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壊れた空の迷い星  作者: 葉里ノイ


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16/20

16-なりたかったもの


 雪が溶けるまで避難することになった地下集落で、星火(せいか)は一人で食料倉庫を見つけ出した。カンテラに照らされた食料倉庫の棚や籠は殆ど空で、棚の隅や籠の底に僅かに残っているだけだった。

 地面に折り重なるように血溜りに倒れている人間はもう息をしていない。食料を求めて争ったと言うだけあり、倉庫の付近には居住区よりも死体が多かった。

(死体の数で倉庫の場所がわかると言うのも……)

 カンテラに照らされる虚ろな死体を避けながら倉庫を見て回り、隅に残った干し野菜を掻き集める。あちこちに転がっている空の平たいザルに載せるが、たった一山にしかならない。

(魚が苦手なスイが食べられればと思ったが、少ないな……。こっちの壺は……味噌? 味噌はまだ残ってるが、手で掬ったような跡がある。口に入れられる物なら……ってことか)

 集落の上にあるマンションを物色したナナとスイからは、ペンギン以外の収穫を聞いていない。マンションで食料は期待できないようだ。ペンギンのように雪の中に現れる生き物を見つけて狩ることも考慮するが、慣れない雪でどの程度動けるかわからない。

(ペンギンが魚以外を狩れるなら、行ってきてもらいたいな……)

 思い付いたことに期待しながら、星火はニナとナナが休む居住区へと戻った。

 火から少し距離を取り、ニナとナナはペンギンを枕にして眠っていた。集落にいるのは全て死体だと安心しているのだろう、ナナまで無防備だ。或いは星火がいるからかもしれない。離れていても異常があれば駆け付けると信頼している。

 二人を起こさないようザルを机に置き、火の番をする。揺らぐ炎と暖かな熱で星火まで眠ってしまいそうだ。

(布団……掛けてあげた方がいいか)

 火の傍とは言え、何も羽織らずに寝ると風邪をひきそうだ。星火は腰を上げ、隣の部屋へ行く。地下集落の一般的な家は多くが一部屋か二部屋の構成だ。食事をしたり作業をしたりする部屋と寝室、これが同じか分けられているかの違いだ。

 隣室には簡素なベッドがあり、布団を一枚回収した。

 起きる気配のない二人に布団を掛ける。ペンギンは羽毛が布団代わりだ。

 再び火の前に腰を下ろし、星火は水を飲みながらスイの帰りを待った。

 しんと静かな集落は火の爆ぜる音しかしない。星火が動かなければ物音一つしない。

(……スイが戻ってこないな。そんなに広い集落でもないのに、スイは何処に行ったんだ? まさか外?)

 数秒、耳を澄ませてみる。やはり物音は聞こえない。星火は急に落ち着かない気持ちになった。

(外って……上のマンションならいいが、雪の中に出てないよな……?)

 そう考えると心配になってきた。星火は火を確認し、カンテラを持って居住区を出た。

 防水扉へ続く道を走り、姿を見せないスイに焦燥が湧いてくる。

(人助けだとしても自分の身が危険に晒されるのは駄目だろ……)

 細く暗い階段を駆け上がり、地上へ出る防水扉に手を掛ける。だがレバーを握っても動かなかった。

(浸水……!? ……いや……凍ってるのか……?)


