15-静かな冬籠り
人々が殺し合った静かな地下集落で火を熾して暖を取りながら、四人と一羽は火を囲んで顔を突き合わせていた。
ナナは上でスイと話したことを星火にも共有する。スイが星火の銀笛の音色に救われた話が嘘かどうか確認するのだ。
「……そう言われてもな。僕にも助けた自覚が無い。聴いたと言うなら外で練習をしている時か、他の依頼を遂行している時だろうが……」
「あれは絶対スイさんの音です! でもご家族の音の可能性もあります……親御さんとかお兄さんとか……」
スイは命が懸かっている。信じてもらえなければ今度こそナナに首を落とされる。
「その可能性を考えるなら、父だけだ。母と……兄は奏者じゃない」
「え!? お兄さんも笛を持ってませんでしたか……?」
スイは身を乗り出し、記憶を手繰る。記憶違いなのか別の物を笛と見間違えたのか。銀色に輝く棒状の物であることは確かだ。だがそれより、スイは別の違和感を覚えた。
「奏者の家系って……生まれた子供は皆、奏者になるんじゃないんですか? そういう定めと言うか……」
「…………」
星火が奏者を継いでいるので星の血は絶えないが、万一ということもある。子が二人いるなら二人共に奏者の教育を施すはずである。
「……あまり言いたくないんだが」
「! 絶対、他言しません! 俺、口は堅いんで!」
その信用はまだ無いが、話すような相手もいない。星火は一度俯き、周囲の気配を探る。先程去った男は戻って来ず、付近で物音はしない。
「……兄は奏者じゃない。奏者の才能が無かったんだ。幾ら吹いても一つも音が出なかった」
「え……」
スイは驚愕して目を瞠るが、ナナは星火が以前話していたことを思い出す。才能がある者ばかりではないことを。
(才能が無い人……一番身近な人の才能が無かったのね。道理で話したくないはずだわ。星の正統家系でも才能が無い人が生まれるなんて)
「笛を持っていたのは、僕と練習するためだ。一緒に練習して、いつか音が出るんじゃないかと期待して……。兄はよく僕を褒めてくれた。きっと辛かったはずだ」
片や才能が無く、片や天才とも言われるほど才能があった。兄が生まれる時に奏者の才能を胎内に忘れ、それを星火が全て拾って生まれたのではないかと思うほど極端だった。
「兄の穴を埋めるように、僕への教育は厳しくなっていった。全ての期待を僕に注がれ、特に母の扱いは……兄など存在しないような扱いだった」
「セイさん……」
ニナも俯いて星火から以前聞いたことを思い出す。道理で何度も脱走するはずだ。期待を全て注がれ、机に縛り付けられた。反抗期になるのも頷ける。
(一緒に練習するくらいだから、星火と星火のお兄ちゃんは仲良しのはず……星火も辛かっただろうな)
「……すみません。言い難いこと、言わせてしまって……俺も辛くなってきました」
「君が辛くなるのは意味がわからないが、そういう事情があるから、君が聴いた音は僕か父の二択だな。僕と父の音色は全く違うんだが」
「えっ、そうなんですか?」
「血の繋がった家族でも、性格や感性、経験は異なる。それらを音に表す奏者は、家族であっても違う音が出る。君が僕の音を聴いて、僕の音だと断言できるなら、おそらく合っている」
「じゃあセイに偶然助けられたのは本当ってこと? もっと不審者だと思ったのに」
「この女……」
「話を捏ち上げた可能性もあるが、腕一本で済んで魚から逃げられたのなら、奏者の助けはあったんだろ」
「セイさん……! 信じてくれるんですね!」
「呼び方が変わっているが、ナナから聞いたのか?」
「奏者だと知られたくないんですよね? そういうことなら、俺は絶対に言いません!」
