゃあ高値がつく素材だ。魔導具の核に使う」
「三十四匹から取れたら、いくつあるんでしょう」
「全部から取れるわけじゃないが……大型種には確実に入ってる。十個は下らないな」
俺は思わずフィーネの顔を思い浮かべた。
彼女はこれをどう計算するだろうか。
「ゴルドさん」俺は言った。「この魔素結晶、市場価格はどれくらいですか」
「一個で領民の一ヶ月分の食費には余るな」
「……フィーネさんに報告しないと」
「ったく」ゴルドは苦笑した。「あの会計士は喜ぶだろうな。眼を輝かせて計算し始めるぞ、絶対に」
俺は立ち上がって、地下への出口に向かった。
途中で、ゴルドが独り言のように呟いた。
「……工兵隊がいれば、もっとうまく動かせたんだがな」
「工兵隊?」
「俺が若いころ、王国騎士団の工兵部隊に短期で協力したことがある。地形と戦術を組み合わせた戦い方をする連中で、ああいう指示を出しながら戦う奴らだった」ゴルドは顎を掻いた。「お前さんが今日やったことは、あいつらの戦術とそっくりだった」
「今もそういう部隊はあるんですか?」
「どうだかな。うちの国は内政部門も軍事部門も、派手な連中ばかりが出世して、地味に働く奴らは冷遇される」
ゴルドは少し間を置いて、
「いい人材がいるかもしれんが、そういう連中は大抵、居場所をなくしてるもんだ」
と言った。
その言葉が、ずっと頭の片隅に残った。
工兵隊。インフラと戦術を組み合わせた戦い方。居場所をなくした人間。
まだ名前も顔も知らない、誰かの影が——俺の頭の中で、輪郭を持ち始めていた。