「退きなさい、星火」


 その声は速度を上げて接近してきた。

「!」

 星火は扉の脇に避け、その直後に重く鈍い音が響き渡る。助走を付けたナナが体重を乗せて勢い良く扉を蹴りつけた。

「開けるわよ」

 その後ろからニナとアデリーも階段を駆け上がっている。ペンギンは脚が短いが、大きな体のお陰で走って登ることができる。旧時代の大きさだと両足を揃えて跳ぶしかない。

 レバーを握り、動くことを確かめて押し開いた。その瞬間に肌を刺す冷気と雪が一気に吹き込んだ。

「ひゃあっ」

 ニナは声を上げ、どっしりと構えたペンギンの背後に隠れた。小柄なニナは大きなペンギンの陰に隠れられる。

「吹雪……!? 一旦閉めよう、ナナ!」

 折角開いたが、駐車場の奥にあるこの扉まで雪が到達していると想像していなかった。ナナは言われた通りに閉め、全身に貼り付いた雪を払う。

「雪が扉を押さえてたんだな……」

「慌ててるみたいだから蹴ったけど、外に何かあるの?」

 事情を知らないナナは、星火の頭や肩に積もった雪を払いながら尋ねる。寝ている横で忙しなく駆け出す音が聞こえていた。地面に横になっていると足音がよく聞こえる。

「スイが外に出たんじゃないかと……集落の中で物音がしなかったから」

「ああ……確かに静かね。道理でゆっくり眠れるはずだわ」

「駐車場の中なら雪が無いし、少し様子を見てみようと思ったんだが……まさかこんなに吹雪いてるとは」

「もし本当に出て行ってたとしたら、この吹雪じゃすぐに凍死よ。捜しに行けないわ。人助けは趣味じゃないんでしょ?」

「そうだが……」

 名も知らぬ背景のような人間だと助けに行こうなどとは思わない。だがスイのことは放っておけなかった。星火のファンだと言ってしつこく尻尾を振る犬のようなスイが、実家で飼っている犬と重なる。

 言葉を探す彼にナナも呆れる。彼は人が良過ぎる。

「扉を開けて確認するくらいならいいけど。開ける?」

「ああ、頼む。ニナ、伏せていろ。アデリーは……大丈夫だよな? 飛ばされないようにな」

「アデリーに掴まっとく」

 ペンギンも返事なのか一つ鳴いた。

「星火も飛ばされないようにね」

「僕が飛ぶならスイは外に出られないだろ」

 それでも星火も蹲み、膝を突く。ナナが飛ばされてしまった時のために構えておく。

 ナナは扉を蹴って向こう側の雪を剥がし、一息に開け放った。中途半端な位置で止めると風に押されてしまうため、全開だ。

「……どう!? 何か見える!?」

「灰色だ」

「誰でもわかるわよ!」

 一人で扉を支える彼女に手を貸し、星火も向こうを覗き込む。酷い吹雪だ。視界が灰色に塗り潰されている。

「せめて風向きが逆なら……」

 階段とペンギンの陰に隠れながらニナも這い上がる。ペンギンの陰から外を覗き、あっと言う間に顔に雪がこびり付いた。

「わあああ」

「ニナ、無理するな」

「凄い積もってる!」

「見えるのか?」

「見えるよ。建物の影くらいなら」

「やっぱりニナは目がいいのね。刀が振れなくても、立派な特技じゃない。人影は見える?」

「ほんと!? えへへ……人はいない」

「じゃあ捜しに行けないわね。諦め――アデリー!?」

 ニナの盾になっていたペンギンは短い足を揃えて跳び、階段から飛び出した。積もった雪に俯せになり腹で滑っていく。見る見る内に雪の中に消えてしまった。

「アデリーを助けなきゃ!」

「落ち着け、アデリーは雪の中で暮らす動物だ。吹雪くらい……平気なはず……」

「途中から自信なくなってるじゃない! ああ……アデリー……私のペンギン……」

 星火は飛び出して行ってしまいそうなナナの腕を掴み、吹雪に目を細める。ペンギンはその多くが雪の中で暮らす。暖かい場所に棲むペンギンもいるが、アデリーペンギンは違う。

 三人は凍えそうになりながらも扉を開けたまま灰色の世界を見詰めた。閉めてしまうと、ペンギンが戻って来た時に中に入れない。それに、閉めて再び開けることができるのか保証が無い。ナナの蹴りで剥がれる雪や氷なら良いが、もっと厚く凍てつけば、雪が溶けるまで開けられなくなる。

「アデリー帰って来るかな……」

「魚を置いておいたら来るかしら……」

「役に立つかはわからないが、この吹雪だと動物でも視覚に頼れないよな? 笛を吹いておくか?」

「音を目印にするのね。大音量で吹いて」

「大音量は厳しいが……風向きがこっち向きだから、あまり遠くへは届かないだろうが、努力する」

 星火は壁に寄り、鞄から銀笛(ぎんぶえ)を取り出す。風に煽られるため、可能な限り端に寄る。

「っへくち」

「ニナは居住区に戻っていいよ。風邪をひく」

「マフラーがあるから大丈夫」

「くしゃみをしただろ」

 階段の陰に伏せて風を遣り過ごそうとするニナはナナに任せ、星火は銀笛を構える。人も動物も驚かせないように穏やかに、春の暖かさを思い浮かべて音を奏でる。それでも彼の音色は何処か物悲しいが、包み込むような優しさがある。

