第十五話:ミラの処刑
報告が届いたのは、三日後だった。
ガルド率いる古参派が、人間側辺境拠点を襲撃した。
被害規模は不明。
拠点は半壊。
守備兵に多数の死傷者。
そして、人間側は即座に報復を開始した。
辺境付近の魔族集落への攻撃。
補給路の遮断。
国境検問の強化。
そこまでは予想の範囲だった。
問題は、その次だった。
リオが部屋に入ってきた時点で、何かがおかしいことは分かった。
足音が静かだった。
静かすぎた。
普段のリオは、報告の内容が悪いほど、逆に声を平坦にする。
情報を処理するために、感情を切る。
だが今は違った。
感情を切っているのではなく、言葉そのものを選べなくなっているように見えた。
「……どうした」
リオは数秒黙った。
それから、短く言った。
「ミラが処刑されました」
言葉が落ちた。
その瞬間、何かが止まった。
思考ではなかった。
もっと手前の、身体に近い部分だった。
「……いつだ」
「本日未明。人間側中央監獄です」
「理由は」
聞きながら、もう理解していた。
報復。
見せしめ。
交渉失敗の責任転嫁。
全部だ。
「人間側は声明を出しています」
リオが続ける。
「『魔族側による辺境襲撃への報復措置』と」
部屋が静かだった。
窓の外で風の音がしていた。
俺は椅子に座ったまま、動かなかった。
動けなかった、の方が近かった。
ミラが死んだ。
その事実だけが、妙に現実感なく頭の中に置かれていた。
処理が遅れていた。
いや、違う。
処理したくなかった。
右手を動かす。
指先が、少し遅れた。
誤差が出ていた。
昨日より大きかった。
理由は整理できた。
眠れていないからではない。
違った。
理解したくない情報を、無理やり理解しようとしている。
その負荷だった。
「……そうか」
それだけ言った。
自分でも驚くほど、声が平坦だった。
リオは何も言わなかった。
慰めもしなかった。
説明もしなかった。
ただ、そこに立っていた。
俺は机の上を見た。
書類が積まれていた。
国境情勢。
補給不足。
古参派離脱後の兵力再編。
全部、まだ続いていた。
ミラが死んでも、世界は止まらなかった。
それが、妙に腹立たしかった。
「……ガルドの襲撃は」
「成功しています」
リオが答える。
「人間側は想定以上の損害を受けたようです。そのため強硬派が主導権を取りました」
「その結果が、これか」
「はい」
短いやり取りだった。
だが十分だった。
連鎖は、はっきり見えていた。
ガルドが動いた。
人間側が報復した。
その中で、ミラが処刑された。
因果は繋がっている。
そして、その起点は。
俺だった。
頭の中で、話十一の夜が浮かぶ。
牢。
ミラ。
保護するかどうかを考えていた時の、自分の判断。
あの時、俺は切り捨てた。
合理性を優先した。
保護すれば、人間側との関係がさらに悪化する。
内部反発も強くなる。
だから、切った。
計算だった。
間違ってはいなかった。
少なくとも、その時はそう思っていた。
だが。
結果として、ミラは死んだ。
計算が合っていたことと、ミラが死んだことは、同時に事実だった。
どちらかだけを否定することはできなかった。
喉の奥が、妙に熱かった。
呼吸が少し乱れる。
右手を握る。
震えが出ていた。
何かが崩れ始めているのが分かった。
怒りだった。
だが、人間側に対してではなかった。
ガルドでもなかった。
古参派でもなかった。
全部違った。
向いている先は、一つだった。
俺自身だった。
あの時、保護を選んでいれば。
それだけで、結果は変わっていたかもしれない。
絶対ではない。
だが可能性はあった。
そして俺は、その可能性を切った。
合理的に。
静かに。
気づけば、言葉が漏れていた。
「……俺が殺したようなものか」
リオは答えなかった。
否定しなかった。
その沈黙だけで十分だった。
それは、俺だけの責任ではないという意味ではなく。
逆に、誰も責任から逃げないという沈黙だった。
俺は立ち上がった。
椅子が後ろへ倒れた。
大きな音がした。
自分でも驚くほど、乱暴だった。
机に手をつく。
呼吸が乱れていた。
感情が、うまく制御できなかった。
今までなら切れていた。
整理できていた。
だが、できなかった。
脳のどこかが熱を持っているようだった。
「陛下」
リオが初めて口を開いた。
制止ではなかった。
確認に近かった。
俺は返事をしなかった。
窓の外を見る。
空は曇っていた。
雪が降りそうだった。
ふと、ミラの顔を思い出した。
最後に会った時の顔だった。
疲れていた。
それでも、こちらを真っ直ぐ見ていた。
あの時、何か言いかけていた。
最後まで聞かなかった。
聞くべきではないと思った。
情を入れれば、判断が鈍る。
そう考えた。
だから切った。
その結果がこれだった。
笑いそうになった。
合理的だった。
確かに合理的だった。
なのに、何一つ守れていなかった。
交渉は壊れた。
古参派は離反した。
人間側は報復した。
そしてミラは死んだ。
机に置かれた地図を見る。
国境線が引かれていた。
その線の上で、人が死んでいる。
魔族も。
人間も。
全部、線のこちら側と向こう側で整理されていく。
だが、ミラは違った。
あいつは、その間にいた。
だから最初に潰された。
俺は目を閉じた。
頭の中で、ガルドの言葉が浮かぶ。
『お前は、人間を見すぎた』
違う。
見すぎたんじゃない。
中途半端だった。
見たくせに、最後まで守らなかった。
理解したふりだけして、切り捨てた。
それが一番悪かった。
部屋の空気が重かった。
長い沈黙だった。
リオは動かなかった。
俺も何も言わなかった。
慰めはなかった。
必要なかった。
これは感情の共有ではなかった。
責任の確認だった。
言葉にする必要はなかった。
しばらくして、リオが静かに言った。
「……国境情勢ですが」
仕事の話だった。
いつも通りの声だった。
俺は少しだけ息を吐いた。
「ああ」
「人間側はさらに兵を動かしています。古参派への追撃名目ですが、このままだと全面衝突になります」
「ガルドは」
「まだ動いています。辺境を転戦中です」
少し間が空いた。
それから、リオが続ける。
「……ミラは、最後まで何も話さなかったそうです」
俺は顔を上げた。
「接触先も、交渉内容も、一切」
情報として言った。
感情は乗っていなかった。
だが、その事実だけが重かった。
ミラは最後まで黙っていた。
なぜそうしたのかは、もう分からない。
聞くことができない。
名前だけを知っていた人間が、死んだ。
その事実だけが残った。
リオはそれ以上言わなかった。
やがて、静かに部屋を出ていく。
扉が閉まった。
一人になった。
静かだった。
静かすぎた。
俺は右手を見た。
指を動かす。
一度目は、動かなかった。
二度目も、遅れた。
三度目でようやく動く。
誤差が大きかった。
今までで、一番。
しばらく見ていた。
その震えが、自分のものとは思えなかった。
窓の外では、雪が降り始めていた。
白かった。
静かだった。
その白さを見ながら、俺は長く息を吐いた。
何かが、壊れ始めていた。
まだ形にはなっていなかった。
だが確実に、今までとは違う場所へ向かい始めていた。
雪は、止まなかった。