「そうしてくれると助かる。……所で、なんだが」
奏者の話をあまり続けたくないということもあるが、星火は先程から視界に入っている大きな白黒の生物が気になって仕方がなかった。
「ペンギンは暖を取るものなのか?」
アデリーペンギンは本来、寒い南極に生息する生き物だ。外は雪が積もって寒いが、室内で火の前にいて良いものなのか彼は知らない。
「さあ? でも嫌なら離れるでしょ? 大きさがまず旧時代とは違うんだから、好みとか生態も違うでしょ。たぶん」
「逆上せてないといいが」
じっと立っていた大きなペンギンは、短い薄桃色の足を精一杯伸ばして歩き出した。星火の前に立ち、頭を一度下げる。釣られて星火も軽く頭を下げる。
ペンギンは飛べない翼をぱたぱたと振り、片方の翼を前に突き出す。星火は何となくそれの先を握って握手をした。
「懐かれたの? 羨ましい」
「セイさんの良さは動物もわかるんだな。さすがです」
「私も握手したい。頭を殴られるんじゃなく」
ニナは星火の隣に移動し、片手を差し出した。ペンギンはその小さな手を見詰めた後、勢い良く翼で叩いた。
「これは完全に嫌われてるってこと?」
「食べ物をあげてみたら懐くんじゃないか? 動物は食べ物をくれる人が好きだ」
犬を始め、実家で動物を飼っている星火はそれを思い出して助言する。人にも言えることだ。生物と食欲は切り離せない関係である。
「ペンギンは何食べる?」
「旧時代では魚だったはずだ」
「あんな大きいの捕まえられないよ!」
旧時代では皿に載る程の小さな魚がたくさんいたが、現代は一メートルは当たり前、何メートルもある大きな魚が圧倒的に多い。だがよく見ると小さな水溜りには小さな魚が泳いでいることもある。
「小さいのも泳いでるだろ。すばしっこいが。指を噛まれたとしても千切れる程の力は無い。ニナでも掴める」
「笛でお願いします」
千切れなくとも痛そうだ。痛いのは回避したい。
「体が大きいなら、このペンギンも大きな魚を仕留められるかもしれないな。一度水辺に連れて行って見てみたい」
「ちょっと。魚に食べられたらどうするの?」
「野生のペンギンなら餌の獲り方も知ってる。元は動物園や水族館に居た個体だとしても、それはもう寿命を迎えてるだろ。アデリーはこの壊れた世界で生きてる。もし逃げるなら、その時は助けてやればいい」
「私のペンギン……」
ナナは抱き枕のような大きなペンギンを抱き締め、小さな頭を撫でた。ペンギンは大人しく翼を下ろし、寧ろ硬直している。
「ナナには何も反応がないな」
「怖がってるんですよ。野蛮な女にいつ食べられるかって」
「食べようとしてたのはお前でしょ。お前と一緒にしないで」
ナナとスイは睨み合い、ニナは身動きの取れないペンギンに一歩近付く。
「私は食べないよ。友好の印に握手しよ」
手を伸ばすと、ペンギンはそれを叩いた。思いの外、溝が深い。
「セイ、決めた。私は魚を獲りに行く。笛をお願いします」
「ああ。ペンギンも連れて行こう」
地上の水溜りは凍り始めているだろう。わざわざ割って魚を起こす必要はない。髭男が飛び出してきた畑の下の水を目指す。髭男の仲間を食べた魚がまだいるはずだ。
火を消してカンテラを持ち、ペンギンを連れて農園へ行く。横に並ぶと、ニナの目線の高さにペンギンの頭がある。ニナは小柄だが身長は一メートル以上ある。このアデリーペンギンは大き過ぎる。大きくても左右に揺れながら歩く姿は愛らしいが。
「可愛いわね……雪の前からこの辺にいたのかしら?」
「急に湧く水溜りの魚も何処から来るのかわからないからな。このペンギンも似たようなものじゃないか?」
「雪が溶けた時に追い掛けたら、ペンギンの巣が見つかるかしら?」