(才能に溢れた弟と無能な兄……星火の音が哀しくなるはずだわ)

 仲良く共に練習すればするほど、その差を思い知らされる。才能のあった星火は親からの期待もあり、兄弟で扱いの差は開くばかりだった。それがそのまま奏でられているようだった。ナナには家族がいないが、身近な人に才能があり、自分がどう足掻いても埋められない程の無能だったとしたら悔しいだろう。もし逆なら自慢するかもしれないが、星火は自慢するような人間ではない。そんな人間ならば奏者であることを隠したりはしない。

 楽譜があるわけではない旋律は、一度も途切れることなく紡がれ続ける。奏者が奏でる旋律は一体何処から出ているのか、ナナは訊いてみたくなった。

「あっ」

 灰色を注視していたニナが最初に声を上げた。何かが扉に迫って来ている。

 ナナも脇に避け、迫る影を捉える。ペンギンの影よりも大きい。

「え? 何?」

「アデリー! アデリーだよ!」

「ニナの目を信じるわ」

 刀の柄に指を掛けていたナナは手を下ろす。

 それは猛烈な速度で、腹で雪を滑ってきた。

「待って、速い。速いわ! アデリー止まって!」

 そうは言っても滑走は簡単に止められない。ナナは腕を広げて立った。

「危ない!」

 星火も慌てて笛を下げた。

 腹にペンギンの頭突きを食らって飛ぶナナの服を掴み、伏せるニナを飛び越えて抱き止める。

「わ」

「ナナちゃん!」

「頭を下げろニナ!」

「ぐぇ」

 この勢いで転ぶと止まれなくなる。長い階段を転げ落ちると大怪我をしてしまう。蹈鞴を踏みながらも星火はナナを抱えて勢いを殺した。ペンギンは階段を滑り、ニナを越えて止まった。

「うぅ……」

「大丈夫か!? ナナ……」

「私の腹筋で頭が割れてないかしら……アデリー……」

「大丈夫そうだな」

「やだわ。冗談よ」

 鍛えてはいるが、頭蓋を割る程ではない。

「大丈夫なら扉を閉めて……スイ!?」

 ニナに駆け寄ろうとし、ペンギンの上に担がれている凍えた人間が視界に入る。灰色の雪が貼り付き、顔も雪だらけでもうすぐ判別できなくなる所だった。

 ナナは急ぎ外を覗いて防水扉を閉める。外には他に動く影は無かった。

 星火はペンギンの上からスイを下ろし、ニナを一瞥する。彼女に怪我は無いようだ。

「スイ! 生きてるか……?」

 彼の瞼は閉ざされ、睫毛は凍り付いている。指先一つ動かない。

「火の所に運ぶ。アデリー、ありがとう」

 ペンギンは両翼をパタパタと動かし、頭を下げた。本当に人の言葉を理解しているかもしれない。

 ニナはナナに助け起こされ、星火は先にスイを抱えて階段を駆け下りた。彼の肌は蒼白で氷のように冷たかった。

 外に居たと言うことは、髭男も外に出たのだろう。だがペンギンが連れ帰ったのはスイだけだった。二人は担げなかったのか、見つけられなかったようだ。

 休んでいた居住区の家ではまだ火が小さく灯っていた。ニナとナナに掛けていた布団の上にスイを置き、薪を焚べて火を大きくする。小さな薄い氷はすぐに溶けたが、スイは目を開けない。

「何かできる……?」

 走って追ってきたニナとナナは部屋を覗き、鍋に水を入れて火に掛ける星火に恐る恐る問う。

「温めるためにもっと布団が欲しい。毛布があればいいんだが……」

「もーふ?」

「毛布は私が探すわ。ニナは布団を。もし死体が寝てたら無理しなくていいわ。重いから」

「わ、わかった!」

 ナナはスイを冷たく遇らっていたが、星火が助けると言うなら手を貸す。二人は家を飛び出し、二手に分かれた。

(雪が溶けて服が濡れてる……このままじゃ風邪をひく)

