第十二話:告発
ミラが告発されたという報告から、三日が経っていた。
その間、俺は城の中にいた。
表向きは通常通りだった。宮廷への出席。報告書の確認。ダナへの指示。日常の動作を、日常の速度でこなしていた。
しかし何かが変わっていた。
変わっていることは分かっていた。何がどう変わったのかを言葉にしようとすると、うまくいかなかった。
四日目の朝、リオが来た。
城下の市場区画だった。いつもの接触場所だった。リオの顔は、この四日間で見た中で最も疲れていた。目の下に影がある。移動が続いていたのかもしれなかった。
「ミラの状況を確認した」
リオが言った。
「投獄されています。外交局内の査問室です。まだ尋問の段階で、公式の裁判にはなっていない」
「尋問の内容は」
「把握できていません。内部に入れる人間がいない」
「どのくらい持つ」
リオは少し間を置いた。
「分かりません。ミラがどこまで黙っていられるか。あるいは、強硬派がどこまで待てるか。どちらが先に動くかで変わります」
俺は頷いた。
沈黙があった。
長い沈黙だった。
リオは何も言わなかった。俺も何も言わなかった。
二人の間に、言葉にする必要のないことがあった。三日前、俺は保護を後回しにした。その結果がこれだった。計算は合っていた。しかし間に合わなかった。それを今ここで言葉にしても、何も変わらない。だから言わなかった。
リオも言わなかった。
それが、今の二人の関係だった。
しばらくして、俺が口を開いた。
「動けるか」
「どういう意味ですか」
「ミラを出すことは」
リオは少し考えた。
「難しい。今の状況で動けば、魔族側が工作していることが確定します。ミラへの疑いが確信に変わる。それは、ミラをより深く追い詰めることになる」
「つまり、動けない」
「動かない方がいい、という判断です」
俺は頷いた。
動かない。
また、動かないことを選んでいた。
今回は保護を後回しにしたのではなく、動けない状況になっていた。前回の選択が、今回の選択肢を消していた。
その連鎖を、頭の中で確認した。
「もう一つあります」
リオが続けた。
「交渉ルートの状況です。ミラと繋がっていた外交局内の人間が、全員動きを止めました。ミラの告発が、彼らを萎縮させています」
「どのくらいで動き直せるか」
「分かりません。状況が落ち着けば、また動く人間は出てくるかもしれない。ただし今は、誰も動かない」
交渉ルートが遮断された。
その事実を、もう一度確認した。ミラが動かなくなれば、交渉は止まる。今まで積み上げてきたものが、この三日間で止まっていた。
右手を確認した。
指を動かす。問題ない。もう一度。わずかに遅れる。
今日は誤差が大きかった。魔力を使った場面はなかった。しかし誤差が出ていた。
「別のルートはあるか」
「探しています。ただし、今のミラの状況が人間側に知れ渡っている間は、動こうとする人間は出てこない。ミラが魔族の内通者として扱われている以上、魔族側と接触することは、同じ疑いをかけられるリスクがある」
「つまり、しばらくは止まる」
「はい」
俺は少しだけ黙った。
「分かった」
リオが去り際に、もう一度振り返った。
「別の件です」
「聞く」
「古参派の動きが変わりました」
俺は少し身構えた。
「ガルドを中心に、結束が始まっています。今週に入ってから、古参派内での会合が増えている。内容はまだ把握できていませんが、何かを決めようとしている」
「弾劾か」
「可能性はあります。交渉路線への不満が蓄積されていた。ミラの告発が、古参派に勢いを与えた形になっている。人間側との交渉が失敗したという形に見えるから」
「ガルド自身は」
「動きは把握できていません。ただし、会合には出ていない」
俺は少し考えた。
ガルドが会合に出ていない。古参派が結束しているのに、その中心にいるはずのガルドが出ていない。それが何を意味するのか、この段階では分からなかった。
「引き続き監視しろ」
「了解しました」
リオは去った。
一人になった。
市場の人の流れが、周囲に続いていた。
問題が重なっていた。
ミラが投獄された。交渉ルートが遮断された。古参派が結束し始めた。
一つ一つは対処できるかもしれない。しかし三つが同時に起きていた。どれかを動かせば、別のどれかに影響が出る。
計算が複雑になっていた。
複雑になると、誤差が増える。誤差が増えると、精度が落ちる。精度が落ちると、判断が遅れる。
その連鎖を、頭の中で確認した。
確認して、どうするかは、まだ出なかった。
城に戻ってから、ダナに報告を入れた。
「交渉ルートが止まった」
「知っている」
ダナはすでに把握していた。
「どうする」
「今は待つ」
ダナは少し間を置いた。
「古参派は」
「動きを見ている」
「弾劾が来るかもしれない」
「来るなら来い」
ダナは何も言わなかった。
しばらくして、出ていった。
夜になってから、一人で考えた。
机の上に、報告書が積まれていた。補給路。停戦監視。古参派の動向。数字が並んでいる。その中に、ミラの名前だけがあった。他の紙は数字だった。ミラの報告だけが、人間の形をしていた。
今、査問室で何が起きているのか。尋問がどこまで進んでいるのか。ミラがどこまで黙っていられるのか。どれも分からなかった。
「彼女は、まだ引き返せると思っています」というリオの言葉が、また頭に浮かんだ。
今のミラは、引き返せる場所にいない。
三日前の選択が、その状況を作っていた。
俺はミラに会ったことがない。顔を知らない。声を知らない。リオの報告書の中にだけ存在していた人間だった。名前だけを知っていた。
名前だけを知っていた人間が、今、投獄されている。
その事実を、どう処理すればいいのか、分からなかった。
処理しようとして、うまくいかなかった。
廃屋の夜を、また少し思い出した。
乾パンの硬さ。喉を通る時の摩擦。老人の手。子どもの寝息。
ミラは今、何を食べているのか。あるいは、食べられているのか。
それも分からなかった。
深夜、書状が届いた。
リオからではなかった。差出人の名前がなかった。封の形を見た。城の内部から来たものだった。
開いた。
短かった。
「明日の宮廷会議で、古参派が議題を提出する予定です。内容は、交渉路線の撤回と、魔王の統治方針に関する公開討議の要求です」
弾劾だった。
公開の場での弾劾だった。
俺は書状をしばらく見ていた。
差出人が誰かは、この段階では分からなかった。古参派の内部にいる誰かが送ってきたのか、あるいは別の誰かなのか。
ガルドは会合に出ていない。しかし書状は届いた。
その二つが頭の中で重なった。
重なって、答えが出なかった。
書状を火にくべた。
炎が消えてから、立ち上がった。
明日、宮廷で弾劾が来る。
魔力で押さえ込むことはできる。しかしそれをすれば、古参派との対立が一気に表面化する。今の状況で内部が割れれば、外側からの圧力に耐えられなくなる。
力で黙らせない。
言葉で押し返す。
それしかなかった。
言葉で押し返せるかどうか、分からなかった。
分からないまま、一日を終えた。




