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第5話:さらば宮本村
「待ってくれ! 今すぐここを出ていく! だから火を置け!」
又八は叫び、泥のムサシを強引に納屋から引きずり出した。逃げ惑う村人をかき分け、村外れの峠へ辿り着いた時、息を切らしたお通が追いかけてきた。だが彼女は、それ以上近づこうとはしなかった。
「……又八さん。そこにいるのは、本当に武蔵様なのですか……?」
お通の震える声に又八は、足が止まった。筵の間から見えるのは、血の混じった黒い泥と意志のない赤い目。彼女は、かつての恋人が関ヶ原の泥の中で既に死んでいることを本能で悟ってしまったのだ。
「……ああ、そうだ。病気で顔も声も変わっちまったけど、こいつはムサシだ。俺が必ず治してやるんだ」
又八は、一度も振り返らず精一杯の嘘を吐き捨てて歩き出した。お通は、「待っています」とは言わなかった。彼女はただ、遠ざかる巨大な泥の背中をまるで異界の怪物を眺めるような目で見送り、静かにその場へ座り込んだ。
木陰で酒を煽っていた沢庵が泥の足跡を見つめて呟く。
「あれはもう、人の女が待てるものではない。又八、お前はたった今、本当の意味で一人になったのだぞ」
こうして又八とお通、そしてムサシの縁は土臭い雨の匂いと共に断ち切られたのであった。