 鍋の水が湯に変わったことを確認して星火は上着を脱ぐ。上着一枚でも無いよりは良い。湯を台所にあった布切れに掛け、冷えたスイの首筋に当てた。


     * * *


「……それ、何してるの?」

 幼い純真無垢な瞳は興味津々で祖父の手元を見詰める。片手で数えられるくらいの年の少年は祖父の横の瓦礫に座り、手元を覗き込んだ。

「ああ、そう言えば初めてか。これを見るのは。これは行商機と言ってな、困っている人を助ける機械だ」

「ふぅん。今は爺ちゃんを助けてるの?」

「いや、逆だ。私が行商機を助けている。少し故障したみたいでな。故障しても自分で直せるし、他の行商機に助けてもらうこともできるが、今は私が直している」

「どうして自分で直さないの?」

「パーツの交換が必要みたいでな。丁度行商機が持っていないパーツで、しかし私は持っていた。行商機には自分で様々なことを解決できる機能を備えてあるが、他人に頼る方が早いこともある。助けられるなら助ける。助けられなくても努力する。どんな世界でも、助け合った方が楽に生きられる。だからスイも、困っている人を見たら助けられるような男になるんだぞ」

「うーん……ちょっとわからない」

「ハハ、まだ脳味噌が小さくて理解できないか! 大丈夫だ、お前が理解できるようになるまでは私も頑張って生きるぞ」

「ずっと理解できなかったら、爺ちゃんはずっと生きてる?」

「お前、実は理解してないか?」

 皺くちゃの手で小さな頭を撫で回し、祖父は笑った。

 行商機は時々、助けを求めて遣ってくる。少年はそう思っていたが、祖父が行商機に戻ってくるよう指示を出していたらしい。この壊れた世界で部品を交換するのは至難だ。全く同じ部品が見つかれば奇跡でしかない。似た部品を代用することが殆どだ。それでも行商機は対応できるが、祖父は手を貸す。

 それはよく覚えている記憶だった。

 少年は祖父の機械弄りを見て育った。体が大きい癖に気の弱い父もよく祖父に教わっていたが、父は細かな作業よりも体力を使う作業の方が得意だった。少年は祖父に機械弄りを、父には武器作りを教わった。

 母の顔は覚えていない。何せ見たことがないのだから記憶にあるはずがない。死んだと聞かされているが、本当に死んだのかはわからない。

 祖父の死はおそらく寿命だ。最期は少し呆けていた。ある日いつも通り寝て、それから目を覚ますことはなかった。おそらく最高の死に方だ。病気も怪我も無く、勝手に死んだ。寝る前もいつも通り、笑いながら少年の頭を撫でていた。少年はまだ六歳だった。

 少年は泣かなかった。祖父はきっと、たくさんいる行商機のどれかに取り憑いているのだろうと思った。なので行商機の幾つかに勝手にカメラを仕込んだ。それを父は知らない。

 少年は行商機に仕込んだカメラで色々なものを見た。世界は壊れているが、とても広い。人は少ないが、色々な人がいる。行商機に縋る人、物々交換を持ち掛ける人、人を殺したと吐露する人、襲って物を奪おうとする人、怖い魚、頼もしい奏者。少年は世界に夢中になった。

「スイはまた物陰で機械弄りか……? 父さんとも話してほしいなぁ……」

「父さんと話すより面白いことがある」

「父さんももっと機械が弄れたら良かったんだけどな。でもまあ、スイが楽しいならそれが一番だ」

 地上でも、水が湧かない場所だと安全だ。だが同じ場所に留まっていても、安全は永遠ではない。

「……父さんは何のために生きてる?」

「話してほしいとは言ったけど……話のテーマが重いな」

「じゃあいい」

「待て待て、話すから。父さんは……そうだな、スイのために生きてるよ。スイを一人にはしておけない」

「じゃあ俺が死んだら父さんは死ぬの?」

「そんなことはないけど……生きられる所まで、生きるよ。折角生まれたんだからな」

「こんな世界でも?」

「こんな世界でも、行商機を必要として、生きるために頼る人がいる。父さんは武器くらいしか提供できないけど、貰ってくれる人がいる。助けられる内は助けたいだろ? スイも、他の人も」