「魚みたいに水に潜られたら追えないが……確かに何処へ行くか気になるな」
「セイさん、冷静に考えてみてください。このでかさのペンギンがいる巣ですよ?」
「可愛いじゃない」
「この女……襲われたら一溜りもないだろ」
「そんなことしないわよ」
「僕もナナの意見に近いな」
「セイさんまで!?」
「本当に恐ろしい生き物なら、ニナが叩かれた時に大怪我をしているはずだ」
スイもハッとする。ニナは泣きもしていない。軽く叩かれただけだ。本当に嫌っているならもっと強く拒絶を示すはずだ。
「素晴らしい観察眼です……さすがセイさんです」
「こいつの掌返し、いっそ面白くなってきたわ」
四人と一羽は居住区を出て農園の端で立ち止まる。遠目に見ても星火とニナが見た時よりも穴が大きくなっているのがわかる。どの程度の速度で水面が上がってきているか不明だが、数十センチメートル下にもう水が迫っていた。
「穴にはまだ近付くな。土が崩れ易くなっていると危ない」
「近付かないと魚を獲れないよ」
「だが飛び出した魚が土を削って足場を持って行ったらどうする。この水が何処まで広がっているか僕達は知らない」
「じゃあどうするの?」
ニナとペンギンは同時に星火を見上げる。息が合っている。
星火は近くに転がっていた小石を拾い、振りかぶって穴の中の水溜りへ投げた。
ぽちゃんと小さな音が聞こえ、水に落ちたことを確認する。静まっている間に星火は銀笛を鞄から取り出した。
小石の波紋とは別に、揺れは徐々に大きくなってゆく。慎重なのか、すぐには飛び出さず赤い背鰭がゆっくりと水面に浮かぶ。
「自棄に緩慢だな。雪の影響で動きが鈍いのか?」
「あれならニナにも仕留められるんじゃない? 貸す? 刀」
「えっ!? で、できるかな……」
物は試しだと刀を持たせてもらい、ニナの腰はかくんと下がった。刃が石を叩く硬い音が響いた。
「お、重い……ナナちゃん、いつもこんな重いのを振ってるの……?」
「そうよ。筋肉を付けなさい」
「すぐには無理そう……」
ナナに刀を返す間、徐々に水面から顔を出していた魚はぎょろりと金色の目を動かす。ペンギンはそれを白い縁取りのある小さな目で見詰めていた。
星火が笛を吹くタイミングを見計らっていると、四メートル程の赤い魚とペンギンが同時に飛び出した。髭男を呑み込んだ魚と同種の魚だ。
「!?」
星火とナナはそれぞれ銀笛と刀を構えるが、その前にペンギンは両翼を広げて短い足を忙しなく動かして駆け、赤い魚へと跳んだ。ぱくりと開く赤い口を避け、ペンギンは嘴で魚の大きな目を突き刺す。赤い魚は水面で跳ねて抵抗し、飛沫を散らした。
「凄いわアデリー!」
「援護した方がいいか……?」
銀笛は魚以外には効かないはずだ。星火はペンギンの様子を窺いながら音色を奏でる。
魚は抵抗が弱まり、銀笛の力がわかっているのかペンギンは好機だとばかりに水に飛び込んで執拗に魚を突き回した。
「ペンギン……強い……」
「まああれだけでかいとな……」
完全に抵抗が無くなると、ペンギンは魚の尾を咥えて地面に引き揚げた。自分の体よりも大きな魚を、星火の援護があったとは言え一羽で仕留めてしまった。
ペンギンは星火の前まで魚を引き摺り、離して誇らしげに彼を見上げた。
「セイが援護したってわかってるのかしら」
「さすがですセイさん」
「私の出番なかった」
嘴で突かれボロボロになった赤い魚は恨めしそうに虚空を見ていた。もう動くことはないだろう。
「この魚、金目鯛ね。旧時代では高級魚だったらしいわ」
「高級魚!? 高級は美味しいってこと?」
「値段が高いってことよ。でも美味しいんじゃない? 私も食べたことないわ」
