生涯の刑と、帝都潜入の策
エリスは顔を上げ、くるりと広場の群衆の方へ向き直った。
その瞬間、彼女の纏う空気が変わった。
婚約者としてのエリスから、王族としてのエリスへ。
「ラグナの皆様!」
凛とした声が、広場の隅々まで響き渡った。
「王都において、私の婚約者レオン・フェルディナは、王族を害した罪を問われました。王都では今も、その処分を求める声が上がっています」
広場がざわめく。
「ですが、ラグナ戦域の統治権は、国王陛下より正式に私へと授けられたものです。ゆえに本日より、ラグナにおける裁きと統治の一切は、私の名のもとに行います。王都からの介入は、何人たりとも受け入れません」
ざわめきが、どよめきに変わった。
俺も耳を疑った。
王家から授かった統治権を盾に、王家そのものの介入を拒む。
反逆と紙一重の宣言だ。
「ラグナは引き続き、王国の盾として魔族と戦い続けます。王都の支援が減ったとしても、私たちには亜魔族の皆様から授かった農法があります。誰にも頼らず、この地を守り抜く力があるのです」
エリスは、俺の隣に立つアイシャに目を向けた。
アイシャは一瞬目を丸くした後、胸に手を当てて小さく頷いた。
「そして、ラグナの統治者として、王都で問われた罪人の処分を、今ここで言い渡します」
エリスが、再び俺に向き直る。
広場中の視線が、俺たちに集中した。
俺は息を呑んで、その言葉を待った。
「罪人レオン・フェルディナ。あなたには、生涯ラグナの統治者の傍らに仕え、その身と知恵の全てを統治者に捧げる刑を科します」
一瞬の沈黙の後。
広場が、割れんばかりの歓声に包まれた。
「……は?」
俺だけが、間の抜けた声を漏らしていた。
「つまり、どういうことです?」
「生涯、私の傍にいていただく、ということです」
エリスは、にこりと笑った。
「統治者の裁きは、王都でも覆せません。これは刑罰なので、婚約と違って解消はできませんから、覚悟してください」
兵士たちが口笛を吹き、住民たちが手を叩き、神官戦士たちまでが帽子を宙に放り投げている。
カティアだけが、何とも言えない複雑な顔で拍手をしていた。
隣のアイシャが、ぽつりと呟いた。
「やっぱり、エリスは強い」
その日の夜、ラグナ城の一室で、俺とエリスとアイシャは地図を囲んでいた。
「エリス様、姉上は……?」
真っ先に尋ねると、エリスは安心させるように微笑んだ。
「ご無事です。あの後、お兄様と二人で騒ぎを収めてくださいました。今はフェルディナ家を守るために、王都に残っておられます。レオンに伝えて、と言伝も預かっていますよ。『しっかりやりなさい』と」
姉上らしい。
胸のつかえが、一つ下りた気がした。
「それと、王都の介入を拒むなど、王国と戦になりませんか?」
俺が尋ねると、エリスは静かに首を横に振った。
「私は独立を宣言したわけではありません。ラグナは今も王国の領土で、私は王国の王女です。ただ、陛下から授かった統治権の範囲で、自分の領地の罪人を裁いたにすぎません」
「理屈の上では、そうかもしれませんが……」
「それに、ラグナを攻めれば、三十年ぶりに取り戻した最前線が崩れます。魔族を前に王国内で争うなど、どの貴族も望みません。アークライト公爵でさえ、声高に非難はできても、兵を出すことはできないのです」
エリスはそう言って、一通の書状を差し出した。
王家の封蝋が押されたその書状には、国王陛下の筆跡で、たった一言だけが記されていた。
『好きにせよ』
「お父様には、出陣の前に全てを書き送りました。かつて私を守り切れなかったことを、ずっと悔いておられたのです。表立っては怒ったふりをなさるでしょうが、私の統治権を取り上げることはないはずです」
エリスはそう言うと、地図の一点を指さした。
帝国の都だ。
「そして、ここからが本題です。ラグナの統治者として、エリクサーの返礼のため、帝国を公式訪問いたします。皇太子殿下からの求婚にも、正式にお返事を差し上げなければなりませんし」
「お返事、ですか」
「はい。きっちりと」
エリスの笑みが、少しだけ怖かった。
「ですが、公式の使節団では、帝都の裏側までは探れません」
エリスの指が、帝都の外れにある古い地区へと滑る。
「レオン様が帝都へ向かおうとしていた理由も、アイシャ様から伺いました。攫われる少女たちのこと……私も、決して他人事ではありません」
エリスは、自分の目元にそっと触れた。
「使節団は表の顔として、カティアに率いてもらいます。その裏で、私たちは身分を隠して帝都に潜り込みましょう」
「身分を隠して、とは」
「行商の若夫婦として潜入する案、アイシャ様から伺いました。カティアが使節団を率いて帝都に入る際、『王女殿下が、大陸中の交易品が集まる帝都で贅沢品を買い漁るおつもりだ』と触れ込みましょう。普段は入都の審査が厳しい帝都ですが、行商人が殺到すれば、審査は追いつかなくなります。賄賂一つで荷も改めずに通すことが、すぐに当たり前になるでしょう」
淡々とした口調だった。
「エリス様の評判が、贅沢好きの王女になってしまいますよ」
「構いません。それで帝都の門が開くなら、安いものです」
エリスは、にっこりと笑った。
「そして、妻の役は、もちろん私が務めます」
「待って」
アイシャが、すかさず手を挙げた。
「妻の練習は、私の方が進んでる。呼び方まで決めかけてた」
「私はこれでもかなりの読書家で、恋人や夫婦の物語をたくさん読んできました。より自然な夫婦の会話ができるはずです」
微笑みながら譲らない二人に不安になるが、地図の上に並んだ手を見ていると、胸の奥が温かかった。
正直に言えば、俺はこの世界の人々にあまり良い思い出がない。
世界を救うなんて大それたことは、とても言えない。
それでも、この手を握ってくれる何人かのために、そしてまだ見ぬ少女たちのために、できるだけのことをしようと思えた。




