地の底の記憶
「呼んでる、というのは?」
俺はミラの前にしゃがんで、視線を合わせた。狐耳が、わずかに内側に折れている。怯えではなく、緊張だ、とわかった。
「うまく言えないんですけど……魔素の流れが、下から来てるんです。ずっと前からあったけど、今日、急に強くなって」
「今日、バルトたちが来た日に?」
「はい。でも、たぶん関係ないと思います。ただ、方向が……古い水路の奥です」
ゴルドが立ち上がった。「行くか」
「行く」
---
四人で古い水路に降りたのは、深夜を少し回ったころだ。
俺、ゴルド、レーナ、ミラ。水路は三ヶ月前に排水設備を整備する際に通り抜けていたが、最深部まで踏み込んだことはなかった。
「領主さん、松明は俺が持ちます」
レーナが先頭を歩いた。銀髪のショートポニーが揺れる。空いた左手に、小さな火球を浮かべている。火属性魔術の明かりは、松明より白くて遠くまで届く。
水路は思ったより奥深かった。
整備された部分を過ぎると、石組みの質が変わった。荒削りから、精緻な加工の石へ。目地が均一で、壁面が微かに光を反射している。
「これ、俺たちが作ったやつじゃないな」
ゴルドが壁を叩いた。コツコツ、という音が、詰まった感じで返ってくる。「石の密度が違う。ドワーフの工法でもねぇ。ずっと古いな」
「古代の遺構?」
「知らねぇ。でも少なくとも、百年は前の代物だ」
ミラが俺の袖を引いた。「こっちです、領主さま」
---
扉は、水路の最奥に立っていた。
高さ、目測で六メートル。幅は四メートルほど。金属製だが、錆びていない。黒に近い青色の金属が、レーナの火術明かりを受けて鈍く輝いている。
そして扉全体に、魔術式が刻まれていた。
「……ったく」
ゴルドが珍しく言葉に詰まった。「こりゃ、でかいな」
術式は細密だった。俺が今まで見た中で最も複雑な構造。線が幾重にも重なり、節点で交差し、全体が一つの巨大な文様を形成している。どこかに解読の取っかかりがあるはずだが、普通の目には文様にしか見えない。
「読めますか」レーナが聞いた。
「通常の方法では無理だ」
俺は扉に一歩近づいた。手を当てようとして、止まった。
《構造解析》を使う。そう決めた瞬間、なぜか息を整えたくなった。前世の感覚で言えば、大型構造物の安全診断を始める前の感覚に近い。
「少し、離れていてくれ」
三人が後退するのを確認して、俺は扉に右手を当てた。
《構造解析》、起動。
---
視界が変わった。
魔術式が光の線として見える。これはいつものことだ。しかし今回は違った。光の線が多すぎて、俺の頭が情報処理を追いつかせようとして、ぐらつくような感覚がある。
一層、二層、三層。術式は重なっている。それぞれの層が干渉し合い、全体で一つの鍵になっている構造だ。
……ああ、なるほどな。
術式の設計思想が見えてくる。封印ではなく、認証システムだ。特定の魔素パターンを持つ者だけが開けられる。そして、そのパターンは。
頭の中で熱が上がった。《構造解析》が限界に近づいている。俺のスキルレベルでは、処理できる情報量の上限がある。それを今、押し当てようとしている。
もう少し。
あと少しだけ深く見れば。
視界が白くなりかけた。
そのとき。
スキルが、何かを越えた感触があった。
システムウィンドウが視界の端に浮かぶ。
《構造解析》Lv3 → Lv4「魔術式解析」へ進化
視界が、色で満ちた。
魔術式の線が色分けされている。青い線が基礎構造、赤が認証層、金色が動力経路、そして緑が、解錠トリガーだ。
「……見える」
俺は緑の線をたどった。手から魔素を流す。ほんのわずかでいい。緑の線が示す経路通りに、正確に。
低い振動が扉から伝わってきた。
ゴン、という重い音。
六メートルの扉が、内側へ向かってゆっくりと開いていった。
---
「領主さん」
レーナの声が、わずかに震えていた。