金目鯛は大きな金色の目が特徴の赤い深海魚だ。刺身でも煮ても美味しく食べられる。だが旧時代の金目鯛は皿に載る程度の大きさで、人間が捕食されることはなかった。
「さっきの家に戻ろう。食べるにしてもここじゃ落ち着かない」
「そうね。私達の立ってる場所もいつ崩れるかわからないものね」
ナナは金目鯛の尾を掴み、ペンギンが嘴を開けて威嚇した。
「アデリー、横取りするわけじゃないの。ちょっと運ぶだけよ」
嘴を握り締めて頷かせ、ナナは金目鯛を背負って立ち上がる。ペンギンは大人しくなった。言葉を理解したと言うより、ナナに逆らうと命が危ないと判断したようだ。
「あのペンギンの中のヒエラルキー、あの女の位置相当高いですよ」
「そうだな」
「セイさんは勿論、頂点です」
「…………」
「ニナは底辺だな」
「え!? 冷えあられ機ってどんな機械?」
「機械じゃねぇ。ヒエラルキーだ。簡単に言うと、三角の形で表現される上下関係……ってとこか。上に行くほど立場が強い。底辺は一番弱い。ペンギン自身はニナより高い。ペンギン以下は足蹴にされる」
何が判断基準なのかわからないが、最初から底辺のような扱いをされていたニナは危機感を覚えた。
「スイは……?」
「俺はまだわからないな。でも底辺じゃない」
「そんな……」
「どう転んでもニナより底辺になることはない」
「失礼だな」
ニナは一番ペンギンに目線が近く、ニナになら勝てると思われてしまったのだろう。体格は今すぐに変えられるものではない。それ以外で挽回するしかない。
「ペンギンに抗議してくる」
金目鯛を背負うナナを追って、ニナはペタペタと両翼を広げて左右に揺れながら忙しなく足を動かすペンギンに並ぶ。そして一歩距離を取る。
「ペンっ……アデリー!」
ペンギンはニナを一瞥するが、すぐに正面へ顔を戻す。
「アデリーは私のこと嫌いなの? 私は一人で魚を獲れないけど、味は分かち合うことができる」
何を言っているのか、その後ろを歩いていた星火とスイは内心首を捻るが、横槍は入れない。
「アデリーは私のこと嫌い? 嫌いじゃなかったら握手しよ」
小さな手を前へ差し出し、ペンギンもそれを見る。ニナの顔を見、もう一度手を見下ろし、嘴で素早く指を咥えた。
「あっ」
「アデリー! それは餌じゃない!」
黙って見守るつもりだったが、星火は血の気が引いて慌てて間に入った。背後から嘴に手を伸ばし、ゆっくりと開いて指を解放する。ニナの指は赤くなっていた。
「魚を仕留める嘴で噛むな。千切れたらどうするんだ。食事抜きにするよ」
ペンギンは嘴を押さえられたまま頭上の星火を見上げる。心做しか悲しそうな目をしていた。動物は食べることを中心に生きている。食事抜きは死を意味する。
「そのペンギン、もしかして言葉を理解してます?」
「どうだろうな……嘴に触れると大人しくなるのか、理解してるのか……」
「ちょっとセイ、アデリーに酷いことしないでよ」
「さっき君も遣ってただろ。それに飼うなら躾は必要だ。噛み癖は早く直さないと」
実家で犬を飼っている星火はそれを思い出し、ペンギンに躾はできるのか疑問だがナナを諭す。ナナは少々不満だ。
ペンギンは嘴を離しても大人しいままで、心做しか哀愁を漂わせて歩いた。星火に怒られたことを落ち込んでいるようだ。
「私も嘴を握ったら仲良くなれる?」
「やめておけ。また噛まれる。指は痛くないか? 血は?」
「噛まれた時は痛かったけど、今は大丈夫! 血も出てないよ」
「甘噛みだったのか……?」
それでも噛むのは良くない。力加減を誤れば大惨事だ。ナナの背で揺れるボロボロの金目鯛が嘴の威力を物語っている。
「もし甘噛みだとしたら、嫌ってるわけじゃなく、遊びたいのかもな。ただ戯れていただけ……かもしれない」