「ちょっとわからない。何で人を助けたいのか」

「難しいか? わからないなら、無理に助けようとしなくていい。助けたいと思った時に助ければいいんだ。気持ちの問題だからな。無理は良くない。でも助けて感謝された時、助けて良かったと思える」

「行商機は機械だから、感謝なんてする人いないだろ」

「気持ちの問題だ」

「やっぱりわからない……」

 奏者もそうだ。カメラで覗いて奏者を何人も見た。中には詐欺師や傲慢な奏者もいたが、魚を退けて人助けをする奏者が理解できない。何故自ら危険な水に近付き、食われるかもしれない魚の前に立つのか。理解できない。

 少年とその父親は幾らか地上の同じ場所に留まり、そして暫く移動する、という日常を送っていた。水溜りを避け、歩き易い日中に移動していた。日中は魚が起きているが、暗いとカンテラを提げていても水に気付かないことがある。そういう危険を冒すなら、視界が良好の中で水を避ける方が安心だ。

 それでも避けられないのが侵蝕だ。現代で侵蝕と言うと、二つの意味がある。一つは文字通り、旧時代でも伝わる意味だ。もう一つは現代でしか伝わらない。見えない地面の下で徐々に水が侵し、迫り上がってくることをそう言う。安全だと思っていた地面で、いつの間にか一枚隔てた向こう側が水溜りになっているのだ。地面の下がどうなっているのか、地面の上からでは見えない。

 二人は侵蝕に気付かず、その地面を歩いた。水には魚がいる。一枚隔てた向こう側で足音が響けば、魚は何かが上にいると気付く。餌がいると認識する。

 突然割れた足下に二人は為す術なく水に落ちた。初めて水に入った二人は勿論泳げない。それでも父は息子を生かすため必死に少年を地面へ持ち上げた。大きな体は息子を持ち上げるために備わっていたのかもしれない。

 背後から現れた巨大な魚に父は食われた。地面に持ち上げられた少年の腕も共に噛み千切られ、血を擦り付けながら少年は地面を転がった。あまりの痛みに叫んでいたかもしれないが、痛みの所為で覚えていない。ただ、何処からか美しい音色が聴こえたことを覚えている。その音と共に、魚は水の中へ帰っていった。父は戻らなかった。

 それからどう自分の腕を治療し義手を付けたのか、少年は覚えていない。とにかく必死だった。生きたいと言うより、死にたくなかった。

 あの音だけは、生涯忘れることは無いだろう。虚しい自分の生を思い知らせてくれる哀しい音だ。


     * * *


(音……虚しい音が聴こえる……星火さんの音……何で……?)

 雪の中に飛び出した髭男を追ったのはスイだけだった。地下集落で待つ星火の銀笛の音が聴こえるはずがない。

(走馬灯……みたいな……?)