扉の奥は暗かった。しかし暗闇の中に、微かな光が点在している。規則的な光の粒が、遥か奥まで続いている。
レーナが火球を強く燃やした。
空間が、目の前に現れた。
「……でかい」
ゴルドが呟いた。
縦横数百メートル。高さは二十メートルを超えるだろう。地下にこれだけの空間が存在していたことが、まず信じられない。そして空間を埋め尽くすように、巨大な装置群が立ち並んでいた。
塔のような形の炉。俺が作った魔素炉の十倍以上の規模が、そこかしこに立っている。それらを繋ぐ配管と導管の網。壁面には制御盤らしき構造物。全てが完全な状態で残っていた。
埃もない。腐食もない。まるで昨日まで稼働していたかのように。
ミラが俺の隣で立ち尽くしている。「魔素が……ものすごく、濃いです。でも、全然嫌な感じじゃない。きれいです」
《構造解析》を起動した。
装置群の構造が読める。新しいスキルレベルは情報量が違う。配管の経路、炉の設計、制御系の論理が、色分けされた光の線として空間全体に展開される。
俺は静かに息を吸った。
「これは都市じゃない」
三人が俺を見た。
「工場だ。この大陸の魔素を精製するための、巨大な工場だ」
---
「工場って、誰が作ったんですか」
ミラが聞いた。
「わからない。ただ、設計思想から見ると……この装置は、ヴァルデンの汚染魔素を意図的に生産していた可能性がある」
「意図的に?」
「精製の過程で、純度の低い魔素が大量に発生する。それが地表に漏れ出して、ヴァルデンを汚染した」
レーナが眉を寄せた。「じゃあ、ヴァルデンが死の大地になったのは事故じゃなくて?」
「設計ミスか、あるいは想定外の運転停止か。断言はできない。ただ、この規模の施設が地下にあれば、地表への影響は不可避だ」
「……ったく」ゴルドが口を開いた。「俺たちが浄化しようとしてた汚染の根っこが、ここにあったってわけか」
そういうことだ。
俺はゆっくりと空間を歩き始めた。炉の一つに近づく。外装に触れた。金属は温かかった。
温かい。
「これ、まだ動いてるのか?」
「一部は」
ミラが耳をぴくりと動かした。「はい。奥の方から、振動が来てます」
俺は空間の奥を見た。装置群の向こう、さらに奥に何かがある。制御室か、あるいは炉心か。
かすかな振動が床を伝わってきた。
確かに何かがある。この工場は、完全には止まっていない。
---
「今夜はここまでにしよう」
俺は言った。「構造の把握に最低三日は必要だ。装置の一部が動いているなら、安易に触ると何が起きるか分からない」
レーナが頷いた。「同意します。先に全体の地図を作るべきです」
「ゴルド、ドワーフの鉱山測量の技術を使えるか?」
「しゃーねぇな。やってやる。ただし二日くれ」
「三日でいい。急がなくていい」
俺はもう一度、空間全体を見渡した。
魔素炉の青白い光が、遠く壁面に反射している。この場所が、ヴァルデンの地下にずっと存在していた。俺が領主になってから半年、ずっとここにあった。
前世の感覚で言えば、廃墟工場の地下に完全な生産ラインが残っていたようなものだ。用途も、規模も、目的も。全て桁が違う。
ミラが俺の袖を引いた。
「領主さま、これ……どうするんですか?」
俺は少し考えた。
「直す」
「え?」
「止まっている部分を動かして、動きすぎている部分を制御する。この工場が正しく動けば、ヴァルデンの汚染魔素は根本から解決できる。それだけじゃない」
《構造解析》の視界の中で、工場全体の設計が見えている。
この設備の生産能力は、現在の魔素炉とは比較にならない。全稼働すれば、大陸全体の魔素需要を賄える規模だ。
「ヴァルデンは変わる。俺たちが作った街から、大陸の魔素を供給する拠点になる」
ゴルドが赤い髭を撫でた。「……でかいこと言うじゃねぇか」
「でかいことを言う必要がある場所だろ、ここは」
空間の奥から、また振動が来た。
まだ動いている何かが、俺たちを待っているように。