「本当!? 私も遊びたい!」
「力の差が心配なんだが……」
「私が弱いばかりに……」
本当に遊びたいかは不明だが、星火はニナとペンギンの間に立ったまま居住区へ戻った。
休んでいた家で再び火を熾し、台所を物色する。丁度良い大きな鍋を見つけた。四人で囲むには少々物足りない大きさではあるが、足りないなら何度でも煮込めば良い。
「アデリーの分と、私達が食べる分、それから干しておきたいわね」
ナナは刀を抜き、横たえた巨大な金目鯛に狙いを定める。中央の太い骨を避けて二枚に開き、更にその一枚を半分に斬る。
「アデリーはどのくらい食べるのかしら?」
四人はペンギンに注目し、じっと動きを止めていたペンギンは腰を上げた。動いて良いと判断したようだ。ペタペタと歩き、ナナが持っている四分の一ではなく、地面の二分の一を嘴で掴んだ。
「結構食べるのね」
四人は四分の一でも多いため、更に半分に斬る。
「セイ、鍋は任せたわ。私は味醂干しを作る」
「わかった。あの時の味醂か?」
「あの時の味醂よ。……あの行商機も覗き野郎が覗いてたのかしら」
『あの時』とは、神社に行商機が遣って来た時のことだ。その時にナナは味醂を手に入れた。
スイは眉を顰め、首を傾ぐ。
「俺はどの時の味醂だか知らないんだけど。何度も言うけど、俺は偶にしか覗いてない。それに行商機が管理してる鞄の中身は把握してない。何処で誰と物々交換したとか、幾らで売ったとか、全然知らないからな」
「そうなのか? 鞄の中は把握してると思ってた」
「行商機って結構いるんですよ。正確な数は爺ちゃんしか知らないんですけど。その全部の鞄を把握するのはさすがに無理です」
「成程。確かにそうだな」
「それに、行商機全部にカメラを取り付けたわけじゃなくて。ほんの一部なんです。信じてくれます?」
「ああ。全ての行商機を把握してるなら、ニナのことも知っているはずだからな。味醂を買った時、ニナもいた。だが君はそれを知らない」
「さすがセイさんは冷静で落ち着きがあって論理的で理知的です! 俺の目指す男の像そのものです!」
「今は一番遠い所にいるわね」
「黙ってろそこの女」
その瞬間、スイの頭から小気味良い音が鳴り響いた。背後に立っていたペンギンが小さな翼を振り抜いていた。
「よくやったわ、アデリー」
「スイに底辺あげる」
「いや……これは何かの間違い……」
「醤油しか無いんだが、誰か砂糖は持ってるか? 無かったら醤油だけで……いや塩茹での方がいいか?」
「セイさんってもしかしてマイペースですか?」
「?」
鍋に水を入れながら、星火は怪訝な顔をする。任された鍋を整えようとしているだけで何故マイペースと言われるのかわからない。
「砂糖は……」
「持ってないです。塩ならありますが」
現代で最も使用されている調味料は塩だ。海水を利用している場合もあるが、奏者がいなければ海には近付けない。現代の塩は殆どが岩塩である。現代では最も入手が容易い。
次に醤油や味噌だ。地下集落では大豆の栽培は定番で、地下へ行けば高確率で入手できる。麹を使用せず、味噌なら数年を掛けて作る。
刺身で食べることも可能だが、暖房設備など無い肌寒い場所で冷たい刺身を腹に入れて冷やすのは躊躇う。水を煮立たせる間、ナイフで魚を適当な大きさに切っておく。
ペンギンも自分の分を食べずにじっと鍋を見ていた。
「ニナ、魚を置く食器を探してくれ。僕は持ってるが、ニナと……ナナは持ってないよな?」
「探してくる!」
「食器なんて何処にでもあるでしょ?」
ナナは魚を小さく斬りながら、勿論持っていないと遇らう。
「念のために一つは持っておくと便利だ。深皿かお椀が使い易い」
