第十八話:ガルドの最期
最初の報告が届いたのは、夜明け前だった。
「古参派部隊、人間側主力と交戦」
短い報告だった。
だが、それだけで十分だった。
執務室の机には、エド経由で届いた人間側内部資料が広げられている。
強硬派内部の軋み。 補給路の乱れ。 融和派へ傾き始めた若い将校たち。
まだ小さい。 だが、確かに存在していた。
ミラが死んでから初めて繋がった、細い糸だった。
部屋の空気は重い。
窓の外では雪が降っていた。 白く、静かだった。
リオは壁際に立ったまま、黙っている。
やがて。
扉が勢いよく開いた。
「追加報告!」
飛び込んできた兵士は息を切らしていた。肩口の鎧には血が付着している。前線伝令か、それとも撤退部隊の護衛に出ていたのか。
「ガルド率いる古参派主力、人間側第二・第四軍による挟撃を受けています! 現在、北東渓谷地帯にて包囲状態!」
部屋の空気がわずかに張り詰めた。
「兵力差は」
「推定三倍以上!」
「退路は」
「……確認できません」
短いやり取りだった。
地図へ視線を落とす。
北東渓谷。
狭い地形だ。 包囲されれば逃げ場はない。
ガルドらしいとも思った。
和平を認めるくらいなら、最後まで正面から戦う。 そういう男だった。
「……救援を出した場合、人間側はどう動く」
答えたのはリオだった。
「エド経由の交渉路は消えます」
「融和派も潰れるか」
「はい。強硬派が主導権を握ります」
「全面戦争になるな」
「その可能性が高いかと」
感情のない声だった。
ただ、事実だけを並べている。
しばらく、誰も口を開かなかった。
助けに行けば、ガルドを救えるかもしれない。
だがその瞬間。 ようやく繋がった交渉路は消える。
また殺し合いだけが残る。
理解はできた。
理解できてしまった。
だから余計に、息が重かった。
ガルドは敵だった。
最後まで和平を認めなかった。 何度も衝突した。 止められなかった。
多くを壊した。
それでも。
あの男は最後まで、“魔族側”だった。
「……命令を」
兵士の声が掠れる。
返事はすぐには出なかった。
窓の外では雪が降り続いている。
白く。 静かだった。
やがて。
「……救援は出さない」
低い声が落ちた。
兵士が目を見開く。
「交渉を優先する」
冷たい言葉だった。
合理的だった。
正しい判断だった。
きっと。
だが、その言葉を口にした瞬間。
胸の奥で、何かが静かに削れた。
兵士は何か言いかけた。
だが結局、何も言わず頭を下げる。
「……了解しました」
扉が閉まる音だけが残った。
その後も報告は続いた。
「古参派右翼、壊滅」
「中央部隊、後退不能」
「本陣、防衛線突破されました」
どれも短い。
どれも冷たい。
時間だけが過ぎていく。
昼を過ぎ。 夜になり。
雪は止まなかった。
最後の報告が届いたのは、日付が変わる頃だった。
謁見室へ運び込まれた兵士は、全身を血で濡らしていた。
結界線の崩落地点から、単独で戻ってきた生還者だった。
膝をついた瞬間、その身体が崩れ落ちる。
「……報告します」
震える声だった。
「古参派、全滅」
沈黙。
「ガルド戦死を確認」
それ以上、言葉は続かなかった。
部屋の中には雪の気配だけが残る。
誰も動かなかった。
側近たちも。 兵士たちも。 ただ黙っていた。
返事もない。
怒声もない。
重かった。
この戦争が始まってから、一番重い沈黙だった。
玉座に座ったまま、微動だにしない。
自分でも、どんな顔をしているのか分からなかった。
悲しいのか。 怒っているのか。 納得しているのか。
何も分からなかった。
ただ、何かだけが静かに凍りついていく感覚だけがあった。
「……下がれ。傷を治せ」
掠れた声だった。
兵士は深く頭を下げ、周囲に支えられながら退出していく。
再び静寂が落ちた。
やがて。
リオが静かに口を開く。
「……ガルドの死戦地となったのは、人間の避難民が多く集まっていた区域付近だったそうです」
返事はない。
「包囲を抜けるために、集落を盾にすることもできたはずです」
指先が、わずかに止まる。
「ですがガルドは、最後まで子どもには手を出さなかったそうです」
沈黙。
ガルドは敵だった。
最後まで分かり合えなかった。 和平を拒み続けた。 止められなかった。
多くを壊した。
だが。
それでも。
一線だけは越えなかった。
幼い命だけは、最後まで殺さなかった。
その不器用な線引きだけを抱えたまま、死んだ。
ゆっくりと目を閉じる。
「……知ってる」
短い言葉だった。
リオは何も返さない。
窓の外では雪が降り続いている。
白かった。
静かだった。
ミラは死んだ。
ガルドも死んだ。
残ったのは何だ。
エドとの細い交渉路だけか。
それとも。
壊れた後の残骸だけか。
分からなかった。
最近、分からないことばかりだった。
正しい選択をしたはずだった。
だが。
正しさの先に残るのは、いつも死だった。
ゆっくり立ち上がる。
身体が重い。
視界が、一瞬だけ揺れた。
魔力制御の誤差が広がっている。
崩壊が近い。
それでも止まれなかった。
「……境界線を再設計する」
リオが目を細める。
「人間側との分断ですか」
「完全封鎖じゃない」
低い声だった。
「行き来を止めるだけだ」
和平ではない。
共存でもない。
ただ、これ以上互いを殺し続けないための隔離。
棚上げだった。
逃避に近かった。
それでも。
今は、それしか思いつかなかった。
「全魔力解放が必要になります」
「分かってる」
「身体が保ちません」
「……それでもやる」
短い沈黙。
「エドには」
「交渉を続けさせろ」
「はい」
もう戻れない。
そんな感覚だけが残っていた。
窓の外を見る。
白い雪の向こうで、まだ誰かが死んでいる気がした。
その時だった。
扉が静かに開く。
振り返る前に分かった。
「……セナか」
「ああ」
静かな声だった。
セナは少し距離を空けたまま立ち止まる。
以前より痩せて見えた。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
先に口を開いたのはセナだった。
「勇者に戻れとは言わない」
返事はない。
「もう、そんな段階じゃないことくらい分かってる」
怒っているわけではなかった。
責めてもいなかった。
ただ、疲れていた。
「……お前が決めたことなら、もう何も言わない」
それだけ言って、セナは踵を返す。
呼び止めなかった。
セナも振り返らない。
和解ではなかった。
決別でもなかった。
諦めと承認。
その中間だけが残った。
扉が閉まる。
静寂が戻る。
窓の外では、雪がまだ降り続いていた。




