第20話:南都の静寂
槍を離した胤舜の前に胸に十文字槍を深く突き立てたままのムサシがのっそりと座り込んでいた。道場を支配していた殺気は霧散し、代わりに漂うのは、強烈な土の匂いと又八の慌てふためく声だけである。
「ちょっとムサシ! 槍をもらったのはいいけど突き刺さったままじゃ歩きにくいだろ! 胤舜さんも、そんな清々しい顔してないで、これ抜くの伝って下さいよ!」
又八が槍の柄を掴んで引っ張るがムサシは意に介さず、床に飛び散った泥を指ですくって「……ウマイ……」と呟いた。その姿には、武士の矜持も勝利の悦びも敗北の悔しみも一切ない。
「……見事だ、私の槍は貴殿という無に届かなかった。殺生を究めようとした私を貴殿の泥が救ってくれたのだな」
胤舜は泥まみれの法衣のまま、ムサシに向かって深く頭を下げた。周りの僧兵たちも、もはや手出しはしなかった。彼らが目撃したのは、剣術の試合ではなく圧倒的な虚無による教えだったからだ。
「よし、解決! 胤舜さんが負でいいなら、この槍はムサシの所有物ってことでいいですね? 質に入れたら高そうだ……」
又八は、ムサシの胸から突き出た槍の柄を物干し竿のように利用して荷物を吊るし始めた。天下の宝蔵院で、これほど罰当たりな光景が繰り広げられたことは後にも先にもなかった。