「俺は持ってますよ、セイさん! コップもあります」
「コップなら私もあるわよ。セイが持ってくれてる」
「何で持たせてんだよ」
ナナはふいと無視し、黙々と魚を斬る。二人の溝は深い。
「ナナ、コップを出すか?」
「コップが皿として使えるなら出して」
「少し小さいな」
自分の食器を出すため鞄を開ける星火の隣にペンギンが移動する。ヒエラルキーの頂点が何をしているか気になるのだろう。鞄に顔を突っ込もうとしている。
「アデリーは食器を使わないよな? 先に食べていいよ」
ペンギンは円らな瞳で星火を凝視し、元の位置へ戻っていく。
「……目線の高さに嘴があると怖いな」
金目鯛のように刺されないかと不安になる。
煮立った鍋に魚の切り身を投入し、鍋の蓋を探すが見当たらない。
(火が通ればいいか)
「セイ、どれがいい?」
戸棚を物色していたニナは形や大きさの異なる皿を星火の前に置く。
「この深皿にしよう」
似た大きさの皿をもう一枚取り、煮た二つの切り身を載せる。数々の調味料で味付けをする旧時代のような贅沢は現代ではできない。塩で茹で、後から好みで醤油を少々掛けるだけの薄味だ。
「ニナ、骨に気を付けろ。ナナ、こっちはできた」
スイも遠慮がちに自分の椀を差し出し、星火は怪訝な顔をしてそれに魚を入れた。
「嫌がっていたから、食べないと思った」
「背に腹は替えられないと言うか……それしか食料がないなら食べるしかないじゃないですか。それに、セイさんが食べてるなら大丈夫って気がします」
「あまり過信しないようにな……」
ナナも味醂干し作りを中断して皿を受け取る。
三人はフォークで身を解し、目立つ骨を取って金目鯛を頬張る。薄い塩味を付けただけだが、魚本体の旨味がある。
「おいひい」
「中々美味しいわね」
「スイは食べないのか? ……ああ、初めてだから骨がわからないか?」
椀とフォークを持ったまま停止していたスイはハッと顔を上げる。
「ちっ、違います! ただちょっと……勇気がいると言うか……本当に食べていいのか……」
「魚は旧時代では当たり前に食べられていたと知ってるんだろ?」
「それは……知ってますが」
「薬さえ呑めば問題ない。僕は離乳食から魚を食べていた。そう拒絶されると自分の体が心配になる」
「り、離乳食が魚だったんですか!? 奏者って凄いんですね……」
ここまでしてもらって食べないとなると、恩人の星火を否定してしまうことになる。三人は何ということもなく食べているではないか。
「わかりました……俺、セイさんが死ぬなら一緒に死にます!」
「そこまで言ってない……」
スイは一思いに魚に齧り付いた。仄かに塩味が付いたその白身魚は淡白だが旨味がある。
(鳥肉の方が美味しい……でも食べられなくはない……。ああ……あのペンギンが食べられたらな……)
ペンギンを一瞥し、ペンギンは何かを感じ取ったのかスイの頭を叩いた。
「食べられそうか?」
「何とか……」
「もう少し調味料があれば満足できそうだな。醤油を掛けるか?」
「やっ……セイさんの料理が不味いって言ってるわけではなくて!」
「塩を入れて煮ただけだから。それを料理と言われても」
「贅沢言ってると死ぬわよ。贅沢三昧のセイだってこれで我慢してるんだから」
語弊のあるナナの言葉に星火は物申したかったが、口論をする気力は無い。スイはおそらく元々魚があまり好きではないのだ。贅沢は言えないが、好き嫌いは誰にでもある。
四人と一羽は魚で腹を満たし、その最中に漸く髭男が戻ってきた。顔色が悪く、足が重そうだ。
「……それ……魚か? そんな物しか食べられないのか……持て成してやれなくて悪いな」
