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偽装夫婦の提案と、処分の布告

その夜、俺はアイシャと集落の焚き火の前に座っていた。

ぱちぱちと薪が爆ぜ、火の粉が夜空へと昇っていく。

「レオン、何か考えてる顔をしてる」

「ああ。帝都に行こうと思うんだ」

アイシャが目を丸くした。

俺は、言葉を選びながら説明を始めた。

「昔読んだ死霊術の古い本に、聖霊の巫女のことが書かれていた。帝国の魔術結社が、巫女の素質がある少女たちを攫って、五感を奪って巫女に仕立て上げようとする話だ」

もちろん、本当はアストレア戦記のシナリオだ。

「エリス様が巫女にならなくなった以上、その企みが帝都で動き出すはずなんだ」

「でも、それは帝国の問題。レオンが行く理由は?」

「その本によれば、攫われた少女たちは突然五感を奪われて、人間に絶望してしまう。巫女になるには人類の幸福を心から願わなきゃいけないのに、誰もそうなれない。そこに誰かが手を差し伸べて、少女たちに希望を取り戻させて……やっと一人が巫女として目覚める」

ゲームでは、その誰かがプレイヤーだった。

そしてゲームでは、イベントは成功するまでリセットできたし、あまりにも難易度が高ければ別のルートに進むこともできた。

「……アラン殿下とステラが帝国に捕まった時、俺はわかったんだ。この世界では、物事が失敗することもある」

ゲームなら、主人公たちが捕縛された時点でゲームオーバー画面に移行していた。

だが、この世界はそこで終わらずに続いた。

つまり、イベントの失敗は「やり直し」ではなく、そのまま現実として積み重なっていく。

「もし誰も手を差し伸べなかったら、少女たちは五感を奪われたまま、誰一人巫女になれずに終わる。何の意味もない犠牲だ」

焚き火の炎が揺れる。

「事実エリス様は、そうなりかけた。巫女が一人生まれること自体は、もう止められないのかもしれない。でも、無意味な犠牲だけは、防ぎたい」

アイシャは長い間、黙って炎を見つめていた。

それから、ぽつりと言った。

「それなら、私も行く」

「いいのか? 族長だろう」

「留守の間は長老たちがいる。それに、亜魔族の私が帝国を一人で歩けば怪しまれるし、レオンが一人で歩いても怪しまれる。二人ならちょうどいい」

「どういう計算だ、それは」

「帝国に入る時も、帝国の中を移動する時も、夫婦として旅をすれば怪しまれない」

俺は思わず咳き込んだ。

「ふ、夫婦!?」

「行商の若夫婦。よくある組み合わせ」

「いや、だが、俺には婚約者が……」

言いかけて、俺は言葉に詰まった。

王都から逃げ出した今、エリスとの婚約がどうなっているのかはわからない。

いや、おそらくはもう、解消されているのだろう。

「……いや、もういないのか」

「なら問題ない」

アイシャは、真顔で即答した。


それから十日ほど、俺は集落に身を潜めながら、帝都へ向かう準備を進めた。

そして出発の朝、集落の門の前で、俺たちは旅支度を整えていた。

アイシャが魔女魔法を唱えると、青白かった肌に血色が差し、どこにでもいる町娘のような肌の色に変わった。

尖った耳は、旅装束の頭巾で隠している。

俺は、亜魔族の女性たちが用意してくれた深いフードを目深にかぶった。

「なあ、アイシャ。顔を変える魔法はないのか?」

「ない」

「即答か」

「あっても、レオンには効かない気がする」

「どういう意味だ、それは」

アイシャは答えず、俺の前に立って真剣な顔で咳払いをした。

「練習する。……あなた」

「っ……!」

「……違う。レオン、の方がいい?」

「どっちでもいいから、真顔で言うのはやめてくれ」

「よくない。設定は大事。レオンは私のことを、なんて呼ぶ?」

「普通にアイシャで……」

「新婚の夫婦は、もっと甘い呼び方をすると長老が言ってた」

「長老は何を教えてるんだ」

見送りに来た亜魔族たちが、声を殺して笑っている。

突如、集落の見張り台から鋭い角笛の音が響いた。

「族長! 西の街道を、軍勢がラグナへ向かっています!」

門の前に駆け込んできた斥候の若者が、息を切らしながら報告した。

「軍勢? 王国軍か?」

「旗は王家の紋章です。それと、聖教会の白い旗も……数は二千を超えています」

俺とアイシャは顔を見合わせた。

ラグナには、奪還の後も前線の兵士たちが駐留している。

そこへ王家の旗を掲げた軍勢が向かう理由など、一つしか思い浮かばなかった。

「それと……軍勢の先触れが、街道沿いの村々で布告を読み上げていました」

斥候は言いにくそうに目を伏せた。

「『王族を害した罪人、レオン・フェルディナを、エリス・アストレア王女殿下が自らの手で処分する』と」

その場が静まり返った。

自らの手で、処分する。

その言葉を、俺は胸の中で何度か繰り返した。

不思議と、驚きはなかった。

王女が衆人の前で倒れ、婚約者は民衆に襲いかかられて逃亡した。

王家の面目を保つには、罪人を罰するしかない。

それも、被害者であるエリス自身の手で裁くのが、最も筋の通ったやり方だ。

エリスはいつだって正しい。

「レオン、逃げよう。今すぐ出発すれば、追いつかれない」

アイシャが俺の袖を掴んだ。

俺は首を横に振った。

「俺がここにいることは、知られているだろう。俺が逃げれば、匿った亜魔族が罪に問われる」

「そんなの、気にしなくていい」

「気にするさ。せっかく王国と和解できたんだ。俺のせいで、それを台無しにはできない」

俺はフードを下ろし、旅装束の紐を解いた。

偽装夫婦のための行商人の服は、もう必要ないかもしれない。

「これから、ラグナに行く。エリス様の前に、自分から出頭するよ」

アイシャは長いこと俺を見上げていたが、やがて小さく息を吐いた。

「……わかった。私も行く」

「アイシャまで巻き込むわけには」

「違う。見届けに行くだけ」

アイシャの紫色の瞳が、朝の光を映して細められた。

「さっきは慌てたけど……エリスは強いから、きっと何か考えてる。私は、それを見たい」

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