 慕う星火の音色を聴きながら死ねるなら、最高の死に方だろう。

 瞼が震える。固くて重かった瞼が持ち上がる。目を開けたはずの視界は、閉じていた時と同じで真っ暗だった。

「ん……」

 身動ぐと視界に光が射した。あの世に辿り着いたのかもしれない。


「……意識はあるか?」


「ふぇ!?」

 最初に覗き込んだのは星火だった。様子を窺い、ニナとナナも顔を出す。スイは後退ろうとしたが、体が上手く動かない。

「意識が戻ったなら食べられるな。すぐに温まる物を作る」

「生きてた。良かった」

「しぶといわね」

 スイは状況が呑み込めなかったが、どうやら雪の中ではないということだけはわかった。

 彼は布団や毛布を何重にも巻かれて転がされていた。火の前でスイの服が干され、上着の無い星火は寒そうに首を竦める。その前にある鍋に味噌と干し野菜が投入される。

「まだ寒いか? 服はもうすぐ乾く」

「ぁ……え……?」

「まだ話せるほど回復してないか。ここは地下集落の居住区だ。外にいた君をアデリーが見つけて連れて来てくれたんだ」

 呼ばれたと思ったのかペンギンもひたひたと顔を覗かせた。

「一人……?」

「アデリーが連れて来たのは君だけだ」

「そう……ですか……」

 スイは髭男を追って雪の中へ出た。戻ってきたのが彼だけなら、髭男を助けられなかったのだ。スイだけが運良くペンギンに見つけられた。

「ん……起き上がれない……」

「座るか? ニナ、ナナ、布団を剥ぐのを手伝ってくれ」

 一枚ずつキャベツの葉を剥くように布団を剥がし、残りが二、三枚という所で漸く身を起こせた。星火はスイを支え、座らせる。

「星火さんの……服……?」

「濡れたままだと寒いだろ? 寒さで死にそうな人を裸で転がしておくわけにもいかない」

「星火さんは……」

「火の前なら耐えられる」

 そうは言うが星火は寒そうだ。

「そろそろ良さそうだ。ほら、これで温まって」

 椀に湯気の立つ味噌汁を掬い、スイに差し出す。具は少ないが、体が温まる野菜を入れた。

「魚は入ってない。食料庫に残っていた干し野菜を入れたんだ。人参と大根……根菜は体を温めてくれる」

「俺のために……?」

「人参と大根が嫌いなら無理にとは言わないが」

「い、いえ……食べられます」

 椀を両手で受け取り、味噌汁に揺らぐ小さな人参と大根を見下ろす。熱い椀に添えた指がじんと温まる。

 食料を奪い合った集落でそんなに食料が残っているはずがない。スイのために何も言わずに入れてくれた物だ。その湯気の立つ味噌汁をゆっくりと啜り、喉の奥へ送る。体の芯まで、心まで熱くなる。

「ぅ……」

 湯気が目に沁みる。冷えた目頭に熱が籠る。火の前で赤くなった頬に温い滴が伝った。

「助け……られなかった……。俺は……誰も助けられない……」

「そんな時もある。全てを助けるのは難しい。スイは悔しいみたいだが、僕達は君を助けられたことが嬉しい」

「…………」

「生きていたら、また誰かを助けられる機会があるかもしれない。死んでしまったら、その機会はもう訪れない」

「……はい」

 スイは目を伏せるが、星火の言葉は理解できる。誰かを助けたい願望があるなら、死んでしまったら意味が無い。

「人助けの趣味は僕には理解できないが、君が困っていたら手を貸すよ」

「星火さん……」

 味噌汁がしょっぱい。味噌汁は元々しょっぱいが、味噌ではないしょっぱさが混ざる。寒さの所為ではなく唇が震える。

「俺……星火さんみたいに人助けができるよう……頑張ります」

「いや僕にそういう趣味は無い」

「星火さんは俺を二度も助けてくれた……この恩は一生忘れません! これからも付いて行って恩返ししてもいいですか!?」

「今回の功労者はアデリーだ」

「アデリーは渡さないわよ」

「アデリー……でも介抱してくれたのは星火さんですよね……?」

 スイの背後から後頭部にペンギンの翼が振り抜かれた。今までで一番、力が籠っていた。

「……アデリー……さんも、お世話になりました……」

 ペンギンは大きく頭を振って頷いた。

「こいつ、本当は中に人とか入ってないよな?」

「そんなわけないじゃない」

 人が中に入っているならニナのような小柄な子供だろう。だが抱き締めた時に違和感は無い。中身が詰まったペンギンで間違いない。

「体調はどうだ? もう元気そうに見えるが」

「まだ少し足先とか冷たいですが、凄く……温かいです」

 機械の義手は熱を感じられないが、味噌汁の温かさは沁みた。もう無くなってしまったと思っていた、家族の温かさのようだった。

「足? ああ……靴も脱いで乾かした方がいいな。忘れてた」

 まだ体を動かし辛いスイは星火に靴を脱がしてもらいながら、ふと視線を感じて鍋の向こうを見る。ニナが物欲しそうな顔で見ていた。

「俺一人で全部飲めないので……ニナにもあげてください」

「ん? ああ……わかった」

「ちょっと、私には無いの?」

「食い意地の張った女にも」

「ふん、死に損ないが」

 靴を転がし、星火は二人の分の味噌汁を装う。スイの体を温めるために作ったが、結局四人で分けてしまった。


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