「別にいいわよ。それで、生き残りはいた?」
髭男は座らずに俯き、鍋で煮立っている魚へ虚ろな目を向けた。あの恐ろしい魚がこんなに簡単に死ぬのかと奇妙な気持ちだ。
「……いなかった。妻も家の中で…刺されて死んでいた。食料倉庫にあった干し野菜は僅かだった」
そしてフラフラと覚束無い足取りで髭男は四人の前から去った。生気があるのはこの部屋の中だけで、ドアの向こうは死、そんな空気を感じた。
「あのおじさん、死ぬわね」
「えっ、死んじゃうの?」
「もう生きるのを諦めた目をしてた。その目を嫌と言うほど見たからわかる」
「そんな……折角、食べられても生きてたのに……」
「一人で生きる気が無いんでしょ。放っておきましょ。引き止める義理は無いわ」
「血も涙もないな、この女……。セイさんはどう思います?」
「助けを求められたら善処するが、何も無ければ何もしない。ナナの言う通り、義理が無い。人助けは趣味じゃない」
ナナは勝ち誇ったような顔をしてスイを見た。スイは小さく舌打ちする。人々の役に立つ行商機なんて物を作って管理していた祖父をずっと見ていたのだから、スイは人助けをしたい気持ちがある。
「もし価値観が違うなら、この先は別行動の方がいい。合わないと疲れるよ」
「いえ……そういうわけでは……。ただ、奏者は人助けが趣味なんだと思ってました」
「そういう奏者もいるだろうが、僕は違う。幻滅したか?」
「いっ、いえ、そんなことは。セイさんは現実的で……えっと……俺なんかと違って、割り切れる人なんだと……」
「助けたいならさっきの人を追ってもいい。それは君の自由だ。僕達は暫くここにいる」
「!」
許可制ではないのだが、許可を貰えたスイは跳ねるように立ち上がって走った。居ても立ってもいられなかったようだ。
「……面倒そうな性格ね」
「ああいう良い人ばかりだと安心なんだがな」
「詐欺師がいない世界なんて想像できないけど、確かにいない方がいいわね」
スイを見送り、三人は魚の煮汁を啜る。冷えた体に染み渡って温まる。
「お腹いっぱい」
「そうか。余った分は全部干すか?」
「食べ切れなさそうだけど、干してもいいわよ」
この壊れた世界で満腹になれるのだからありがたいことだ。ニナは器を置き、残った生の切り身を一つ抓む。
「アデリーももういい?」
気付けばペンギンも最初に取った分を綺麗に平らげていた。両足を体に埋めて座っていたペンギンは目の前に魚がちらつくと目で追う。
「わ」
それを素早く咥えて奪い取り、丸呑みした。
「アデリーはまだお腹いっぱいじゃないのかな? 残ってるの食べていいよ」
許可を出すとペンギンはいそいそと尻を上げ、残っている生の切り身を順に腹に納めていった。
星火は火から鍋を下ろし、台所に置いておく。結局スイは二、三口しか魚を食べなかった。
「食料倉庫に僅かだが干し野菜があるって言ってたな。倉庫を探してくる」
「私も行く!」
「畑みたいに地面が崩れたら危ない。ニナはナナと待っ……アデリーも待っていてくれ」
また魚を狩りに行くとでも思ったのかペンギンまで前に出るのでセイは慌てて制止した。
「いってらっしゃい、セイ。私は少し眠いわ。誰もいないし寝ようかしら」
「私も眠くなってきた」
昼間に遊んでいたので瞼が重い。ナナとニナは欠伸をしながら星火を見送った。
「ニナが寝るなら私が寝られないじゃないの。アデリー、火の番はできる? ……できないか」
ペンギンは俯せに転がって目を閉じる。ニナはそれを枕に横になる。ペンギンはそれを嫌がらない。あんなにニナを叩いていたのに、ヒエラルキーだの何だの言っても仲が良さそうだ。星火の言う通り、ただ遊びたかっただけなのかもしれない。




